2011年春夏のパリ・ファッションウィークにおいて、ピエール・カルダンが10年ぶりにコレクションを発表したというニュース。カルダンは88歳である。

60年代にスペース・エイジのコレクションで時代を方向づけ、形作った、すでにヒストリカルな伝説の域に達しているデザイナーである。車のインテリアからチョコレートまで、ライフスタイルを幅広く「デザイン」し、ライセンスビジネスを手がけた元祖でもある。

復活コレクションは、蛍光色や原色の宇宙飛行士風ボディスーツや男女おそろいのビニールコート、ラバーのアクセサリーや眼鏡(?)、UFO風帽子、幾何学的なミニドレスやサイバー風味の入ったパニエつきドレスなどなど、60年代のカルダンを21世紀風にアレンジ、といった感のあるコレクション。

レディ・ガガも最近、カルダンによるメタリックなコスチューム&帽子を着用したというし、最初のブームから50年たっていたら、今の人の目にはまったく新鮮に映っているかもしれない。

そんなことよりも、88歳で、10年ものブランクを経てパリコレに「復活」したカルダンの意志と情熱と行動力に心を打たれた。ココ・シャネルも80歳で「復活」している。周囲の嘲笑などものともせずに。50前ですっかり挫折した気分になってたのが、心底恥ずかしくなる。

80年代のメンズファッションに多大な影響を与えたオリバー・ストーンの「ウォール・ストリート」(1987)、その続編が間もなく公開ということで、あちこちで「ウォール・ストリート」ファッション特集が組まれる。(日本では来年1月末公開のようである。)

続編のタイトルは’Wall Street : Money Never Sleeps’(「ウォール・ストリート: 金は決して眠らない」)。リーマン・ショック版ウォール街? ゴードン・ゲッコーを演じるのは前と同じ、マイケル・ダグラスで、コスチューム・デザイナーも前と同じ、Ellen Mirojnick。チャーリー・シーンがやってた役の立場に相当する若手俳優には、シャイア・ブラーフ。

80年代の映画が世のメンズファッションに影響を与えた「パワールック」アイテムといえば、ネイビーのストライプスーツ、シルクのポケットスクウェア、フレンチカフのシャツ、サスペンダー、襟とカフスだけ白の、カラフルなクレリックシャツ。

The Wall Street Journal、22日付けの記事によれば、ファッション業界はすでに続編の映画の影響が波及することに備えているとのこと。NYのトレンディなシャツメイカー、Jack Robie からMohan’s Custom Tailors まで、映画のスタイルを紹介するプレスリリースを顧客に送っているらしい。(ということは、備える、というよりもむしろ、映画にあやかって新商品を売りたいという戦略?)

ゲッコーの着る「不況期のパワールック」に興味がひかれるところだが、コスチューム・デザイナーのことばを借りれば、ゲッコーはテイラーに行って新しいスーツを"Gekko-ized"(ゲッコー化)していく。写真のなかで目を引いたものは、スリーピーススーツで、ウェストコートに襟がついているタイプ。服地はドーメルやホランド&シェリー。水平ストライプのスーツもあるそうで、いったいどんな仕上がりなのか。

ポイントはむしろアクセサリーの方にあるようだ。ヴァシェロン・コンスタンタンやIWCの時計、ダンヒルの諸々のメンズアクセサリー、ヒッキー・フリーマンのシャツ、バートン・ピエイラの透明セルフレームのメガネ、懐中時計チェーンなど。

シャイア・ブラーフも、一着6500ドルのスーツを6着、映画のなかで着用するとのこと。シャツは白の2ボタンカラーでタイはエルメス。カジュアルではベルスタッフの革ジャケット。

おそらくブランドとのタイアップも無関係ではないと思われるが、不況時代のアメリカ的パワースーツがどんな風に表現されるのか、現実のメンズファッションに影響があるのかないのか、ウォッチしたいところ。

◇中国との関係の緊張の高まりが報じられる日々だが、タイミングいいのか悪いのか(たぶん、悪いのだろう)、『着るものがない!』の中国語版が完成したということで、送られてくる。

