バイク乗りのクラブ「Hells’ Angels」が、自分たちのロゴをパクったとしてアレクサンダー・マックイーンを訴える。インデペンデント28日付ニュースで知る。

暴走族かと思いこんでいたが(失礼しました)、Hells’ Angelsは、1848年にアメリカで結成された、由緒ある(?)バイク乗りたちの非営利相互協力組織のようなものであるらしい。

ロゴマークは、横顔のスカルが、ギリシア神話の軍神マルス風ヘルメットをかぶっているデザイン。「デス・ヘッド」と呼ばれているもの。

スカルがあっちこっちのファッションアイテムにくっつく昨今、このロゴマークに目をつけるメーカーやデパートその他があとをたたず、「ヘルズエンジェルズ」側は、このロゴマークに類似したマークをつけるあらゆるファッションアイテムの撤退を求める訴訟を起こした。そのなかに、アレクサンダー・マックイーンの860ドルのドレスもある。高級デパートのサックスも訴えられている。最近ではディズニーともこのロゴマークをめぐって闘っていたらしい。

バイカーたちにとっては、ハーレーにもホンダにもまたがる気のないヤツらに、ファッションとしてデスヘッドをちゃらちゃら使われるのは許せん、というところもあるだろう。ましてや、金もうけのタネに使われて売れなくなったらポイ捨てというのでは、たまったもんじゃない。

それにしても、誰もがマネしたくなるというのも納得の「デスヘッド」のロゴ。考案者のセンスに感心。

「マッドメン」シーズン3、残りのディスクをすべて見終える。とりわけ第12話の「JFK暗殺」、第13話の「解雇通知」の、緊迫感と驚きの展開に深く嘆息。

「JFK暗殺」では、当時の映像がドラマのテレビの中で流れるなか、よりによってその日に結婚式を挙げるロジャーの娘の悲惨、ドンの秘密を知ってしまったベティの混乱はじめ、あらゆる登場人物の虚無や孤独や苦い後悔などなどが、あくまで控えめに、でも厳しく情け容赦なく描かれていく。社会的な大事件と個人の感情がぐるぐるとタイトにからみあって、大きな渦巻きになっていくような眩暈感。

「解雇通知」のスリリングであっと驚く急展開。会社がマネーゲームの対象になって翻弄されることに抵抗し、クーデターを起こすドンたちの、ここぞの結束にしびれる。ジョーンが「帰ってきた」場面で喝采したファンはさぞかし多かっただろう。まさかのベティの冷やかな離婚宣言にも凍りつく。「新しいパトロン」とともにいるベティが、決して笑顔ではなく、幸せそうではないことにもひっかかる。多くを失い、絶望のどん底に落ち、それでもふんばって、ささやかな新スタートを切るしかないキャラクターたちの淡々とした表情や後姿のショットに、ロイ・オービソンの「シャダローバ」が流れる。このラストがシブすぎる。

「シャダローバ(Shahdaroba)」は、夢が破れて心が叫びだしたいときにつぶやくことば。未来は過去よりもきっといい。「シャダローバ」は、途方にくれて絶望したときにつぶやくことば。きっといつか永遠の愛にめぐりあう。「シャダローバ」、運命が導いてくれる。

こんな感じの歌詞で、短調からスタートして長調がいい塩梅でまじりあっていく、セ・ラ・ヴィなメロディ。大人のリアリズムと哀愁が、深い余韻となって続く。

新会社はどうなるのか。シーズン4までお預け(アメリカではとっくに放映されているが)。

昨日訪れた、ドガ展@横浜美術館。「サライ」読者のみなさまとともに、学芸員のレクチャーを20分ほど聴いたあとでの鑑賞。

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第1章「古典主義からの出発」、第2章「実験と革新の時代」、そして第3章「総合とさらなる展開」という三部構成になっている。基本をきわめ、実験と革新に入り、晩年にはそれらすべてを総合する表現へ、と昇華していった芸術家の道筋がわかる。

有名な「エトワール」(意外と小さな絵であることに驚き)はじめ、「バレエの授業」、メンズファッションの本に必ず出てくる「綿花取引所の人々」などは、すべて第2章の時期に。

「エトワール」だけが他の絵とは距離をおかれ、別格扱いされていた。初来日とあって、この絵の前にはとりわけ人だかり。チュチュ(踊り子のスカート部分)から光を受けて透ける足のなまめかしい美しさに、見入る。「綿花取引所の人々」は、1873年当時のメンズファッションの「実例」としてしばしば引用される絵なのだが、ゴミ箱に捨てられた紙屑の細部、新聞のレイアウトにいたるまで、細かい仕事がなされていることがわかり、あらためて感心。

