鹿島茂『パリ、娼婦の館』(角川学芸出版)読み終える。「閉じられた館」(=娼婦の館)について、建物からインテリアから労働内容から経済から階級問題からサービスの内容から、あらゆる角度から論じられている。アカデミックに、人間にとってのエロス、というか男にとってのエロスのあれやこれやを学べる。装丁も渋ゴールドにピンク、活字もセピア色で、なんだか楽しい。学究的なアプローチのあいまに、おやぢで下世話な視点がたっぷり入っているのも、鹿島先生らしいサービス精神というか。変態プレイの具体的な描写の数々には、笑った。今でも同じようなことが、文明社会のどこかで行われているんだろうなあ(タイトルのフレーズは、もちろん鹿島先生の表現)。

文学や映画などによくでてくる社交場も、実はそういう場所だったのか!と驚くところ多し。名高い「スファンクス」とか。実態を知っているのと知らないのとでは、大違いである。

第一次段階としての社交的サービスと、第二次段階の直接的サービスが、切り離されているのは世界広しといえど日本だけ、という指摘がひっかかる。擬似恋愛を核としたキャバクラやクラブが(社交以上のサービスなしに)単独で成立しているのは、日本独特の現象だという。なぜなのか。

イギリス文化、とりわけジェントルマン問題をやっていて、ときどき隔靴掻痒感を抱くのは、このあたりの問題であったりする。英国紳士のダブルスタンダード。たぶん、イングリッシュ・ジェントルマン像は、娼婦の赤裸々な実態とその周辺が明らかになったら、また一味違う見え方をするのではないかと思う。そのあたりは遠慮して踏み込む人が少ないように感じるのだが。

パリに対抗するわけじゃないが(笑)、「ロンドン、娼婦の館」みたいな本が、あったらぜひ読みたいと思う。

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