パリ&ミラノのメンズコレクションの奇天烈な作品に笑う。

http://fashion.telegraph.co.uk/ (Bizzare Trend from Men’s Fashion Week S/S 2012)

一方、

原子炉の現状に慄然とする。

http://www.youtube.com/watch?v=fjklBl0A9Kc

仕事としての新しいコレクション情報の収集。日々、のっぴきならない状況に加速がかかっていく原発のこと。矛盾するようだが、どちらも、生活というか関心のなかに共存して住み続けていて、もはや「日常」になっているというのが実感である。原発問題は、どうにかしたくても、無力感ばかりに襲われる。考え続けていてもどうにもならず、署名したってすぐには結果がよくなる話でもなく、能天気に見えようとも足元の仕事を地道に固めていくしか、時を過ごすすべがない。

そういう行き場のないもやもやを抱えていたところ、「ENGINE」8月号の鈴木正文編集長による巻頭コラムに出会い、じわ~と共感。

「(原発事故)は、数時間や数日や数カ月の忍耐によって霧消しないあたらしい危機だ。そして、僕たちのこれからの日々に常在する。(中略)逆説めくが、危機は常在するなら、例外的な瞬間でも例外的な現実でもない。非常ではなく通常になる。暗い映画館の扉のうえに点灯する『非常口』のサインを、僕は思い浮かべた。いま、僕たちの場所に、この明るい暗闇に、外部へと通じるグリーン・ランプの『非常口』はない」

「おなじ映画館の中で『非常口』を奪われた僕たちは、暗闇をさいわい、望めばこれまで見ずにすんだ隣人たちを、まじまじと見るだけでなく、かれらとともに生きていかなければならない。それは、避難所における集団生活に似るかもしれない。そうであるなら、隣人たちとの暮らしを、生きるに値するものにすることによってしか、僕たちはよく生きることができない」

この危機には、「非常口」がない。この現状のなかで少しでもよりよく生きることを考えるしかない。希望と絶望が共存するような発想だが、ああでもそれが現実なのだ。

でも、悲観するな、と無言で教えてくれる人がいる。

尊敬するジャーナリストのWさんは、癌と宣告されてからも、抗癌剤での治療を続けながら、精力的に明るく仕事や趣味に打ち込み、日々ますます周囲に勇気と刺激を与えている。Wさんは言うのである。「完治がない、逃げることができないなら、愉しもう」と。非常口のない現実との折り合いをつけつつ、最大限によく生きようとする姿勢を示し続けること。それがこの上なく尊いことであることを、Wさんは身をもって教えてくれる。

唐突に感じられるが、下の写真はWalter Van Beirendonckによる2012 S/S の作品。笑ってしまったのだが、いろいろと上記のようなことを考えてみると、「出口なしの閉塞空間で生きること」を暗に表現した作品だったのか?と思わず深読み。

Waltervan_beirendonck

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