思いもよらなかった視点を提示され、世界の見え方ががらりと変わる・・・という経験はやはり読書の最大の楽しみである。おそまきながら、福岡伸一さんの「動的平衡」を読んで、「おお」と世界が違って見える面白さを味わった。とくに印象に残ったことば、内容などを、個人的な備忘録としてメモしておきます。

・直観が導きやすい誤謬を見直すために、あるいは、直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ、勉強を続けるべき。それが私たちを自由にする。

・胃の中は「身体の外」! 食べ物が「体内に入った」ことになるのは、消化管内で消化され、栄養素が体内の血液内に入ったとき。だから、消化されていない食べ物は、胃の中にあっても、「体外」にあるのと同じ。つまり、胃は体外。子宮も同様。

・合成と分解との平衡状態を保つことによってのみ、生命は環境に適応するよう自分自身の状態を調節することができる。これはまさに「生きている」ことと同義語。

・サスティナブルとは、常に動的な状態のこと。一見、堅牢強固にみえる巨石文化はやがて廃墟と化すが、リナべーションを繰り返しうる柔軟な建築物は永続的な都市を造る。

・コラーゲンが食品から、皮膚から、そのまま吸収されることはありえない!私たちには「身体の調子が悪いのは何か重要な栄養素が不足しているせいだ」という、不足・欠乏に対する強迫観念があるが、こんな「イン」と「アウト」をつきあわせただけの線形思考からは、生命のリアリティはみえてこない

・世界のあらゆる場所に、容易には見えないプロセスがあり、そこでは一見、混沌に見えて、その実、複雑な動的平衡が成り立つリアリティが生じているはず。

・生命は、何らかの方法でその欠落をできるだけ埋めようとする。バックアップ機能を働かせ、あるいはバイパスを開く。そして、全体が組み上がってみると、なんら機能不全がない。生命の持つ柔らかさ、可変性、そして全体のバランスを保つ機能――それを、動的な平衡状態と呼びたい。

・カニバリズム(人肉食)がほとんどの民族でタブーとされてきたのは、私たちを病原体から守る働きのある「種の壁」を無視する行為だから。ヒトを食べるということは、食べられるヒトの体内にいた病原体をそっくり自分の体内に移動させること。その病原体はヒトの細胞にとりつく合鍵をもっているのだ。だから、ヒトはヒトを食べてはならない。

・私たちの身体は分子的な実態としては、数か月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく

・流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということ

・可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす「効果」である。生命現象とは構造ではなく「効果」なのである。

・サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。それゆえに環境の変化に適応でき、また自分の傷を癒すことができる。このように考えると、サスティナブルであることとは、何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではないのがおのずと知れる。サスティナブルなものは、一見、普遍のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっとあとになって「進化」と呼べることに、私たちは気づくのだ。

個体というのは本質的には利他的なあり方。生命は自分の個体を生存させることに関してはエゴイスティックに見えるけれど、すべての生命が必ず死ぬというのは、利他的なシステム。これによって致命的な秩序の破壊が起こる前に、秩序は別の個体に移行し、リセットされる。

・アンチ・アンチ・エイジングこそが、エイジングと共存する最も賢いあり方。

・私たちは今、あまりにも機械論的な自然観・生命観のうちに取り込まれている。インプットを2倍に増やせばアウトプットも2倍になるという線形的な比例関係で世界を制御することが至上命題となる。その結果、私たちは常に右肩上がりの効率を求め、加速し、直線的に悩まされる。それがある種の閉塞状況を生み、様々な環境問題をもたらした。

・自然界は、渦巻きの意匠にあふれている。巻き貝、蛇、蝶の口吻、植物のつる、水流、海潮、気流、台風の目、そして銀河系。渦巻きは、生命と自然の循環性をシンボライズする意匠そのもの。

社会のあり方、個人のあり方、人生観まで考えなおさせ、アンチエイジングブームに警鐘をならし、「なぜ人を食べてはいけないのか?」という問いにまですっきりと答えをくれる。いろいろなヒントに満ちた、よい本でした。

