◇リビアのカダフィ大佐の息子や孫たちが殺された報道に続き、ビンラディン容疑者「殺害」でアメリカ中が「祝福」「狂喜」という報道。なにか間違っているとしか思えない。不寛容と復讐の連鎖が、さらなるひどい状況を生むことは、歴史がすでに教えているのに。

◇国立新美術館で「シュルレアリスム展」。シュルレアリストたちは、戦争へと向かうきなくさい時代に、活発に創作している。今回はとりわけ、激動の現実社会と、芸術家たちはどうやって折り合いをつけたのか?というギモンをもって観たのだが。

Surreal

1918年、第一次世界大戦のさなか、ルーマニア出身のツァラが「ダダ宣言」を書く。戦争をもたらした近代文明やそれを支えた人間のモラルを呪い、全否定するような、「何も意味しない」という挑発的な宣言。(原発の状況が一向によくならない今、これに加えてアメリカとイスラム世界の対立が世界大戦に発展するような悪夢が万一起きたら……などと想像してしまうと、この宣言にも共感がもてるところがある)

「全否定」ばかりでは持続しない、それでも芸術家は人間の可能性を追求しよう、という動きが起きる。それがほからなぬ、1924年のアンドレ・ブルトンによるシュルレアリスム宣言だった。

「心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、そのほかあらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気遣いからもはなれた思考の書き取り」。

オートマティスムによるイメージ奔流を流れるままに描きとめる、というような技法をはじめ、さまざまな技法によるシュルレアリスムが出尽くすころ、また時代がきな臭くなる。

1929年(ヒトラーが政権を獲得したのが1930年)、プルトンが発表した「シュルレアリスム第2宣言」がまさに現実社会の変革を視野に入れた運動だった。

「どう考えても、生と死、現実と想像、過去と未来、伝達可能と伝達不可能なもの、高いものと低いものとが、そこから見るともはやたがいに矛盾しては感じられなくなるような、精神の一点が存在するはずである」

乖離するふたつの世界を昇華して、統合するような芸術、それが第二次大戦直前のシュルレアリスムということか。

このあたりの時代に活躍した作家として、ヴィクトル・ブローネルがフィーチャーされていたが、このひとの作品を見たのは初めてで、ユニークで強い印象を残した。目鼻がとびだして伸び、筆になってカンヴァスになにか描いている「モティーフについて」とか、人から魂を吸い取っているような「光る地虫」とか、オオカミとテーブルが合体したオブジェとか、夢に出てきそうだ……(笑)。

おどろおどろしさ寸前の作品も多く、それらに比べたルネ・マグリットやピカソのなんと上品なこと!マグリットが出てきたらほっとするほどだった。

1918年のダダ宣言から、1960年終わりごろにポップアートすれすれになるまでの、シュルレアリスム運動の流れが理解できた。時代との関連がよくわかったのが収穫。点数が多い上に、1つ1つが強いエネルギーを発しているので、かなり疲れたけど。

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