英「インデペンデント」30日付に、興味深い記事。The New York Timesの記者としてパリに赴任したElaine Sciolinoが、アングロサクソン系の視点から「誘惑の国フランス」を観察・分析している。Liberte, egalite, flirtation: How I learnt to play France’s national sport of seduction.

『誘惑:フランス人はどのように人生のゲームを楽しむのか』という彼女の著書からの抜粋記事である。ちょうど今、来週の「ブランメル倶楽部×DANSEN」のイベントに備えて「フランスらしさとは何か?」を研究中だったので、自分のメモを兼ねて、以下、とくに興味をひかれた部分の概要を抜粋。まわりくどいところは超訳で。

・エレーンがフランスで学んだことは、誘惑の重要性。いたるところにflirtationessが浸透している。ただし、英語でseduce(誘惑)というと、否定的で、性的なことがらに限られるが、フランスではもっと広い意味で使われる。イギリス人が、charm, engage, entertain と表現するようなところでも、フランス人はseduceを使う。フランスでいう誘惑は、必ずしもボディコンタクトを伴わない。偉大な誘惑者は、言葉で愛撫する才能をもち、視線で相手をひきつける術を知り、完璧なロジックで同盟関係を結ぶ。誘惑のターゲットは、男であれ女であれ、魔力のシャワーあるいは磁石のような引力を経験することになる。

・誘惑のゲームを行うためには、いくつかの武器を習得しておく必要がある。

[E:one] 視線:視線がからみあえば、電気的なエネルギーが生まれ、それによって「絆は結ばれた」とたちまちに理解できる。ほのかにセクシーな視線はまた、相手の武装を解除させることにも有効である。2009年4月、カーラ・ブルーニは、自分の名を呼ぶ大勢のフォトグラファーの前に立たねばならなかった。彼女は、その中の一人に自分をゆだねることにした。5分間、他の男は無視し、その男だけを見ていた。その男は仰天し、完全に骨抜きにされた。このフランス的視線は、大きく口をあけるアメリカンスタイルの笑いを伴ってはならない。謎めいて奥深い瞳を使って届けなければならない。決してウィンクはするな。フランスの女はウィンクをしない。ウィンクをすれば顔を歪めることになるのだから。

[E:two] 言葉:フランス人にとって会話というのは、情報の授受というよりもむしろ、言葉による相互愛撫である。言葉が性的誘惑の道具として使われるとき、曖昧で控えめな表現がもっとも効果的である。正面から切り出すのは、野蛮で卑俗とみなされがち。女性は甲高い声を出さないようにすること、そして男性は低いトーンを磨くこと。

[E:three] ソーシャルキス:ほとんどのソーシャルキスは、儀礼的に、互いの頬にキスするもの。だが、これが甘美であると同時に困ったものでもありうる。どの程度「濃い」ものにするかはその人次第。

[E:four] 3C、すなわち、climate, calembour, contact:climateとはコンテクストというか、雰囲気。なんでもない状況であっても、互いにキスしたくなるような、マジカルな雰囲気に変えうる。calembourは、ジョーク。男は女を笑わせなくてはならない。ただし、さりげなく。contactは道路を渡るときにさりげなく腕に触れるなどのフィジカルコンタクト。

大事なことは、フランス人は、以上のような前後のプロセスそのものを重んじ、スリリングで価値あるものとして楽しんでいる、ということ。

・このフランス式誘惑術が、政治の世界においても不可欠な影響を与えているという指摘が面白かった。対するアングロサクソン系は、政治にセクシュアルな要素が入り込んでくることは危険で、タブー。

・誘惑テクニック: フランスとイギリスの比較。

[E:wine]フランス:注意深く選んだ相手にだけ、「贈り物」として微笑みが与えられる。

[E:wine]イギリス:相手かまわず微笑む。とりわけ、酔っぱらったとき。

[E:boutique]フランス:メイクアップは、目元か口元かどちらかのみ。決して両方強調することはない。

[E:boutique]イギリス:メイクアップは顔中ぬかりなく。加えてフェイクの日焼けまで。

[E:restaurant]フランス:食事は、誘惑の儀式の一部である。

[E:restaurant]イギリス:ディナーはソファで、テレビつき。

[E:rouge]フランス:香りはごくかすかに、謎めきながらもこっちへおいでというサインとしてまとわれる。

[E:rouge]イギリス:香水は力をふるいすぎる傾向にある。

[E:pen]フランス:秘密厳守は絶対である。メディアにおいても。

[E:pen]イギリス:キス・アンド・テル。(情事はバラす)

