「ニューヨークタイムズ」がツイッターでやっている「ファッションIQテスト」、以前にもご紹介したが、またオタク魂をくすぐる問題がぞろぞろ出ているので、最近の問題のなかから、ご紹介。

A. 最初に防水ウールを発明したのは、次のどのブランド? 1)バーバリー 2)バーブァ  3)アクアスキュータム

B. 「ナイロン・マガジン」のクリエイティブディレクターだったモデルは、次のうちの誰? 1)ヘレナ・クリステンセン  2)ケイト・モス  3)エル・マクファーソン

C. 「パーソンズ」(アメリカのデザインスクール)でバレエ団のキャプテンだったデザイナーは、次のうちの誰?  1)ジェイソン・ウー  2)トム・フォード  3)マーク・ジェイコブズ

D. リネンショップとして創業したのは、どこ? 1)バーニーズ  2)ハーベイ・ニコルズ  3)オープニング・セレモニー

E. デトロイト出身のデザイナーは、次のうちの誰? 1)ジョン・バルベイドス 2)ラルフ・ローレン  3)フランシスコ・コスタ

さて、いくつわかりましたか?

Yokohama

冬のみなとみらい、頭がいたくなるほど風は冷たいですが、空気はすっきり澄んできれい。

さて、答えです。

A. 3 1853年、アクアスキュータムのジョン・エメリーが発明

B.  1   ヘレナ・クリステンセンは1999年、ナイロン・マガジンのクリエイティブディレクターをつとめていた

C.  3 マーク・ジェイコブズは「パーソンズ」でバレエ団にいた!

D.  2  ロンドンのスノッブな高級百貨店ハーベイ・二コルズは、1813年、リネンショップとして創業

E.1 最近、人気急上昇のジョン・バルベイドスは、デトロイト出身

ちなみに私は「まぐれ」でAを正解できただけでした……。

おそろしく審美眼の高い「モノクル」の編集長、タイラー・ブリュレ様が、ミラノコレクション及びミラノのショウルームのトレンドを通して予測した、2011年秋のメンズウエア(マーケット)の予測。英「ファイナンシャルタイムズ」21日付。ざっと抜粋をメモ。

1.ミスター・USAを見限るな。

 スーツにフォーカスした多くのイタリアのブランドは、アメリカの顧客向けの売上げを上昇させている。ビジネスを成功させたいと願うアメリカ人男性は、シャープな印象を作る必要があり、もはやドレスダウンによってなんらかのアピールができる時代ではない。アメリカのビジネスマンはヨーロッパやアジアの同僚にならって、すっきりスマートなシルエットを採用したがっているのだ。

2.日本を見限ってもいけない。

多くのイタリアのファッションブランドは(大なり小なり)日本ヌキでビジネスはできない。日本人男性は、わかりやすいラグジュアリーブランドには走らない。日本人男性が買うのは、Boglioliのブレザー、Felisiのバッグ、Butteroの靴、Bigiのネクタイである。実際、小さなイタリアのブランドは、日本において記録的な好況期を迎えている。

3.中国の「ファッション・ドラゴン」は「メイド・イン・チャイナ」をほしがらない。

ヨーロピアンブランドであっても中国に生産工場を移したものは、ビジネスが減速している。洗練された中国人は、自分ちの裏庭で縫製されていながら「メイド・イン・イタリー」のタグがついたバッグなどほしがらないのだ。

4.韓国のエンジンに注目。

中国の成長は興奮ものだが、今年大きな好況をもたらすのは、韓国の小売業者のバイヤーであろう。韓国の男は、東京の男のようにドレスアップしたがっている。日本に次いで大きな可能性を秘めるマーケットとしてこの市場を見ているバッグ、アクセサリーのブランドにとって、これはグッドニュース。

5.未来はテイラード

しばらく続いたワークウエアのブームは終わり。メンズウエアはテイラードの方向へ向かうだろう。

日本人男性のファッション行動の観察に関しては、さすがタイラーというか。日本の男性の、洗練されすぎなほどにマニアックなファッション感覚が、イタリアの小さなブランドの経済状況をうるおしているという報告に、あらためて日本男性のファッションパワーを実感する。海外投資もいいけど、ふんばっているドメスティックブランドにもお金をつかってあげてください。

中国の「ファッションドラゴン」の行動も痛快。中国製なのにバッグのハンドルだけイタリアでつけて「メイド・イン・イタリー」にしている某高級ブランドに対する、痛烈なしっぺがえし。

澁澤『快楽主義』のつづき。幸福は快楽とはまったく無関係である、と幸福の偶像破壊をしておいて、第二章では、快楽を阻むけちくさい思想をこっぱみじんにうちくだいていくのだが、なかでも痛快なのが、ソクラテスの「無知の知」を一蹴してしまった点。