Photo_3

中国にも読者がいてくださるのは、とても励みになる。ありがたいことである。ただ、『モードの方程式』の中国語版のときには、大陸版、台湾・香港・マカオ版に加え、海賊版?みたいな、こちらが全然知らされていないバージョンまで現れていて、中国の底知れぬ力を感じてひやりとしたこともある。自慢っぽかったら恐縮なのだが、同じ本の中国語版でも、タイトルも表紙イメージもこんなに違うものが出る、という例として、ご一興まで。

Photo_2

とはいえ、「端麗服飾美容」などのファッション誌の仕事や、中国からの留学生たちとの交流を通じて、個人レベルでおつきあいしている中国の人々には、親近感を抱いているし、信頼もしている。国レベルでの外交がぴりぴりしているご時世だからこそ、「たかがファッション」が、国境を越えた友好と共感の媒体として力を発揮してくれることを祈りつつ。

◇昨日、クレアトゥールでヘアエステ中に読んだ新刊雑誌数冊のなかから、一晩眠ってなお脳裏に残っていることばの備忘録。細部の単語は一言一句正確ではないかもしれないが、覚えておきたい、と思わせられたエッセンス2つ。

・山田詠美が塩野七生にはじめて会った時の印象を評して、「塩野七生という王国のあるじのような」。塩野氏のバックグラウンドを知らない人でも、自然とかしずいてしまうような、圧倒的な存在感を讃えた文章のなかで。

・寺島しのぶのインタビュー記事でのことば。「ハッピーな人生ではなく、ドラマティックな人生を送りたい」。痛く共感する。

荒俣宏『図像探偵 眼で解く推理博覧会』(光文社 知恵の森文庫)読み終える。1992年初版なので昔ぜったいに読んでいるはずなのだが、すっかり忘れている。でも内容は今なお新鮮である。

いつもながら、いったいどこから集めてきたのか?という奇怪な図と、奇想天外な解釈で、アラマタワールドが全開。とりわけ興味深く感じたことをメモ。

☆イギリスのCGアーチスト、ウィリアム・レイザムの<形の征服>というコンセプト。「どんなに高度で複雑な図像も、実は四角とか三角とかいったごく単純な<原始形>をいじりまわした結果にすぎない」

「操作というのは、突き出させたり、たまわせたり、強調したり、つなげたり、ひねったり、叩き伸ばしたり、の六種類である。こうすると、形はどんどん変わっていく」

「立方体でも、球でも、これを無限に”彫刻”していくと、どんなに摩訶不思議な図像を作っていくように見えても、それはやがて私たちがよく知っているいくつかのイメージ・タイプにまとまってしまう。そのタイプとは、『建築物のように構造的な形』、『ケルト装飾のように幾何学的な形』、『有機体のようにうねうねとした形』、そして『中世ゴシック風のとげとげした形』」。

「私たちが哲学だ趣味だ思潮だといって極力神秘めかしてきた美術史上の様式区分は、すべて、形に対して加える”彫刻”すなわち操作のパターン集として解析できるのである」

→CGの時代になってもなお、形がすべて古典、バロック、ロマン、ゴシック、といった美術史用語に置き換えられる、という点に、なるほど、と。

☆18世紀半ばに描かれた蛇は、立ち歩きしている。這ってない。「蠕動」に近い動き方をする。なぜか?

17世紀のフランチェスコ・レーディという学者の説。「蛇が水中では鰭をもたぬ魚の一種であり、陸上では巨大な尺取り虫の一種とみなせる」。

「イギリスではシェイクスピアの昔からヘビを虫の仲間と考えたし、中国や日本でも、『虫』の字は元来ヘビのとぐろを巻く姿を形象したものだった。つまり、多くの土地ではヘビは『虫』だったのである」

→ゆえに、19世紀までの西洋のヘビ図は、立って這う姿に。

☆ブラジルの原住民がパンツをはいた理由。ブラジルの原住民はもともと裸で暮らしていたが、西洋人と並んで暮らすようになってから、パンツをはいた姿で描かれている。なぜか?

