◇ナンシー関とリリー・フランキーの対談集『小さなスナック』(文春文庫)。買ったのはこれで4冊目くらいかもしれない。前に買ったのはすべて「おもしろいから、読め」とそのまま人にあげて、しばらくしたらまた自分で読みたくなって、買ってしまう。読むたびに違う笑いのツボを発見して、飽きない。今回もやはり読みながらずっと笑顔でいられた(周囲の人はブキミだったかも。ご寛恕)。

福田和子がなぜモテる?の回に、「モテ」の核心をついた指摘がある。

「ナンシー: 実際にどうなのかよりも、『すごいテクらしい』って、こう囁かれることこそが大事なわけなんだね。

リリー: そう。そして男どもの気を引いているんでしょうね。なんだかすごいテクなやつが来たらしいっていうことから始まる。

ナンシー: 歳はちょっと食ってるけど、あの和菓子屋のおかみはすごいらしいって。で、見に行ったりする(笑)。

リリー: 見た人はすごいテク持ってそうだよ、やっぱり、ということになって。その情報だけでモテを操作してんの。

(中略)

リリー: 藤山直美が『すごいテク』をどれくらい演じられるか、でしょうね。

ナンシー: 『すごいテク』というか『すごいテクと噂されてる』感でしょ、正確に言えば。それは難しい。真空投げとか、気功の世界にも通じると思う」。

会話のリズムが最高で、ジャズセッションを聴いているような感じもある。だから繰り返し読みたくなるのかな。少なくとも私にとっては、読んで気持ちのいい対談の理想形。

◇渡辺裕一『小説家の開高さん』(フライの雑誌)。漁師、ヒッピー、絵かき、熊撃ち、骨董屋、文豪など、さまざまな人との一期一会を、小説のようなエッセイのような不思議な形式で綴った短編集。タイトルを見たとたん、開高マニアとしては読まずにはいられなかった。

カイコウケンとともに中華料理を食べ、飲み、しゃべり、釣りをした経験を、読者の私までもが共有できたかのような豊かな描写を堪能。カイコウさんを目の前で見ているかのようなみずみずしい表現はいくつもあったが、自分にとってのカイコウさんの意味というのを再確認させてくれたのが、ラストのシブい段落である。

「新聞を読む。テレビを見る。街を歩く。ゆたかさを目ざして行きついたところに、砂漠がひろがっている。この国は、はたしてどこに行こうとしているのだろうか。などと考えながら、グラスを傾けていると、きまって立ちあらわれてくる丸い顔がある。そして、いっとき砂漠に川が流れだす。その川の上にあのカン高い声が響く。『やりたいことをやり尽くしなさい。飲み尽くしなさい。あとで戻ってきても、何も残っていないのだよ』」。

2 返信
  1. gadogado
    gadogado says:

    これが読みたいがためにクレアをわざわざ取り寄せていました(確かクレアだったはず?)なつかしいです。私もかれこれ5冊くらい買いました。いつもお風呂で読むんですぐボロボロになっちゃうんですよね。いま手元にないのでまた買います。(小さな値段で気軽に買えるのが日本の本のいいところですよね)

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  2. nakanokaori
    nakanokaori says:

    それこそ「クレア」のキラーコンテンツ、でしたよね。「私の運命は絶対当てさせない」と言っていたナンシーが突然亡くなってしまうという、涙涙の終わり方でしたが…。リリーの追悼文もしみじみ、深いところに浸みていきます。

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