第2章では踊り子ばかりを描いていたようにも見えるドガは、第3章では執拗なほどに「浴女」を描く。見られていることをまったく意識していない、無防備に体を洗ったり拭いたりしている裸の女の後姿。「浴後(身体を拭く裸婦)」にいたっては、マニエリスムがいきすぎて頭部がどうなってるのかわからない(その異様なクネクネが魅力になっている)。

晩年は視力が落ちて、彫刻をたくさん作っていたということもはじめて知る。まとまった数のドガの彫刻が、一部屋分。

遺品の展示も含めて、132点。オルセイ美術館からは46点。素描の展示がやや多すぎる感もあったが、「古典」→「実験・革新」→「総合」にいたる芸術家の軌跡は、示唆に富む。女嫌いで独身を通した、というドガの顔の変遷も味わい深く。

20年ぶり、というかなり久々のドガ回顧展になるが、それは顔料が繊細なパステルだから。輸送中にパラパラと落ちるので、海外の美術館はなかなか貸与してくれないのだ。ということを学芸員の話から知る。

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乾いて澄み切った冷気がほどよく心地よい、みなとみらい。冬の兆しの気配。

ニューヨーク・タイムズの「T マガジン」が、ツイッター ‘The Moment’ で、ファッションIQテストというのを発信している。私自身はツイッターはまったくやらないが、IQテストがある程度まとまった段階で、不定期にチェックして楽しませていただいている。

マニアックな問題ばかりなのだが、モードニュースがオタク級に好きな人は、挑戦しがいがあるかも? 最近のテストから、比較的簡単なレベルに属するテストを、いくつか抜粋して紹介。

Q.1 次のデザイナーのうち、アルマーニ、プラダ、YSLすべてのブランドで働いたデザイナーは誰?

a) ステファノ・ピラーティ   b) トム・フォード  c) クリストファー・ケイン

Q.2  次のモデルのうち、11歳のときにリチャード・アヴェドンに撮影されたのは、誰?

a) ブルック・シールズ   b) シンディ・クロフォード  c) ミラ・ジョヴォヴィッチ

Q.3  バイアス・カットの考案者としてクレジットされているデザイナーは、誰?

a) マリー・クワント  b) オッシー・クラーク   c) マドレーヌ・ヴィオネ

Q.4 当初、シンプルなエプロンだけを作っていたブランドは、どこ?

a) アクリス  b) エスカーダ  c) エレス  d) アルベレタ・フェレッティ

Q.5 ベルギーのブリュッセル生まれのデザイナーは、次のうちの誰?

a) リズ・クレイボーン   b) オレグ・カッシーニ  c) 二コル・ミラー

さて、いくつわかったかな?

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写真は恵比寿ガーデンプレイスのコスモス。とくに意味はないのですが。「間」。

さて答えです。Q1,が a のステファノ・ピラーティ、Q2は c のミラ・ジョヴォヴィッチ、Q3が c のマドレーヌ・ヴィオネで、Q4は a のアクリス、そしてQ5が a のリズ・クレイボーンでした。

ファッションIQが高ければ高いほど、世間からは冷ややかな視線を浴びそうですね……。

◇ロンドン発のメンズ秋冬トレンドとして、テイラードのひざ丈オーヴァーコートが復活、という記事。ファイナンシャル・タイムズ、22日付。

ここしばらくは、冬場でもトレンチとか、ピーコートなどが主流だったが、フォーマルへの回帰の流れか、テレビドラマ「シャーロックホームズ」の影響か、ミリタリーの流れか、今冬はエレガントなロング丈のコートが大きなトレンドになる、と。

日本の市場にもそのうちにちらほら出回るとは思う。でも、スーツにナイロンジャケットが定番、という日本のビジネススタイルには、いつどの程度浸透するのか。こちらはこちらで独立したカルチュアになっている感もある。

ロンドン発のトレンドといっても、作り手にとっては、とにかく「去年とは違う」アイテムを買ってもらわないとビジネスにならない、というのも本音としてあるだろうし。

◇フェイク・ファー人気がリアル・ファーの需要を押し上げている、という記事。インデペンデント、17日付。

テクノロジーの発達で、フェイクファーがとてもしなやかで加工しやすくなり、リアル・ファーとの区別すらつかないくらいに完璧になった。

かくして、いたるところにリアルかフェイクかわからないすてきなファーが気軽に使われるようになる。「ファーは動物虐待に加担」というPETAが作り上げたようなムードは薄まり、文化的にファーはOK、という流れになっている。それが逆に、ヴィンテージ・ファーも含めたリアル・ファーに対する人気を高めることになった、と。

偽物が、本物に対する需要を刺激する。

皮肉だが、本物が真に「ホンモノ」であれば、いろんなケースでこの法則は成り立つように感じる。

◇某女性大臣のヴォーグ出演に関し、英紙の報道を見ていたら、いい格言に出会う。

Shirts should not speak louder than words.

