小笠原敬承斎先生『誰も教えてくれない男の礼儀作法』(光文社新書)。小笠原流礼法の解説。第一章の「男のこころ」は、武士道における心のあり方を説いているが、ジェントルマン道にも通じる点があり、興味深く読み込む。男性向けとされているが、男と同じような社会性を求められる現代の女にも通じる話である。以下、暗記したいと思ったセンテンス。

・「前きらめきを慎む」-自分の能力や個性を人前で得意げに見せない。

・「無躾は目に立たぬかは躾とて目に立つならばそれも無躾」(作法の知識があるのだ、とひけらかすことは、作法を知らないことと同じく、非礼に通じる)

・(徳川家康 遺訓)「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時をおもいだすべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身にいたる。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり」

「義侠」とは、心と身を修める忍耐強さのこと。

礼法の目的とは、こころを練磨すること。「こころが平穏で落ち着き研ぎすまされている人と出会ったとき、自分の本質を見抜かれてしまうように思うことがある。自分の言動に後ろめたさがある人にとっては、相手のこころの落ち着きが脅威に感じられることもあるのではないかと思う」

名越先生の本の教えを連想する。武士たちが身につけ、実践してきた礼法というのは、ウツにならず、心を意志的に強くするための修行法のひとつでもあったのではないか? 礼法で心身を修めることができていれば、ウツになりにくいのではないか、と感じる。

これから社会に出ていく若い人には、甘やかすのではなく、学校でも(もちろん家庭でも)、きっちりと礼法の基本を教えるべきではないのか。それによって心のコントロールを学ぶことができれば、社会でのサバイバル力にもつながるはず。

1 返信
  1. Ken
    Ken says:

    礼に適った仕草は、空間的には最も「誰の邪魔もしない」仕草のはずで、その逆をいけば「相手を殺す」技術たる原初の武術に通じる。
    その両方の仕草を極めるのが武士道というものなんじゃないかと思います。
    身体運用の徹底の後に、心がついてくる。。
    僕が剣道を習っていた時、先生からは「礼に始まり礼に終わる」ということを、さんざん繰り返し言われました。

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