菊地成孔+大谷能生『アフロ・ディズニー』(文藝春秋)読み終える。

といっても菊地さんがまえがきで書く通り「軽狂の人文(擬似)科学講義」ということで、なんでもありのパフォーマンスというか、あまり知らない音楽の話がメインだったりすることもあり、おもしろそうなんだけどよくわからないままケムにまかれた感じ。(←これが著者たちの目論見?でもあるようだ)

映画に音楽、発達学にディズニーなどなど、いろんな話がでてくるのだが、私がなんとか理解できた(かもしれないと思える)なかでおもしろいなと感じた指摘がいくつかあった。

まず、19世紀の大人文化から20世紀のコドモ文化への変化。背景にあるのは、芸術を享受するスタイルの変化、という指摘に、なるほどと思う。19世紀には、オペラやコンサートなど、1回きりのステージ芸術を社交として楽しまなくてはならなかったのだが、20世紀には、ひとりで部屋にこもってレコードを聴いていればいいという幼児的なスタイルを成熟させることになった、という指摘。

そして2点め、もっとも現在の関心に近かったこともあり、興味深かったのが、ファッションショウではモデルは音楽に合わせては歩かない、という指摘。ただし、東京ガールズコレクションではモデルは音楽に合わせて踊る、というのがウケた。西洋のコレクションと東京ファッションとの性格の違い、これだけで鮮やかにうきあがってくる。

さらに、モード界において「ギャル服」に接近した一番乗りブランドは、ドルチェ&ガッバーナであった、という指摘。イタリアがギャルに接近した一番乗りであるという話には、感心する。

「イタリアという国は、日本産のテレビ・アニメ、たとえば、永井豪原作の巨大ロボットアニメの視聴率が70パーセントを取ったり、東京でおこなわれるコスプレの大会で上位常連だったりすると同時に、オペラ文化の本場でもあります。オペラは言葉の原義に忠実なコスプレですが、そのことを当のイタリア人がどう考えているのか、残念ながらほとんど資料が見当たりません。日本のサブカルチャーはすばらしい、それで自分は育った、ノスタルジーに根ざした手放しの賛辞と、それを自分は自分なりに取り入れているのだといった自己申告以外のコメントを探すのは難しく、それはあたかも1950年代のアメリカのテレビ番組が、全世界のワールドスタンダードとエキゾチズムの両義を担ったことと同一線上にあるかのようです」。

最後に、料理とワインの相性なんかを語るときによく使われる「マリアージュ」の定義がうまいな~と。

「われわれはこれを『結婚』という語源に基づいて拡大的に解釈し、『今が最高、もしくは最低やまあまあに見える相性も、果たして絶対的にそうなのかどうか、それは当事者のどちらにもわからないし、何度か組み替えて多少の違いがわかっても、まだそれが絶対かどうかわからない=総ての関係は非絶対的であり、唯一絶対で最高のマリアージュというのは原理的には完成しない幻想である』と――つまり、単なる現在の結婚観であるだけのことですが――設定します」。

これは慶應義塾大学でおこなわれた講義の前期の記録とのこと。「後期」講義の書籍化も楽しみにしています。

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