昨日、シャネル社社長リシャール・コラス氏による「リュクス・セミナー」第4回目に参加。明治大学商学部ファッションビジネス特別講座の一環。以下、ほとんど自分のための備忘録のようなものだが、個人的になるほど、と思ったことの概要をメモしておきます。

今回のテーマは「無形資産」。数値として変換できない価値が、実は消費者の頭の中に存在していて、これがブランドの価値を決め、売り上げを大きく左右する。

では、その価値を具体的にどのように測るのか?

その方法の一つとして、第三者に依頼しておこなう、ブランドイメージの調査がある。ラグジュアリー製品となると、とりわけ「消費者がどう見ているか」というブランドイメージが重要になるのだ。

しかも、ブランドイメージというのは生き物であって、定期的・継続的に見ていく必要がある。その意味では健康診断のようなものでもある。そして、製品とは無関係であっても、なにか企業回りに大きな「失敗」があると(たとえば、社員によるセクハラなど)、とたんにイメージがダウンする、というデリケートなものでもある。ゆえに、イメージのファクターは、「こういうイメージを消費者に届けたい」という戦略だけで決まるのではなく、外からの要因にも大いに左右される。

ラグジュアリー・ブランドに関するイメージ調査に関しては、どんな人に聞くか、というターゲットも重要になってくる。ランダムに聞いても意味がない。具体的には、東京圏・大阪圏に住む24歳~60歳の女性、200名で、ラグジュアリー製品のレギュラーユーザー。ラグジュアリー製品年間購入100万円以上の独身女性で、年収1000万以上、など具体的に対象を決める。

ブランド・エクイティの3つの要素として、Saliency (際立っていること。一番最初に思い浮かべてもらえること=Top of mindにくること)、Value、Strength(イメージの強み)がある。Saliency + Value + Strength、この総和を3で割ったものが、ブランドエクイティ。

この結果を見て、ブランド側は、長期・短期の戦略を立てていく。期待に添えていないなら、それを改善する努力をし、誤解があって価値が伝わっていないなら、それを伝える努力をする。data→改善努力→data→改善努力…の繰り返し。

……という総論があり、具体的に「ラグジュアリーブランド全般に関して」、「既製服に関して」「ハンドバッグに関して」「フレグランスに関して」「メイクアップに関して」「時計に関して」という各項目のもと、細かなデータの結果を示していただきながら調査結果を教えていただいた。個人的には、どのような「ことば」の分類でもって消費者のアタマのなかのイメージを調査をしていくのか、ということがおそろしく興味深い講義であった。

[E:ribbon] Image Dimension として、Prestige(威信), Aspiration(憧れ), Cutting Edge(最先端), Relevance(ふさわしさ)があるということ。

・そのPrestigeを定める項目はなにかといえば、Timeless Style, Worth the Investiment, Iconic Products, Know-how in craftsmanship, Standard for luxury, Exceptional finish, Well-known people, Really takes care of its clients など。

スパイダーグラフをつくってみると、シャネルは、Exceptional finishという点が少ないようにも見える(この点ではエルメスが突出している)。でもそれは、シャネル側の戦略のせいでもある。シャネルバッグは、実は1つ作るのに18時間かかり、職人ひとりの養成に3年間かかっている。でも、シャネルはそういう現実的な職人技のすばらしさを伝えるよりもむしろ、あえて「夢」を売る戦略をとっている。消費者に、職人技がどうのという現実は宣伝していない。その結果でもある。

・で、次、Aspirationを定める項目はなにかといえば、Very feminine style, Makes me dream, Makes me feel special. など。

ラグジュアリーブランドのなかではディオールがこのAspiration全体において不足している。その結果、全体のイメージが低下している。

・次、Cutting Edge。 これを定める項目は、Daring, fun, in or hot right now, Avant-garde, Really Dynamic, Attract Youg people

ここにおいては、ヴィトンが傑出し、エルメスはやや下の方にくる。エルメスはそのあたりを売りにはしていない(最先端ではなく、タイムレスなスタイルを売りにしている)から、当然。

・次、Relevanceを定める項目はといえば、Fits my lifestyle, Feel close to, I’m crazy about, Truly pleasant shoppping experienceなど。

以上のような細かな各項目にわたり、2007年から2011年までの数値の推移を公表していただいた(社外で見せるのははじめてのこと、でした)。

総合すると、シャネルがトップにきて、エルメス、ヴィトン、プラダ、グッチ、ディオール、クロエ、フェンディ、D&G,セリーヌ、アルマーニ、YSL、Valentinoと続く。ここ数年でプラダが上昇し、ディオールがやや下降気味なのが目立つ。

ぼんやりと語られがちな「ブランドイメージ」だが、こうした言葉と数値できびきびと示されてみると、目からうろこが落ちる思いであった。当然のことながら、「既製服」「ハンドバッグ」「フレグランス」「メイクアップ」においては、使われることばも違ってくる。たとえばフレグランスの場合、イメージ・ディメンションの下には、Prestige, Seduction, Vitality, Relevanceという項目がくるし、メイクアップの場合は、Scienceという項目も入る。シャネルはプレスティージはあるがサイエンスにおいて不足しているので、10年がかりでいまそれを投入しようとしているところ。