[E:eye]フランス:電気的なエネルギーをもつ視線が交わされる。

[E:eye]イギリス:あからさまな色目か、まったく目を合わせないかのどちらか。

[E:kissmark]フランス:社会階級により、2回から4回のあいさつのキス。

[E:kissmark]イギリス:キスは1回。その後はぎこちなくうろつくのみ。

記事概要以上。

英・米・仏各国のファッション、メイク、香水、ワイン、食、結婚制度、男のスーツ、メディア、政治、すべて以上の視点を考慮する必要があること、あらためて強く認識する。

7月13日(水)に行われた、シャネル(株)代表取締役社長、リシャール・コラス氏の特別講演。明治大学商学部主催のファッション・ビジネス特別講演シリーズ、前期の最終回である。

リシャール・コラス氏の今回の講演のテーマは、LUXEのプレイヤー(コラス氏はactorという言葉を使っていらしたが)。ブランドのトップによって戦略が変わるということを、具体的なラグジュアリーブランドの例を引き合いに出しながら、お話いただいた。個人的にはツボにどまんなかというか、大好きすぎるほどの話だったので、わくわくしながら拝聴。「事実」やデータの裏にある、さまざまな人間くさいお話は、やはり「プレイヤー」のひとりでなくては語れない内容。ジョークを交えてのとても楽しい90分で、時にげらげら笑いながら、あっという間に時間がきてしまった。以下、とりわけ印象に残ったお話の概要を、ランダムにメモ。

・Boom, Consolidation, Expand, Crisis ときて、ラグジュアリービジネスの今はReboundの時期。

・リーマンショック後のラグジュアリービジネスの動向。アメリカは回復が早く、すでに「健康的」な数値を見せている、ということに軽く衝撃を受ける。2010年は日本以外は成長していて、なかでも最大の伸び率を見せているのが中国であり、なんと30%増。日本だけがマイナス10%という「非健康的」な伸び率。要因は2つ。まずは、日本はすでにマチュア・マーケットになってしまっており、おじいさん、おばあさんの世代は富のシンボルとしてラグジュアリー製品を購入したが、豊かになった日本の若い世代はもはやラグジュアリー製品を買う必要を感じていない。その2。観光客を呼べなくなった。これまでは中国人が来るときだけ売れたということがあったが(日本での売り上げの20%が中国人観光客によるもの)、これがなくなった。ただし、観光客を呼ぶためのインフラをどんどん作れば、第2のブームがくる可能性はある。

・ラグジュアリー市場は全世界で20兆円。かなり巨大なマーケットである(スイス、マレーシア、エジプトの国全体より大)。ちなみに日本は436.7兆円。

・キープレイヤーであるLVMH、PPR、リシュモンなどの、それぞれの歴史と市場規模、店舗数、売上高なども、数値をすべて示して教えていただいた。なかでもトップの考え方がわかるエピソードが印象に残る。たとえばLVMHのベルナール・アルノー。彼はアメリカで不動産業などにも携わっていたのだが、ブランドビジネスの重要性に気づいた。気づかせてくれたのが、NYのタクシーの運転手。「NYのタクシーの運転手は、フランス大統領の名前を知らないのに、クリスチャン・ディオールを知っている」。で、アルノーはクリスチャン・ディオールの買収にも成功している。

・エピソードの続き。リシュモン・グループのカルティエ。70年代にペランが、「マスト・ドウ・カルティエ」(豊かになる人は、これを持たねばならない、としてカルティエ製品を位置づけ)を提案して以来、急激に伸びる。ぺランは、ラグジュアリーのなかにマーケティングを持ち込んだ最初の人。これ以来、ラグジュアリーは大衆的になっていく。ちなみにぺランはただのセールスマンだった。

・グッチの場合。オーナーのパワーによってブランドの元気が左右されている、もっとも顕著な例。

・ラルフ・ローレン。ローレンはWASPではないが、WASPのコードを引っ張って大衆に夢をもたせることで、ファッションブランドを成功させた。日本では西武百貨店と組んでライセンスビジネスもおこなっているが、本家ものも同時進行。ライセンスがあってもイメージダウンせず、ライセンスと本物を共存させ成功させている、唯一の例。

・ブランドのオーナーが変われば戦略も変わり、元気になったりそうでなくなったりする。上場すれば、3か月ごとに株主の前で報告しなくてはならないので、いやでも短期的戦略をもたざるをえない。短期的戦略をとれば、ブレることが多い。軸がブレると力が落ち、そこをついてニセモノもふえてくる。

