「エンジン」6月号、中川ヨウさんによるレディ・ガガ評。

「ガガの裸には物語がない。あまりにダイレクトな性表現は、『見るだけでいい』『実際にはしない』という昨今の非リア充(バーチャルな世界重視の)男女の象徴だ」

こういう見方もあるのか、と感心。リアリティと無関係なエロスなら、どこどこまでも過激にナンセンスに炸裂してくれるほうが、ぜったい楽しい。

同、矢作俊彦さんによるブライトリング「時」のエッセイ、「私はどこの何者か」。

「たとえばショーン・コネリーが美貌の中国人秘書を抱き寄せ、濃厚なキスをくれてやりながら肩越しに自分の腕時計を見るとき、リチャード・ウィドマークがホットドッグに砂糖をかけて食べる巨漢に手錠を打ちながら、腕をぐっと突き上げて時計に目を走らせるとき、そしてリー・マーヴィンが懐で消音拳銃を握りながら、暗がりでそっと腕時計に目を走らせるとき、彼らは決して時刻を確かめているのではない。

類例ならいくらでも挙げられる。これら映画の男たちにとって、時刻はどうでもいい。自分のいまがいつか、自分のここがどこか、彼らは絶えず確かめずにはいられない。

(中略)だから、彼らが情事の前に腕時計を外すのは理に適っている」

しぶいレトリック、ロマンチックな詭弁にうなる。この手のエッセイでは、いかに絵を見るような具体例がたくさんでてくるかが勝負どころでもあるが、そのネタの収束のつけ方もハードボイルドでかっこいい。

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