[E:eye] 学生からの質問にもユーモラスに答えていただく。

「シャネルは男物を作らないと言っていたのに、香水BLUEも出したし、ネクタイも売っている。これはどういうことか?」

→80万円のシャネルスーツを買った奥さんが、エクスキューズとして、夫にちょっとしたおみやげを買っていくのに、2万円のネクタイはぴったり(笑)。

→Blueのコンセプトは、Unexpected. 「自分がいるべき、と思うところから、全然ちがうところにいる」。っていうわけで、コンセプトにも合う(女物だけやるべき、と思っていたところから、男物までやっちゃっている、というところにいる)。

「コラス社長のネクタイはシャネルだとおっしゃってましたが、スーツはどこのですか?」

→ゼニアの6~7万円のもの。これはコラス氏自身の体の動き(激しくよく動く)にあっているのだそう。ブリオーニの繊細な生地だったらたちまち破れてしまう(笑)。ちなみに靴はベルルッティ。これも軽くて歩きやすく、機能性にすぐれていて20年履いても「古くならない」。

……とまだまだ名残惜しかった充実の100分。楽しくお勉強できました。ありがとうございました!

これもここしばらく持ち歩いて何度か読み返した本。内田樹先生の『最終講義 生き延びるための六講』(技術評論社)。ヒューマニズム、アカデミズムの王道をいくお話として、ひたひたと心を潤してくれるような感覚を味わわせてくれる。

「かすかなシグナルに反応して、何かわからないけれども自分を強く惹きつけるものに対して、自分の身体を使って、自分の感覚を信じて、身体を投じた人にだけ、個人的な贈り物が届けられる」

「どんなふうに人間は欲望を覚えるか、どうやって絶望するのか、どうやってそこから立ち直るのか、どうやって愛し合うのか……そういうことを研究するのが文学研究です。だから、文学研究が学問の基本であり、それがすべての学術の真ん中に存在していなければいけない」

「知性のパフォーマンスを向上させようと思ったら、自分以外の『何か』を背負った方が効率的であるに決まっています。自分の成功をともに喜び、自分の失敗でともに苦しむ人たちの人数が多ければ多いほど、人間は努力する。背負うものが多ければ、自分の能力の限界を突破することだって可能になる」

「どうやったら学びのモチベーションを高く維持できるか。そのために使えるものは全部使う。最終的に彼らが採用したのは、営利栄達でも、知的優越でもなく、自分の脳が高速度で回転しているという事実そのものだったんです。その『アカデミック・ハイ』だけは間違いなく、今ここでたしかに実感できる。最後に残るのは、この快感だけである」

「自分の知性の活動が最大化するときの、最高速度で頭脳が回転しているときの、あの火照るような体感に『アディクトする』人間がいて、そういう人間が学者になるんです。『あの感じ』を繰り返し経験したくてたまらない。だから、どうやったら自分の知性が最高速度で機能するようになるか、その手立てを必死になって考える。(中略)だから、使えるものは全部使うようになるんです。自分の知的なパフォーマンスを高める可能性のあるものは、総動員する。それが本当の学者だと僕は思います」

「自分が『理解することの困難なこと』をめぐって語っているのだという自覚があれば、書き手が最初に配慮すべきは、『読者の知的緊張をどこまで高いレベルに押し上げられるか、どれだけ長い時間それを維持できるか?」という、すぐれて技術的な『読者問題』になるんじゃないですか」

ほかにも、五感に染み渡るような「情理を尽くし語られた」ことばのオンパレード。とりわけ専門化しすぎて排他的になりすぎたアカデミズムに対するご意見のあたりが、ひやひやしながらも、とても共感できた。

ユダヤ人問題のこと、北方領土問題など、私には完全には理解が及ばなかった箇所もある。なんだかすごく大事なことが書いてありそうなのに。ホント、自分のレベルに応じたものとしか「出会う」ことなんてできないんですよね、本の内容も、人も。

「自分のレベルに応じたものとしか出会えない」ことついでに、最近なるほど、と思った酒場の教養。「ル・パラン」本多さんの、「バーテンダーは砂金採りのようなもの」説。「砂金の宝庫、と評判の場所でも、心の網の目が粗いと、カンやゴミしか集まらない。でも、心の網の目を細かくしておく(=知識や教養を磨いておく)と、砂金にもたとえられるいいお客様がたくさん集まってくる」という意味だそうである。たぶん、バーテンダーばかりではなく。

上野千鶴子先生の最終講義録が目的で買った「文學界」9月号だったが、思わぬ収穫もあった。河野多恵子と吉田修一の対談、「『逆事』と抑制の小説作法」。

河野 「そういえば、福島原発の事故以降、やたらと「節電!節電!」と言うでしょう。先日、新聞を見ていたら、「節電」と『陰翳礼讃』を結びつけた内容の記事があったの。あれには驚いた」