☆「クロワッサン」(マガジンハウス)から著者インタビューを受ける。「愛されるモード」をとても気に入ってくださり、丁寧に読みこんでくださっていた。スケールの大きい福岡さんの本を読んだあとでは、「(自分の書くものなど)足元にも及ばないなあ・・・」と思っていただけに、次はもっとがんばろう、と少しだけ元気がわいてきた。まだまだ先は長いのだが。編集部に心から感謝します。

次世代産業ナビゲーターズ・フォーラムに参加。今回はメンバーズプレゼンテーションとしてベタープレイス・ジャパン(株)代表取締役の藤井清孝さんの「正解のない時代の処方箋」というお話と、財務省財務事務次官の杉本和行さんの「日本の未来は?」という講演でした。

どちらも、私にはよくわからない専門用語も多々あったものの、全体として、次の時代の日本のことを考えるための、より大きなフレームを与えてくれる刺激的なお話でした。たぶん、完全な理解はとうていし得ていないとは思うのですが、今の段階の私に響いてきたことば、印象に残ったこと、役立てたいことなどを、個人的な備忘録としてランダムにメモしておきます。

★藤井清孝さんのお話

・日本産業の強みに、「オペレーショナル・エクセレンス重視」がある。オペレーショナル・エクセレンスとは、あたりまえのことをあたりまえにきちんとできる、ということ。この点は日本が世界の中でダントツに強い。自己規律的な国民性も強み。

・弱みとしては、企業の事業に対するフォーカスが弱いこと。大企業がニッチに参入してしまい、なにやらいろんなところでやみくもな過当競争が起きていて、みんながみんななにかの事業に参入しているけどフォーカスはしない、という型が蔓延している。人材市場が硬直化していることも、弱み。

・日本産業の再生の処方箋としては、事業フォーカスされたグローバルナンバー1の企業作りを目指さねばならないだろう。過当競争をなくす業界構造の再編成も必要。また、愚直なものづくりだけではこれからは不十分であり、アジアにおける「ものづくりの雄」になる鍵として、「日本のクオリティ+中国のコスト+韓国のスピード」のいいところどりが求められる。現場の強みを収益に反映させる戦略も、必要。

・顧客から見たら「自分だけに対する特別なカスタムサービス」と見えるが、実はそれは裏から見たら汎用化されたシステムに基づくもの、というような見せ方ができるものがあれば応用範囲は広い。たとえば、フォーシーズンズ・ホテルはフロントで3回、顧客の名前を呼んで話しかける。「ミスター○○」と。客から見れば「自分だけに対するサービス」、でもサービス提供者にしてみれば汎用化されたシステム。

・イノベーション力を強化するには、顧客の言うことを聞かない製品開発が必要だ! ある水着メーカートップは「選手に嫌がられてでも新しい発想の水着を開発する姿勢が必要だった」と語っているし、ルイ・ヴィトンの製品開発哲学には、「お客様をあっと言わせ、ワクワクさせる製品を作るには、お客の言うことを聞いてはいけない」というのがある。CS(顧客満足)なんて言ってアンケートなんかとっているばかりでは、ほんとうに客に感動を与えるすごい製品をつくることなんてできないのだ。

・グローバルに通用するためには、コンセプトをプラットフォーム化することが必要。たとえば、世界で売れる「ザガット」や「ミシュラン」は、誰がどういう基準で採点しているのか、コンセプトが明快。だが、日本だけで人気のある「大人の隠れ家」「東京いい店うまい店」といったガイド本は、「日本村のかわら版」として人気が高いが、誰がどういう基準で載せているのかわからず、トータルでみたときに何を目指そうとしているのかわからないため、グローバルにいくことは難しい。 「格が上」とみなされるためには、コンセプトをどこでも通用するようにプラットフォーム化することが必要である。

・業界の狭い枠を超えた、ちがう絵を描こう。LPレコードがCDになるときに、音響機器業界はその周辺をフォローすることだけに躍起になっていて、コンピュータで音楽をダウンロードするという絵までは描くことができなかった。結局、大きな違う絵を描いていたアップルに、いいところをもっていかれてしまった。業際的にものごとを組み合わせて「トータルに大きく見ると、違う図」を描くことが大切。

・・・・イチもの書きにも通用する汎用性の高いお話でした。よし。これからは読者の注文を、聞かないことにしよう(笑)。たしかに、お客様の想像のレベルをドカンと超えるくらいのものを提供するんだという心構えじゃないと、驚きや感動なんて与えられないのである。