「服は、ことば以上に大きな声で語ってはならない」

政治家はじめ、ことばを武器ないし商売道具とする方は、心に刻んでおいたほうがよいでしょう。自戒をこめて。

「マッドメン」シーズン3のボックスを観はじめる。まずはDisc1からDisc3まで。第6話の「ガイ・マッケンドリック」の話が衝撃的だった。

ロンドン本社から重役が訪れ、社長を引き継ぐ予定の男が、パーティー最中の「おふざけ」による事故で足を失う。重役たちは「ゴルフもできない男に仕事はムリ」と冷たい。夫の昇進とともに寿退社予定だったジョーンが、まさかの昇進フイで夫から「仕事を続けろ」と命じられるが、寿退社を祝う同僚にはとても言えない。退社パーティーでの涙の意味を、同僚は知らない。

「絶好調のときに、思いもよらないことに足元をすくわれて転落する。それが人生だ」みたいなドンとジョーンのやりとりが、そのエピソードに対する「警句」として効く。

「営業のコツは、流れには逆らわず、獲物がきたら確実にとらえること」。ラインナップから外されたロジャーに対し、クーパーが淡々と言う。

ささやかなエピソードひとつひとつに、苦いオチと渋いセリフがさりげなくついてくる。

くだらないことにはかかわらない、というドン・ドレイパーの態度は相変わらずかっこいいし、男性も女性も60年代ファッションを堂々と着こなしている。

衣装デザイナー、ジェイニー・ブライアントのことばがBOXにつく小冊子に紹介されている。

(男性キャストの衣装のポイントを聞かれ)「Tシャツをとてもぴったりに、パンツをとても高めに着せるようにしているの。おへその高さでね。それにパンツに折り目がないのは、あの時代の大きなことだったの。足首のところのたるみはとてもきらいなの。すべての男性は、最初、シャツのえりがとてもきつすぎていやだったのよ」

ドン、ロジャー、クーパーはグレイスーツが多い。なのに、襟の大きさ、選ぶタイの趣味と結び方、ジャケットのシルエットの違い、ウエストコートの有無、チーフのあしらい方などの微差を重ねることによって、同じグレーでも、3人それぞれの個性の違いが際立っている。ファンデーション(下着)からみっちり構築されている女性服は言うに及ばず。社会的な場面における服の威力を考えさせてくれるドラマでもある。

幻想がくずれそうな気もして保留にしていた、「新潮45」付録の白洲次郎DVD、ようやく観た。

最初の数分は写真による次郎の生涯紹介。つづいてようやく「動く次郎」(!)が登場。1957年11月20日の、内閣総理大臣官邸でおこなわれた「憲法調査会」第6回総会。白洲次郎が参考人として召集されたときのNHKの映像とかで、ほんとに短くて、しかも前後の文脈がわかりづらいので(本誌に解説があったが、それが詳しすぎてよけいわからない)、「ええっ?これで終わり?」感もあり。

ほんの短い映像とはいえ、人柄はうっすらと伝わってくる。次郎の左右に座っていた人が「原稿読み上げるだけ」の、絵にかいたようなお役人タイプだったからよけいに違いが際立ったのかもしれないけど、ちゃんと相手に言葉を届けようとする話し方だった。でも声は意外としゃがれていて、話し方もべらんめえ風味入る。スーツの着こなしは、周囲に抜きんでて美しい。

「劇的かどうかということは、これは人間の感情問題なので、劇的と思う人もいるでしょうし、劇的と思わない人もいるでしょうから、劇的なシーンのように本に書いてあることが違っているとは申しませんがね」

こういう表現のしかたに、イギリス紳士階級によく見られるシニカルなものの言い方に通じるものを感じて、にやっとしてしまう。

これだけの映像だけでは、憲法調査会の内容なんてまったくわからないので、「動いてしゃべる次郎が見られる!」だけで喜んでしまう、マニアックな次郎ファン向けかな。

ガーデンプレイスついでに、東京都写真美術館に立ち寄る。2階で「ラヴズ・ボディ 生と性をめぐる表現」展、3階で「二十世紀肖像」展。

前者の方はメディアでもとりあげられていて、期待が大きかったものの、点数が思ったよりも少ない。とはいえ、衝撃とともに「生と死」を考えさせられる写真と出会う。

ポスターにも使われている「転げ落ちるバッファロー」。デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチの作品。生と死の境界にいる、というか死へ転がり落ちていくバッファローの姿が、どこか白日夢のようでもありながら、荘厳な印象。死ぬときはこんなふうに、ふわり、くるり、なんだろうか・・・とか、とりとめなく想像が続いていく。

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ウィリアム・ヤンの「独白劇(悲しみ)より<アラン>」という一連の写真も、凄絶。エイズで死んでいく一人の若い男アランの顔の変化を、1988年10月から1990年7月まで、撮り続けたもの。各写真の下に手書きの覚書あり。