「キリスト教との西洋人は原住民にこう教えるだろう。裸でいることは罪なのだよ、知恵をもつとは、自分が裸でいることを恥じるところから始まるのだ、と。そして、原住民は裸でいることを恥じ、パンツをはいて白人と暮らすようになった・・・のか?

この答えは、半分当たって、半分外れている。たしかに彼らは自分の裸を恥ずかしく思った。しかしそれは西洋の知恵を獲得したからではなく、西洋人のペニスのものすごさに恐れをなした結果であった、と考えたいのだ。西洋人に向けた、彼らのおどおどした目は、この図からも如実に感じられる」

→この後に続く、とどめのアラマタ解釈がすばらしい。あまりにもおやぢっぽいおかしさで、ここではもったいなくて書けない。

◇ニューヨーク・タイムズ紙4日付、ニューヨーク・ファッションにおけるアジア系アメリカ人の台頭を分析する記事。興味深かったので、ダイジェストを備忘録としてメモ。

今年の6月、CFDA(Council of Fashion Designer of America)が新人賞を授けたのは、すべてアジア系のデザイナーだった。メンズウエア部門がリチャード・チャイ(韓国)、ウィンメンズウエア部門がジェイソン・ウー(台湾)、そしてアクセサリー部門が、アレクサンダー・ウォン(中国)。

今週の木曜からニューヨーク・ファッション・ウィークが始まるが、注目を集めるデザイナーの多くは、アジア系である。上記の3人のほかには、タクーン、フィリップ・リム、デレク・ラムなど。1995年には、CFDAのメンバーだったアジア系アメリカ人は10人ほどだったのに、今日では35人も。

アジア系デザイナーが台頭する理由は、1980年代のニューヨークでユダヤ系のデザイナー(カルヴァン・クライン、ダナ・キャラン、ラルフ・ローレン、マーク・ジェイコブズ、マイケル・コース)が活躍した理由とほぼ同じ、と記事は分析する。ユダヤ系移民は、まず労働者として、次に工場経営者、製造業者、小売業者として、そしてついにデザイナーとして、ニューヨークの服飾産業に関わり、一大服飾産業地区を作り上げた。今日のアジア系アメリカ人の祖先も、服飾産業にさまざまな形で(工場労働者からモデルにいたるまで)関わっている、と。

たとえば中国系の移民であるデレク・ラムの祖父は、ウェディングドレスをつくるファクトリーを経営していた。父は香港から衣類を輸入する仕事をしていた。だがデレクは、もっとクリエイティブなことに関わりたいと思い、名門デザインスクール「パーソンズ」に入学して1990年に卒業。2002年に自身のブランドを始める前は、マイケル・コースのもとで働いていた。

最初は「デレク・ラム」のコレクションはさっぱり売れなかったという。数シーズン後、ようやく動き始め、いくつかの賞を受賞して、2007年にマンハッタンに店を開き、「トッズ」の服とアクセサリーを手掛けるようにもなる。最近、上海と北京へ行って、自分の認知度の高さに驚いたという。10年前にはまだファッション・デザイナーという仕事に対する偏見があったが、今では中国人の目には「傑出したキャリア」のひとつとして映り始めている。

アジア系デザイナーがモード業界で脚光を浴びる背景に、ファミリーがNYで移民として広く服飾産業に関わっていた経緯があるという指摘が、発見というか納得というか。

だから、ここでいう「アジア系」に日本が入っていないのを別に嘆く必要はなく、日本は日本で、オリジナルの文脈から発信していけばよいとは思うのだが。ただ、日本ファッションを底上げして盛りたてる層やムーブメントが、他国に比べてあまりにも希薄というか、エネルギー不足に感じられるのが、少しさびしい。

日本はまだ外気温35度だが、カレンダーの上ではようやく「ファッションの秋」到来、ということで、夏枯れ状態だった各紙スタイルニュース欄に、記事が目白押し。印象に残った記事をピックアップ。