★財務省 財務事務次官 杉本和行さんの講演。

とにかく私にとっては「財務省の財務事務次官」っていうだけで、雲の上の人だった。いったいどういう人なんだろう!?という人間的興味が最優先。

おだやかでやさしげな口調と風貌ながら、めちゃくちゃ頭がきれてそつがなくいやみなく手ぬかりなし、といった頼もしい印象でした。「うわっ、日本の財政をこんなあたまのよい方にお任せしてるって、たのもしー!尊敬っ!」と感激(ミーハーです、はい)。近年の国際金融状況・世界経済をめぐるフェーズの変化と、それに対して日本政府がとってきた財政政策を、こまかなグラフや数字を駆使して詳しく紹介してくださいました。細部の動向の話にはさっぱりついていけなかったものの、この2,3か月で上向きに持ち直している、ということはわかった(・・・)。

最後に、メンバーからの質問に答えるときに、ちらっとヒューマンなお話を披露していただいたことが印象に残りました。

日本では、「叱られるばかり」。これがよい結果をもたらすはずはない、という話。たとえば官僚はフレッシュマン時代に、「何のためにこの仕事を?」と聞かれたとき、「公の利益のために仕事をしたい」と答える。そういうよき希望を持った人が大半である。

それが途中で方向がゆがんでしまうことがある。たてわりの組織の力でやっていかなくてはいけない中、政治家に叱られ、マスコミにたたかれ、としているうちに委縮してしまうことがある。委縮すれば視野が狭くなり、庭先しか見なくなる。それが結果として、国民の利益にならない成果につながってしまうことにもなりかねない。

日本にはほめるカルチュアがないのが問題。ねたみそねみひがみやっかみ・・・・の七味トウガラシばかりで、仕事をやろうとしている人の足をひっぱっても、なんのいいこともない。正当に批判すべきことがあればもちろん批判すべきだが、ほめるべきときにほめて、激励していくことが、結果として日本全体にいい結果を及ぼすことになる。

この話は、最近の匿名中傷などのこともあって、すごく響いた。人はけなされると、たとえそれが不当なもので、無視が妥当であると頭で理解しても、まったくモチベーションを失うのである。雲の上の人に見える官僚だって、私たちと同じ、デリケートな心をもつ人間だ。日本社会に根深くはびこる「七味トウガラシ」カルチュア、日本人がほんとうに自分の利益を考えるなら、まずはこれを撲滅しないと、と心底思う。真剣に努力している人は、ほめよう。そうすることで、のびやかに能力を発揮してもらえれば、よい結果がめぐりめぐってくるはずである。官僚のみならず、公のためを思ってがんばっている人をけなすばかりでは、彼らのすぐれた能力を委縮させ、結果として国益をそこなうことにもなりかねない。

梅田望夫さんが「日本のウェブに失望」というような発言をなさっていたが。中傷や罵詈雑言ばかりがあふれていて、ほんとうのトップの人が萎縮して敬遠し、ウェブの良い点を生かしきれていない、というのはたしかに日本にとって残念なことに感じる。他人に七味トウガラシをまぶして悦に入っている匿名の人は、結局、トータルに見れば自分の利益も損ねていることになる。管理者も、感情の垂れ流しで人を不条理に傷つけるような書き込みに対しては、もっと高い意識をもって責任をもつべきではないのか。それが公益に、ひいては、自分自身の利益につながる。

国の財政に関する大きな話を聞いたのに、聴き手の専門性が低いために、なんだかすごく卑近なレベルの話しか残らなかったみたいだが。でも、財務事務次官という立場の人の責任感や仕事、人柄に少しでも触れることができたのは、ものすごく貴重で、幸運な体験でした。

「100年に一度」とされる経済危機の時代に財務次官になったことを、「運が悪かった」とは考えず、「運がよかった」(試練がたくさん与えられるため?)と考えるようにしているという杉本次官の仕事に対する姿勢には、高貴な品位を感じました。たいへんな時期ですが、日本の明るい未来のために、どうかがんばってください!

個の小さな問題を離れて、大きな枠、違う視点でものごとを考える具体的なヒントのシャワーを浴びるという、お宝のような時間を過ごすことができたことに感謝。