2009年10月4日
中川昭一さんの突然の訃報に、衝撃を受ける。人がこの世に生きるということはどういうことなのかとずーっと考えさせられた。
やるせなかったのは、マスコミはじめ世間の反応。「優秀な政治家だった」「今後をもっとも期待されていた」・・・・・・。ほんとうにそう思っているなら、なんで生きている時にそう書いてあげなかったのだ? 「酔っ払い会見」のときに、鬼の首をとったみたいに、「完膚なきまで」という勢いでたたきつぶしたのは、いったいどこのどいつだったんだ。
杉本財務次官の講演のメモの時にも書いたけど、きちんとやるべき仕事をしている人に対しては、ホメることばを惜しんではいけないと思う。エリートにかぎって、案外、しょうもないバッシングに弱いのだ。でも、ちゃんと仕事ぶりを認めて褒めれば、とてつもない仕事をしてくれる。そういう人の仕事ぶりを褒めれば、ほかならぬ社会のため、ひいては自分のためになるのである。
きちんといい仕事をしている人だと思えば、正当に、褒めようよ。恥ずかしいことでもなんでもない。単なる「よいしょ」ではない、正当な評価は、大々的に報道されるべきだと思う。ささいな失態の揚げ足取りをして嬉々とエラそうにしてるほうが、よほど人間として恥ずかしい。
生きて、元気で仕事をしているうちに、その人の仕事ぶりを、褒めようよ。死んでから神妙に褒めはじめるなんて、気持ち悪すぎる。
今回の「これからの日本を担う非常に有能な人材をなくして惜しいことである」という論調には本当に唖然としました。あの朦朧会見のときの徹底的な批判報道と、同じ報道機関、同じ番組、同じコメンテーターの発言だったりすると気味悪くさえ感じます。
それにしても、朦朧会見の詳細や裏側をよく存じませんが、あのような酩酊状態での会見自体は防げただろうに、といまさらながら思います。同行していたマスコミ、官僚、それもみな敵ばかりなら、最終的には私設秘書などの側近が、飲酒すること、あるいは会見の場を設けることを全力で阻止すべきだったでしょうに。中川氏が本当に有能な方であったのならなおさら。
コメントありがとうございます。バッシングするときには相手が謝罪したり何かを失ったり(ときに命)するまで容赦ないのに、ほめとなるとまるで沈黙、というあまりにもバランスを欠いたこの国の報道はどうにかならんのかと常々思っていましたが、今回の「死んでから大ほめ」には、非難の記憶が生々しかっただけに、心底恥ずかしさを覚えてしまいました。