◇ロンドンの「紳士の聖地」ジャーミン・ストリートで、4日、12時から5時まで、交通規制のもと「ジャーミン・ストリート・ガーデン・パーティー」がおこなわれた模様。

フォスターズ&サン、チャーチ、T・M・ルーウィン、ハウズ&カーティス、ヒルディッチ&キイ、デュークスホテル、ダヴィドフ、フォートナム&メイソン、パクストン、そしてリッツなどのセント・ジェイムズ界隈の名店が参加。「ブリティッシュであること」をテーマにショウやピクニックやパーティーなどの形式を通じて、イギリス的商品のプロモーションをおこなうという趣旨。あー行きたかった。

このイベントにちなみ、テレグラフ紙(1日付)では、チャールズ皇太子をイギリススタイルを象徴するアイコンとしてあらためて称揚していた。ここ数年「ワグズ」とかスーパーモデル的なものとかがもてはやされていたけど、やっぱりイギリススタイルの変わらぬ骨格は、チャールズ皇太子にあるよね、と。

皇太子は昨年、エスクワイア誌の「世界のベストドレッサー」の第一位に輝いていた。不況とエコトレンドも後押ししてたのかもしれないが、「40年前の靴をリサイクルしてはく」という態度が、シック、ともてはやされている。

ジャーミン・ストリートには、そんなチャールズ皇太子が御用達とする店舗も目白押しだが、もともと王室の庇護のもとに発達してきた。記事によれば、1664年にチャールズ2世(「衣服改革宣言」をおこなった王様だ)が、宮廷用品をそろえることができる地域としてこの一帯を開発する権限を、ヘンリー・ジャーミンに与えたのがはじまり、という。サヴィル・ロウはスーツの聖地だが、ジャーミン・ストリートは総合パッケージ。テイラー、シャツメイカー、革製品店、香水店、帽子店、理髪店、食品とワイン専門店、レストラン、ホテル、王室の趣味にかなうものがすべてそろう。

ぎらぎらせず、適度に控えめで、守るべき分をわきまえたほどよい堅実さ。伝統と趣味のよさと高品質。自己主張しない慎み深さの魅力が、再認識されている。過激な方へ行ってはまたこっちに戻る、みたいな繰り返しなんだけど、そうやって戻ってくる基本が何百年も淡々と存在し続けていることじたいが、素敵だと思う。

かなーり昔にDVDで買い置きしておいた「バガー・ヴァンスの伝説」、ようやく観る気になって開封。自分でゴルフを始めてみないと、なかなか興味のわかない世界でもある。

「魂のスウィング」「自分のスウィングを取り戻す」「世界の中で調和するスウィング」「頭で考えず、場を感じる」などなど、人はなぜ「たかがゴルフというゲーム」に人生を語りたがるのか。

ゴルフだけではない。相撲でも野球でもサッカーでもマラソンでも、なぜか男の人は、スポーツを通して人生を語りたがる傾向が強い気がするのだが。

ロバート・レッドフォード監督で、マット・デイモン、シャリーズ・セロン、ウィル・スミス、と主演級は美しい俳優陣。出てくる人物がみんなそれなりに「よい人」である(ライバルでさえ)。たぶんゴルフ好きな人には楽しめる127分。

30年代のメンズファッション、とりわけゴルフファッションが美しく再現されている映画でもある。ニッカボッカーズこと「プラスフォー」、「ゴルフなんて気晴らしなのよ」というネクタイつきゴルフスタイルは、眼福。

日本フレグランス協会が、10月1日を「香水の日」と定め、日本初の「日本フレグランス大賞」を発表するそうです。

ノミネート商品は74品目。HP上での一般投票の部もあります。香水好きな方、お好きなフレグランスがあれば、投票いかがでしょう?

http://www.japanfragrance.org/page.php?page=grandprix

私は2週間後の審査会に出席し、本格的に審査をしてまいります。

香水にちなみ、天才パフューマー、ルカ・トゥーリンの、彼らしい名(迷?)言をご紹介しましょう。

「<ミツコ>(ゲランの香水)をつけて死んだ人間はいないが、ミツコをつけた結果、多くのベイビーが生まれたのだ」

香水は少子化防止に役立つ?(笑)