・シャネル社は上場していないプライベートカンパニー。非上場のため、売上高なども公開していない。だからこそ、ブレない戦略をとることも可能。

・ブランドにとってのデザイナーとはどのような位置づけなのか? (これは学生の質問に答えての話)  ブランドに雇用されるデザイナーには、ブランドのエスプリ把握とデザイナーのセンス、両方が求められる。デザイナーが交代するのは、往々にして、ブランドのエッセンスをつかみきれていないとき。ブランドのエッセンスのなかに自分のパワーを入れているデザイナーが、成功する。カール・ラガーフェルドはそのよい例。ココ・シャネルの名言のひとつに、Fashion Fades, Only Style Remains. というのがあるが、「スタイル」というのがほかならぬブランドのエッセンス。かといって移り変わる「ファッション」も不可欠。移り変わるファッションと、根っこの部分にあるスタイル、ブランドにはこの両方が必要なのだ。根っこ、すなわち伝統と歴史さえあれば、ブランドは死なず、またいくらでも元気になりうる。ブランドは何度でも復活できるのだ。その点で人間と同じである。

などなど、興味は尽きなかった。ブランドとは、とても人間くさいもので、またブランドの成長過程は人間の成長にもなぞらえることができるものだということまで、教えていただいた。コラス先生、および招聘してくださった商学部に心より感謝します。

宮内淑子さん主催の第130回「次世代産業ナビゲーターズフォーラム」に参加。メインの講演は、小宮山宏さんによる「日本『再創造』-『プラチナ社会』の実現に向けてー」。

小宮山さんは東京大学総長として大学の改革をばりばり推進した方で、現在は三菱総合研究所の理事長。日本の再生に向けて、具体的なデータを豊富に示しながら、くっきりきっぱり、日本が向かうべき方向のビジョンを示してくださった。情報量が圧倒的に多いうえ、内容もかなりハイレベルだったので、私の乏しい理解力が及んでいない部分もあったかと思うが、以下、概要のなかでも、なるほどと思った部分をランダムにメモしておきます。

・日本は2050年までにエネルギー自給率70%をめざすべき。そのために省エネ&創エネが必要だが、まずは省エネ。エネルギー効率を高めることで、かなりの省エネができる。個人が日々の暮らしのなかでできるレベルでいえば、「窓ガラスを二重にする」「冷蔵庫を買い替える」(日本の冷蔵庫のエネルギー使用量はこの20年で5分の1になっている。ただちに買い替えを!)「照明をLEDに変える」「太陽電池を設置する」「ハイブリッド自動車にする」「ヒートポンプ式給湯器エコキュートやエコファーム)を導入する」(給湯をこれでおこなえば、ガスの無駄がなくなる)。これだけでずいぶん省エネに役立つとのこと。最初は投資が必要だが、時間軸のなかでみるとかなりおトクで、投資はすぐに回収できる。実際、小宮山邸は、このような省エネに向けた改革をして、81%のエネルギー削減に成功している。12年で投資が回収できる計算になるという。小宮山さんの名言―「省エネは回収できる投資である」。

・上記のことは建築基準法を変えて「一重ガラスを禁止」にするとか、冷蔵庫などの機器買い替え促進のための消費制度を作るなりして、とにかく積極的に推進していくべき。じゃないと、このままではカタストロフが起きる。総体として2050年にはエネルギー効率が三倍に高まってることが妥当というか理想。

・林業を復活させ、バイオマスエネルギーを活用せよ。

人工物は飽和する。20世紀は「普及型の需要」(車、家、テレビ、新幹線)があり、高度成長も可能であったが、それはいったん普及してしまうと、飽和する。21世紀には、「創造型の需要」を作り出さねばならない。創造型需要、すなわち内需を生み、雇用を創出するような需要である。個人レベルで考えても同じことが言える。すでにモノはすべて所有している。衣食住が足りてしまっている。で、「私はいったい何がほしいんだろう?」という問題が生まれるのが21世紀。ここに産業が生まれるヒントがある。

・幸せな加齢のための五条件。「栄養」「運動」「社会との交流」「柔軟性と好奇心」「ポジティブな考え方」。この5つがそろうと、人間は幸福に歳を重ねていくことができる。

・20世紀には「坂の上の雲」をめざすモデルが有効だった。国が主導し、産業を導入し、GDPを上げることを目指してがんばることができた。だが。21世紀に入ってみると、「雲に入ったら霧だった」!先が見えない。今、目指すべきはプラチナ社会(=エコロジカルで、高齢者が参加し、人が成長し続けていくことができるような社会)である。市民主導で暮らしをよくしようとすれば、新産業が興る。結果、国も強くなっていく。