「エイズよりも自己憐憫で人は死ぬ」。

死の直前の昏睡状態の顔と、死んでしまった直後の顔も並べられる。「まるで死人のようだと思ったけれど、昏睡状態にあっても生きているアランと、死んでしまったアランとでは、その落差は言葉に尽くせないほど大きかった」。

目をそむけたくなる写真も少なくなかったが、死を考えていると、大なり小なりつきまとう現世の諸問題はいくらか軽減していくのがわかる。他人の理不尽な評価はじめ、慣例にふりまわされるだけのつきあい、自分がもたない美や富に対する羨望、虚栄でしかない体裁づくろいなど、「どうでもいいこと」がはっきりとわかって、ほんとうにどうでもよくなってラクになる。逆に大事なことも、見えてくる。

「二十世紀肖像」のほうは、好みどまんなかの展示。二十世紀初頭から現在までに撮られてきたさまざまなポートレイト写真を通して、時代の美意識や、社会に通底していた感覚、個人の内面までもが、容赦なく浮き上がってくる。太宰治、チャーチル、坂口安吾、桜田淳子、寺山修二&天井桟敷など、時間が経っているからこそ「わかる~」と感無量になる肖像写真も多数。

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「ポートレイトとは、今ここを生きる人間の似姿を、オブジェとして所有しようという願望」が生んだフェティッシュなもの、という解説に感心。

「ミス・アシダ」2011 S/S コレクション@恵比寿ガーデンホール。

エッジイな洗練とかわいらしさ、正統派エレガンスと茶目っ気のあるハズシ、保守的風味と艶っぽい大胆が、選び抜かれた素材と高度なテクニックによってなんの矛盾もなく調和する、という芦田多恵ワールドを堪能。そのまま「すぐに着たい!」と思わせる作品ばかり。

大柄のシルクシフォンとレザーの組み合わせを軽妙に生かした作品が目をひく。ミディ丈、ロング丈のスカートでも、前後の長さをアシンメトリーに変えたり、布をあえて重ねてひらひらさせることで、逆に軽やかさが生まれることを知る。各パーツの縁取り、レースのあしらい方、後ろ姿のアクセントにいたるまで、きめ細やかで丁寧な仕事ぶりが貫かれており、それが作品全体の品格につながっていることも感じる。一流の仕事というものは、分野がまったく違う仕事にも適用できると思わせるインスピレーション源に満ちている。

多くのモデルの髪型が、夜会巻きのバリエーションで、前髪のみ極端に長いなどの退廃風味がアクセントになっている。冨永愛も金髪のロックな夜会巻き風で登場、ひときわ迫力あり。強い眼力をもつこの人が着こなすマリンジャケット+白のハーフパンツが、強烈に印象に残る。

「ゴシップガール」セカンドシーズンの後半、BOX2を見終える。いろいろあったハイスクール生活も卒業式を迎え、これで、完。ほっ。

ここにくると登場人物ほとんど全員が「兄弟姉妹」(あらゆる意味で)になっており、なにがなんだか。くっついたり離れたりのめまぐるしさと、ここまでやるかの当惑の振舞いの連続に、やや食傷ぎみになる。最後の方は、矛盾もちらほら、つっこみどころも満載で、展開もやや雑になってきた印象。

とはいえ、食傷すれすれの振舞いが興味深いからこそ最後まで一気に見られたのだけど。あと味は、必ずしもよいとはいえない。むしろ、やや落ち込む(笑)。例えるならば、スキャンダルやゴシップでぎっしりの扇情的な週刊誌を思わず数冊まとめて読みふけってしまったときのあと味というか。そうやって読ませる側が、読者よりも一枚上手であるのと同じように、このドラマの作り手も、引っ張り方がうまい。

どろどろのなかにあって、ブレアのメイド、ドロータのキャラがおもしろく、この人をもっと見たいなあと感じていたら、DVDにはおまけとして「ドロータ物語」がついていた。短い話なんだけど、実はドロータは故郷のポーランドでは伯爵夫人だった!という話。本編がアッパークラスの華麗なるスキャンダルライフだとすれば、このおまけの世界は、メイドやドアマンたちのささやかなお楽しみの世界。19世紀のイギリス社交小説の、「貴族の世界」と「台所での召使たちの世界」の再現みたい。階級それぞれのお楽しみを、同じ階級の人間どうしで分かち合う。植民地からの移民が「別社会」として下層階級を構成していく、19世紀の階級社会そのまんま。

特典映像には、ファッションやアートの舞台裏も詳しく紹介される。ジェニーがデザインするとすればどんな服?とジェニーに代わってデザインする「ゴーストデザイナー」や、「ゴーストアーチスト」の存在を知る。見ごたえのある部分には、やはりお金も手間ヒマもたっぷりかかっている。