切り抜きの山の中から、再読して「やっぱり重要」と思った記事2つのメモ。大部分は、そのときには盛り上がっても、2~3週間後に読むと「流してもいいかもしれない話」になっている。だからこそ逆に、後者のほうがあとから貴重度が増してくるかもしれないので、やはりその都度、何かあとで参照できるようにしといたほうがよいのだとは思うが。時間と体力・気力とのせめぎあい。

◇朝日新聞7月31日付、ザ・コラム 「災害と専門家 『敗北』にたちすくまずに」 by 山中季広

イタリアの地震において、地震学者の権威が、直前に安全宣言を出したことで過失致死罪に問われたことをめぐるコラム。

訴えられたのは、国立地球物理学火山学研究所長エンゾ・ボスキ氏ほか。

経緯は、こう。ラクイラで群発地震が半年ほど続き、在野の研究家が、地下水の観測をもとに「大地震が来る」と断言。市民の不安をしずめ、観光客を遠のかせないため、政府は安全宣言のお墨付きをほしがり、学者7人を現地に招いて討議させる。何人かが「安心してよい」と宣言した。

その6日後に、本震が起き、住民309人が犠牲となる。学者7人全員が起訴された。

告発は、正しく予知できなかったという理由によるものではない。予兆か、たんなる群発か、見極められないなら、そのようにありのままに語ることこそが誠実な態度であるはずなのに、あまりにもその誠実さを欠いていた、というのが理由。

関東大震災の時にも、同じような論争があったことが、コラムでは記される。「大災害には至りません」と告げるのが役どころだった地震学者の権威、大森房吉という人がいたそうである。群発地震に市民がおびえても、「大地震は来ない」を繰り返し、翌年、関東を巨大地震が襲った。大森は、責任を感じ、病気を悪化させて2か月後に亡くなる。

山中さんの締め。「共通するのは、市民が不安を訴えたこと、専門家は安全だと言ったこと、そして専門家の判断が間違っていたことだ。専門家の敗北としては、あえなく崩れた原発の安全神話も同じだろう。

思うに、これまで何世紀もの間、専門家の仕事は『解明できたこと』を語ることに尽きた。しかし東日本大震災を境に、期待される仕事は一変した。いま人々が渇望しているのは、専門知識をもってしても解明できないことを率直に語る誠実さだろう」

◇もう一つは、過去からの予言シリーズ、第1回。筒井康隆の小説『霊長類、南へ』(1969年)をめぐる筒井へのインタビュー。朝日8月22日付。

70年代には滅亡論がさかんだったけど、その後、文明批評色の強いSFは潮が引き、「文明が滅んだ後の暴力と荒廃の世界だとか、剣と魔法のヒロイックファンタジーだとかになっていく」。

なぜ、文明批評は消えたのかという問いに対し、筒井の答え。「設定やアイディアは書き尽くしたし、冷戦構造が壊れて批評の足場がなくなったし、若い人が本を読まず、大状況を書いたり読んだりする能力を失った。誰もが原発からエネルギーを享受し、グローバル資本主義に浸って生きています。そうしなければ生きていけない時代に文明批評を書いたってしかたがない」

今後、革命的な転回が起こる可能性は、との問いに、筒井の答え。「ないでしょうね。マルクスが予言したように、資本主義は世界を支配したとたんに自壊を始めて、すでに破綻していますし、フクシマの事故があっても原発は地球からなくせない。このふたつは車の両輪ですからね。こんな巨大な自走するシステムは、動き始めると止められないんです。人類の叡智を駆使しても、せいぜいあと数百年でしょう」

2 返信
  1. はすざわ
    はすざわ says:

    『専門家の・・』のエントリーを拝見して、科学者は今まで科学技術によって『あれができる、これもできる』と言ってきたわけですが、これからは『あれはできるけど、これはダメ(人類には不可能・あるいは理論的にはできても手を出してはいけない)』ということを、きっちり線引きするべきだ、ということを強く感じました。それは核エネルギーの利用であったり、癌の完全な制圧であったり・・。
    このへんは、学者にとっての給料の源である研究費の出所の問題もあって、そう簡単にはいかないのでしょうけど・・。
    筒井さんの問題意識に近いことは私も考えてまして、このままだと人類の長い歴史に比べればゴミみたいに短い『資本主義時代』ために、この地球に人類そのものが生存できない時がきてもおかしくないかも、と。
    それなのに、経済成長のために原発が必要だという人が少なからずいて、しかもそういった人たちが権力や金力を握っているわけで、そういったエラい人がよく口にする『長期計画』という言葉は恐るべきジョークのようにしか聞こえませんね・・。

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  2. kaori
    kaori says:

    >はすざわさん
    おっしゃる通りだと思います。長期計画っていうのは、究極のブラックジョーク。でも人々の雇用に責任のある方は、そう言わざるをえないぎりぎりの状況にある、というのも現実なのですよね。
    日々、矛盾をつきつけられる問題が周囲に起きているのに、自分の無力を感じるばかりです。せめて「注目し続ける」「考え続ける」ことはやめないでおこう、と思っています。

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