ことばの解釈は人それぞれである。とくに英語の「ラテン語の語源」というところまでいくと、その原義から、その人の必要に応じて、いろんな意味をひきだすこともできる。

私もしばしば「大胆すぎる解釈」をすることがあるので、他人の解釈についても鷹揚である。必要に応じた解釈をすることで、その人の役に立つならばそれでいいではないかと思っているふしもある。

でも、あまりにも「俗説」が大きくなりすぎると、水をさすようで申し訳ないかぎりだが、ちょっとだけ、言っておいたほうがいいかな?と思うことがある。

たとえば、教育という意味で使われる英語educationである。いろんな先生方が、いろんな「壇上からのあいさつ」や「学校広報」で「education の語源には引きだすという意味があって、こどものよいところを引き出すのが教育だ」とお話されたり書かれたりしている。すでに100回は聞いたかもしれない(笑)。そう言われてしまうと「なるほどなあ」と思えて、とても「使える」話であることは理解している。

でも、いちおう、英語の語源に関する権威である寺澤芳雄先生編の『英語語源辞典』(研究社)に書かれている情報を、紹介しておこうと思う。

「ラテン語educareの原義は『卵をかえしてひよこにする』ことか。『児童の隠れた能力を引き出す』こととするのは俗説のようである」

寺澤先生はとても謙虚な方なので、「断言」を避けているが、語源専門家は俗説は俗説として見ているということである。

教育とは能力を引き出すこと。おおいにけっこうな解釈だと思う。反論する気はまったくない。でもその俗説をあまりにもとくとくと、なんのギモンもなしに声高に唱える人が、最近はスポーツ界の監督や会社の社長さんにまで増殖しているので、ちょっとうんざりしてきたまで。

無理に引き出そうとしなくても、ただひたすらあたためつづけて時を待つ(こっちのほうがたいへんな仕事だ)ことで卵はかえる、っていうこともあるのだ。

1 返信
  1. 月嶋 瞬
    月嶋 瞬 says:

    とんだ卵ちがいで、どうやら産まれてきたのは高いところに立つ人の傲慢さのようです。
    しかし、知らず知らずのうちに原義からずれた表現を使っている可能性は大いにある。
    もしそうなら、発話者は高いところに立つ資格を問われるることにもなる。
    紋切型の表現にも、注意を怠らず、真摯に向き合い、話を聴く人のことを忘れずに、言葉の純粋性を大切にしたいものです。
    言語感覚の鈍い人にならないように。
    うんざりは、まっぴらです。

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