◇「サライ」3月号発売です。連載「紳士のものえらび」でスマイソンの文具のことを書いています。機会がありましたらご笑覧ください。

◇開高健『ああ。二十五年』(光文社文庫)読み終える。やはりこの人の書いたものに触れているとどこかほっとする。名前のイミをすべて反対にすると「閉低 患」になるとか、カタカナであえて「カイタカケン」と読んでみると、「書いた、書けん」になるというおやじテイストの小ネタのギャグにもウケた。

「銘品さがし」というタイトルの、ヴァレクストラのかばんにふれてのエッセイは、モノやブランドを紹介する文を書く仕事も多い自分にとっての、お手本となる一篇だった。始まりから3分の2は延々と自分の近況とそれにまつわる話を繰り広げ、かばんを見る必要が出てきた経緯につなげていく。そうしてようやく終わりごろ、ヴァレクストラが登場するのだ。

「サイズ、デザイン、材質感、何から何までいうことなし。完の璧。視線が吸いこまれる。心がひらく。そこで恐る恐るお値段を聞こうとすると、売場のポテト公女、しなやかに体をくねらせて、あのォ、イタリアの本店では、値段を聞く客には売らないというたはる、そう聞いてるんですけど・・・・・・といって軽く息をおつきになる。小生感動をおぼえながら眼は暗く、心は閉じ、息は吸い込んだきり吐けなくなる。鎧袖一触。そこでチョン。店から出る。

ゲーテだったかネ。

完璧には何かしら無残がある、とか。」

プレスリリースに書いてあるような薀蓄は一切ないのに、強烈にヴァレクストラの印象が立ち上がってくる。この芸域だなあ、目ざすべきは・・・・・・(はるかに遠い)。遠く高すぎるとはいえ、目指すべきお手本、到達すべきイメージがあるということは、ありがたいことである。

「人間、かしこくなれるのは昨日に対してだけである。今日と明日については永遠の迷子である。とまあそういうこっちゃ。」

という軽いのに重い真実をつくことばには救われるような気がするし、

「毒蛇はいそがない」というタイの諺に関する話も心に残る。「自信のあるやつはゆっくりしてるもんだということと同時に、けれど目的はかならず仕遂げてみせるのだという凄みも含ませているように思われます」

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