蓮實重彦先生によるエリック・ロメール追悼文、23日付け朝日新聞。映画の仕事の比重が大きかった頃は、ロメール映画は「必見」とされていて、ほとんど見ていたのだが、何をどう紹介していいのか、いつももやもやした印象だった。軽いのに重みがある。あっさりしているのに複雑。つまらなくはないんだけど、わかりよい面白さはない。そんなロメールを蓮實先生に文章で表現してもらうと、ああそういうことだったのか、と理解できた。

「世の健全な市民からは思いきり遠いところで、身勝手としか思えぬ秘境的な映画作りに徹してきたエリック・ロメール」

「(遺作となった「アストレとセラドン」にふれて)良識の持ち主なら誰もが立腹しかねぬ時代錯誤の限りを尽くしてガリア期の男女の愛を描いたその画面には、優雅な卑猥さというべきものが漲っている。卑猥さと戯れずにどうして卑猥さを超えられようかという彼の人を喰った演出ぶりは、これまでも不謹慎と見なされしばし健全な思考を苛立たせ、倒錯的と見なされ不健全な思考をいたく興奮させてきた」

こういう蓮實節が、ロメールを語るときにはよく似合う。

蓮實先生の映画の講義は何年間か聴講していた。「えー」とか「そのー」「じゃあ」みたいな間投詞を一切おっしゃらないのである。体言止めもなければ、聴き手に「言ってることわかるでしょ?」と理解の共有を求めるような甘えの姿勢もない。話しことばであっても文がまったく乱れず理路整然としており、無駄な単語を何一つ発しない。板書なんかもしない。ユーモアも独特で、正確で魔術的な話術だけで聴き手を呪縛する。ほんものの高級な知性っていうのはこういうことをいうのかあ、と思わず平伏したくなるようなお方であった。

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