田辺聖子『欲しがりません勝つまでは』(ポプラ文庫)。1977年に刊行されたものが、2009年にポプラ文庫になった版。第二世界大戦の前夜からその最中、終りまでを、「文学少女」だった田辺聖子の正直な視点から見つめた、半自伝のような物語だが、異常な時代の雰囲気がよく伝わってくる。前半は乙女チックでコミカルにのんびりと進んでいくので、途中で読むのやめようかと思ったほどだが、戦争が始まってからの後半が生々しく、現在の状況とも通じるところがあって、がぜん面白くなる。

戦争に勝つ予感がどこをどう押してもでてこなくなりながらも、負けるとは信じられなかった時の、国民の不思議な高揚。

「悲壮感にはしゃいでいるのかもしれない」。

「憂国の至情」にかられてハイテンションな言動をしてしまう同級生ら。震災直後の、なにか「ポジティブな言動をしなくては日本人ではない」みたいなプレッシャーに覆われた頃の空気を重ねて読んでしまった。

友成先生のおだやかな諌めが、鎮静剤のように効いてくる。

「こういう時節であるから、よけい、軽々しく動いてはいけない。いつかは戦争も終わる。みなさんの学問がまた役に立つ時代もくる。学問は戦争にも滅びない」。

それでも戦局がいよいよひどくなってくると、少女・田辺聖子は、大本営発表に「ほんまかいな」と内心思いつつも、日記にはスラスラと「どこからも叩かれない正論」を書くのである。「これからさき何十年か続くであろう幾多いばらの道を、断乎とふみしめ、最後の光明を仰いでひたすら、つとめはげんでいくのみである」と。

「自分で書きながら(ほんまかいな)と思っている。ついに私は、自分自身にさえ(ほんまかいいな)と思うようになった」。

自分自身が正直に思うことを、日記にすら書けない時代のプレッシャーというものが、やはりあるのだ。

戦後の、ころりと一転した価値観に、やすやすと乗ってしまうマスコミや同時代人の描写も、秀逸。

「人間の生命は地球より重い、という言葉も、どこからともなく吹いてくる風のように人々の心を染めてゆく。天皇陛下と国のためには、命は羽根より軽いと、特攻隊員は敵艦に体当たりして突っ込んだのは、ほんのこの間のことなのに、なぜこうもめまぐるしく世界は変わるのか」。

おそらく、<戦時中>は、強いて何かひとつの「正しい」考えに自分をもっていかねばならない、という圧力がおのずと働くものなのだろう。似たような状況にある今も、そんな同じ圧力に無意識にさらされていないか、ふと考えさせられる。

「戦時中の私は、『生けるしるしあり』とは思わないくせに、強いてそう思おう、としていた。自分のほんとうのきもちに蓋をし、オモシをのせていた。これからは、ほんとうの気持ちを、さぐりあてる力をもたなければ。天皇陛下に命を捧げることが幸福だ、とは本当に思っていなかったのだ。ただ、そう考えることが、美しく思われたからにすぎないのだ」。

おそらく、時代の空気に悲壮感が満ち満ちているときは、「そう考えることが、美しい」と思われることを、言ったり、書いたり、しがちなのかもしれない。それが本心から出た言葉でなくとも。

ともあれ、こうやって、悲惨な状況も愚かしい状況も、ありのままに書き記し、後世へ伝えていくこともまた、書くことを仕事とする人の愛情であり子孫への貢献である、ということを教わる。

1 返信
  1. 住吉千里
    住吉千里 says:

    「私が被災者の方にお伝えしたいのは、『時薬(ときぐすり)』という言葉です」
    そういう単語は無いそうだけれど、78歳の高木敏子さんの話に、「本当の言葉の力」を感じました。
    また、
    「『無限責任国民』拡大を規制せよ」という同世代の佐藤優氏の指摘も的を得ていると思います。
    本来、自衛隊や警察・消防と外交官などの一部官僚にのみ適用されるべき「国家のために命を捧げる」という『無限責任』を、東電(とりわけ原発労働者)に当てはめることは、ご指摘のとおり、正義の暴走に発展してしまう気がします。
    一休さん、どらえもん、ウルトラ兄弟の智恵と勇気が今こそ欲しい。
    (宇宙戦艦ヤマトは、テーマがリアルすぎ)

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