河合隼雄+長田弘『子どもの本の森へ』(岩波書店)。児童書を大人の視点から読み直す対談集。ああ、あの話はそういうことだったのか、という再発見多数。これから改めて読んでみたくなった未読の児童書のリストも増える。以下とくに印象に残ったことば。

・(エンデの『はてしない物語』に関して)長田「どうしたら自分の物語をもてるかを教えてくれます。これは失敗だらけの話です。これでもか、これでもかと失敗だらけの物語。いまは『失敗は許されない』という言葉をよく聞くけれども、おそれず失敗できるようでないと、物語はできないんです」

・(トールキン『指輪物語』に関して)長田「物語の分かれ目となるところは、つねに分かれ道ですね。分かれ道のどっちへ行くか。楽な方向へ行くか、困難な方向へ行くか。そのとき、物語の主人公であるホビットたちは、いつでもあえて自分たちにとって困難な方向を選ぶ。希望というのは、困難な方向の先にしかないんですね」

・(ガース・ウィリアムズ『しろいうさぎとくろいうさぎ』に関して)長田「『悲しい』というのは『考える』ことだ、『考える』というのは『一生懸命願うこと』だ、『一生懸命願う』というのはどういうことかといったら、『ほんとうにそう思うことだ』、という。そこまでいって、ふっと、悲しみが消えるんですね、最後に」

・長田「絵本と子どもの本の経験でもっとも大切でおもしろいこととぼくに思えるのは、そのなかに自分がいると感じられるようなお話、いいかえると、的確な言葉で自分についてちゃんと語ってくれるようなお話に出会うということじゃないでしょうか。どんなに古いお話でもその瞬間に、それは自分にとってまったく新しいお話になる」

・長田「言葉の仕事というものを通じてよくよく心したいことは、必要なのは答えでなくて問いなんだということですね。いまはほんとうに、答え、もしくは答えらしきものが多すぎるけれども、問いが、もしくは疑いが少なすぎるからです。しきりに情報社会の掛け声が上がっても、求められる情報というのは多くただ当座の答えにすぎなくて、どんな問題でもとっさの答えで場をしのいで、差しあたって一件落着。そういうふうですから、社会の物事の判断の方向が、熟慮を求めず、とりあえず一件落着をもとめるようになってくれば、割り切りやすい勧善懲悪、因果応報に、どうしても答えをもとめがちになってきますね」

・長田「1970年代に当時の西ドイツの監獄で、幾人もの囚人の自殺があいついだことがあって、問題になった。調査すると、監獄は新しく、清潔で、壁も床も真っ白で、24時間明るい天井灯は切らない、つまりあまりに明るすぎたことが原因だった。『昼でも夜でも牢屋は明るい』というのが苦痛以外の何ものでもない」・・・・・・(中略)・・・・・・「雪山での遭難死を引き起こすホワイトアウト現象というのと、おなじですね。周囲が全部真っ白になってしまうと、どこにもいけなくなって、人間は立ち往生してしまう。人間はそういうふうにできている。徹底的であることは苦痛なんです。不完全さを進んで引きうけないと、どんどんしんどくなっていきますね」

そのなかに自分がいると感じられるようなお話を書く、というのは大人の本にとっても必要なことであろうし、書き手が提供すべきは、一件落着の答えではなくて、問いである!という姿勢は常に意識しつづけたい態度であるなあ、と思う。自戒をこめて。

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