「自分はばかだ、無知だなどと世間に向かって宣伝するのは、用心ぶかい、小ずるい態度といわねばなりません。また、自分を知ろうという努力にも、なにかけちくさいものを感じさせます。まるで自分の財布の中の銭勘定にばかり気をとられているようなあんばいです」

自分で自分の限界を知らないからこそ、冒険することができ、その結果、自分の限界を破り、自分の能力をどんどん広げていくことが可能なのだ、というのが澁澤快楽主義。

自分の限界をよく知って、そこから外へ出ていこうとせず、小さなことしかやらなくなることを「サナギ哲学」(=蝶になれないサナギ)と呼ぶあたり、的確。

「『おのれ自身を知れ。』という金言は、人間を委縮させ、中途半端な自己満足を与えるばかりで、未来への発展のモメント(契機)がない。未来の可能性や、新しい快楽の海に飛びこんでいこうという気持を、くじけさせてしまいます。のみならず、このサナギ哲学は、無知や謙遜をてらうという、妙ないやらしさにも通じます。これは傲慢の裏返された形です」

「無知の知」を自覚することや謙遜が美徳だと思い込まされていた身には、けっこう痛烈な偶像破壊である。

また、快楽主義と禁欲主義が、実は同じ着地点をめざしているという指摘にも、はっとさせられる。

「エピクロス哲学も、ストア哲学も、自然と一致して生きることをモットーとしていたのです。自然と調和していき、なにものにもわずらわされない平静な心の状態、すなわちアタラクシアに達することを求めていたのです」

ストア派(禁欲主義者)にとって、自然と一致するとは、外界に対して緊張をもって雄々しくめざめ、万事に耐えるということ。

エピクロス派(快楽主義者)にとって、自然と一致するとは、外界に対してリラックスして、動物的に、そのときそのときにもっとも楽な姿勢を選ぶということ。

いずれの主義者も、それを通して心の平静にいたろうとする点では同じであるのだ。と。

歴代のダンディたちは、禁欲すれすれの苦行(としか見えないもの)をとおして、究極の快楽主義を貫いてきたことにも思い至る。

快楽主義の巨人たちのエピソードも圧巻。「彼らはいずれも、高い知性と、洗練された美意識と、きっぱりした決断力と、エネルギッシュな行動力の持ち主でありました。この4つの条件がそろって、はじめて人間は翼を得たように、快楽主義的な宇宙の高みに舞い上がることができるのです」

真の快楽主義者でいくには、強い意志と不断の努力と強靭な心身の体力と無尽蔵のエネルギーが必要であるようだ。ちんまりとした「幸福」にとどまっていては見ることのできない宇宙の高みに導こうとしてくれる言葉の数々。

誰もがちんまりとサナギにおさまっている今だからこそ、エネルギーをチャージする力のある本だと思うが、逆に、「そんなタイヘンな思いしなくてもいい。ただ細々と生きてさえいられれば」という反応が多そうな気もする。それも納得できてしまうほど今の日本の現実が厳しくなっている。

あけましておめでとうございます。

新しい年が、みなさまにとって良い年になりますよう。

◇ヴィレッジバンガードで予期せず出会った澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(文春文庫)。ダンディズム、反効率のロマン主義、反トレンドの個人主義、などなどの日頃ぼんやりと唱えていたことがすべて「快楽主義」というこの一点にフォーカスしていき、波長がぴたりと合って増幅したような感激をおぼえた一冊。

1965年にカッパブックスの一冊として刊行されたときには、「澁澤がこんな俗っぽい本を」とずいぶんファンをがっかりさせたようである。たしかに「らしく」ない平易すぎる語りだが、決して「薄く」はない。博覧強記の「アニキ」がおしゃべりしながら古今東西の快楽主義を説いてくれるような、読みやすさと読み応えが両立している本。

冒頭の、幸福と快楽の区別。「要するに、幸福とは、まことにとりとめのない、ふわふわした主観的なものであって、その当事者の感受性や、人生観や、教養などによってどうにでも変わりうるものだ、ということです。これに反して、快楽には確固とした客観的な基準があり、ぎゅっと手でつかめるような、新鮮な肌ざわり、重量感があります」

「文明の発達は、かならずしも幸福の増加を約束しない。むしろ人間の自由を束縛し、『現実原則』を発達させ、いきいきした快楽をつかもうとする人間本来の欲求を沮喪させる」

というわけで、現在書店に並ぶ凡百の幸福論をかるくふっとばす爽快な論が繰り広げられ、あらためて「快楽主義でいこう!」という意を新たにさせられたわけなのであるが、再読、再再読ののち残ったエッセンスのメモはまた後日に。