・市民や地方自治体が、ビジョンを共有したそのうえで、各自の改革を、多少強引でも進めていくべき。国の顔色をうかがうな。

ほかにも有意義なお話をたっぷりうかがったのだが、メモしきれない。より詳しく正確なお話は、小宮山宏さん最新刊『日本「再創造」』を! エネルギー問題、高齢化社会問題、幸福論、地方自治の問題、産業の問題、知識の構造化問題などなど、それぞれの関心に応じて響くところが必ずあると思われる。解決すべき問題が山積する日本だが、ビジョンを共有し、そこに向かって各自がそれぞれの立場で解決策を模索することが義務であり、権利でもある、ということをパワフルに説いていただいた。感謝。

ちょっとした脱線話も面白かったのだが、なかでも、グラフを書くときに横軸と縦軸の単位を変えてみると、グラフの形がまったく変わるという話。車体重量を横軸にとり、燃料消費量を縦軸にとると、きれいな比例直線ができる。「原点を通る直線は美しい」という小宮山さんの決めゼリフ、ほかでも応用可能だなあと納得(笑)。

さらに読む

ブレンダ・ラルフ・ルイス『ダークヒストリー 図説イギリス王室史』(原書房)読了。久々に血が騒いだ歴史本。ノルマン征服のウィリアム王から、ナチのコスプレで世間を騒がせたヘンリー王子まで、イギリス王室の「恥部」(と前書きにある)の歴史が、ふんだんなビジュアル資料とともに、描かれる。

スキャンダルに陰謀に裏切りに残虐行為。ほんと、よくもまあこれだけ延々と「ありえない」ような話が出てくるのか、とあらためて感動する。でも、イギリス史好きなのは、ほかならぬロイヤルスキャンダルが面白すぎるからなのよね。人間味がありすぎて、ドラマチックすぎて、感情を深いところでゆさぶり、社会や人間を考えるためのインスピレーションに満ちている。ヘンリー8世と6人の妻の物語なんて何度語っても飽きないし(聞かされる人には申し訳ないが)、エリザベス1世とメアリーの確執、それに続く後継者の満ちた物語なんて、読むたびにしびれる。自分が処刑した女の息子が、ほかならぬ自分の後継者となる……だなんて皮肉すぎ。エドワード8世とウォリスの話も語り飽きないし、ダイアナ妃の話もあちこちで書いているが、そのたびに違う側面が見えてくる気がする。なまじのフィクションなど追いつかない面白さだと思う。

巻末で、監修者の樺山紘一氏が、「イギリス人は、なぜ王室スキャンダル嗜好にはしるのだろうか」というテーマで解説している。

「そこには残虐や不品行、暴虐から悪行にいたる、あらゆる人間的な営みへの、強烈な関心がかいまみられる。つまり、そのもととなる事実をこえて、推理や筋立てといった、いわば第二次的な言説のほうが、とめどもなく増幅してゆき、ほとんど全民族的な話題と噂となって、国土のうちをかけめぐる。これこそ、イギリスという国の独特の事件風土である」

そのあたり、よくわかる。私が好きなのもこっちだ。事件そのものというより、事件を巡る解釈というか、言説のほうが面白くなっていくのだ。だから事実そのものの厳密な正確さは、それほど重視していないようなところがある。

コナン・ドイルとかアガサ・クリスティが出てくる土壌もここにある、と樺山氏。

「イギリス人にとって、残虐と悪徳が主人公となる話立ては、最高の娯楽であり、また現実に対する独自の解釈である」

そうそうそう、残虐嗜好というよりもむしろ、「残虐に対する解釈」のほうを楽しむ、というイメージ。

「かれらにとって、王室をとりまく暗黒の霧すらも、それがほんとうの事実であるかどうかは、さして問題ではない。かぎりなく常識を離れた事件性にこそ、自分たちをとりまく社会を解説するための最良の鍵がかくされている」

樺山氏の解説をここまで読んでよくわかった。自分のイギリス史に対する関心と、モードに対する関心はほとんど同じ性質だということが。事実がどうであるかということよりも、それをめぐる解釈や言説が限りなく面白いのである。日常離れしているように見える現象のなかに、自分をとりまく社会を解説するためのカギを見つける。たぶん、それが好きで、続いている。そういう自分の方向性にも気づかされた本。