吉田 「たまたま僕が読んだ雑誌にも似たような記事がありました。『陰翳礼讃』がエコ生活読本のような扱われ方で(笑)」

河野 「そう。冗談じゃないわ。『陰翳礼讃』は、その頃の谷崎の心理的マゾヒズムという性的欲求から生まれているのよ。そこのところが全くわかっていない」

吉田 「目隠しをされた時に感じる人間の五感の喜びのようなものだと僕は理解しているのですが」

……上のくだり、痛快だった。たしかに、「節電のために暗い」=「日本人には陰翳礼讃という美的感覚が」みたいな記事が多くて、ちょっと違うなあ、気持ち悪いなあ、という違和感をおぼえていたのだが、そうそう、そういうことだったのね。

で、もう一か所だけ、備忘録としての引用を許していただきたい。

河野 「ところで、なぜ人は小説を書くのかというと、私は『精神的種族の保存拡大』のためだというのが、本当のように思います」

吉田 「『精神的種族』とは聞きなれない言葉ですね」

河野 「これは佐藤(春夫)さんが、師と仰いでいた生田長江の言葉らしいんだけど、自分の作品に共鳴してくれて、最高の理解者として作品を愛し続けてくれる、心の底から通じ合える読者のことなの。苦労して書き上げた作品を発表したときには、読者の反応が気になって、誰かに共感して欲しいでしょう」

吉田 「はい、そのために書いているようなところがあります」

河野 「そうなのよ。作家は作品を発表することで、たとえ自分がこの世から去ったとしても、その作品を大切に思い続けてくれる自分の精神的種族とつながることで、時代を越えていつまでも作品を残すことができるのね」

……そういう信念と実感があるのとないのとでは、モチベーションがまったく違ってくる。吉田さんではないが、こういう発想というか自覚の有無が「5年後、10年後に立っている場所」を変えるような気さえする。そんな名言。

FB考その1につき、早速、何人かの方が、私も気づかなかったそのプラス面やマイナス面について教えてくださった。ありがとうございました。やはり使う人に応じて、というか、使い方次第で、さまざまな効用やデメリットが生じるみたい。

で、またしてもFBのおかげで経験できたことなのだが。FB上でキティ好きを公言していたところ、サンリオのジェネラルマネージャーに「発見」され、昨日、展示会にお招きいただいたばかりか、社長室やデザインルームまで案内していただいた。

展示会では、ありとあらゆる企業とサンリオとのコラボ新製品が。リヤドやレオナールといった高級ブランドとのコラボがやはりおもしろい。学校法人や製薬会社や郵便局や、それこそありとあらゆるところにキティがいる。Hello Kitty, overkill. うれしいめまいで、頬が緩みっぱなし。写真は社長室で執務するキティ・ホワイト。棚には本物のオスカー像も飾られる。

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コリー・アキノさんもキティファンだったようで、デザインルームには、アキノさんによるキティの絵も。

辻社長にもお目にかかり、お名刺をいただいたが、なんとレースのカットワークを施したような、ゴージャスで美しい紙のお名刺。キティーの顔までカットワークになっている。たぶん、これまでもらった名刺の中でも、もっともおしゃれな名刺の一枚にちがいない。

というわけで、無条件にアドレナリンが噴出する楽しい経験をさせていただいた。やはり、好きなものは好き、と素直に公言してみると、いいこともあるもんだなあ、と心の底からうれしかった日。ありがとうございました!

◇遅まきながら、「文學界」9月号に掲載されていた上野千鶴子先生による最終講義「生き延びるための思想」。

フェミニズムは敬遠しがちだったが、これを読んで上野先生がどのような思いで闘い、いかなる業績を築いてきたのかということの一端がはっきりとわかった。畏敬の念がじわ~っとわき、心が洗われるような思いがする。

最初は最終講義のタイトルを「不惑のフェミニズム」としたかった、と。「最終講義のときに東京大学の構内に出る看板に、『フェミニズム』という文字を載せてもらいたかったからです。その文字の入った看板が東大構内に立つのをこの目で見たかった。同時に、『フェミニズム』という文字の入ったタイトルで最終講義を行うのは、おそらく私が最初で最後であろうというふうにも、予感をしておりました」

上野先生の業績がわかったこと、フェミニズムに対する理解をあらためて得られたことも収穫であったが、それ以上に、「ファッション学」を考えるときにも応用可能な、力強く愛にあふれた言葉を、しかと「バトン」として受け取った気になれた。

「私たちは女性学というものの種を蒔き、それを育て、担い手と聴衆を共に育て、マーケットを作り上げてきました。ですから、学問もベンチャーの一種だと考えれば、ある意味、私は女性学というベンチャーの創業者の一人であったと言ってもいいかもしれません」

「学問の原点にあるのは、『私って何?』という謎です」

「フェミニズムというのは、社会的弱者の自己定義権の獲得運動」

「問題って、あなたをつかんで放さないもののことよ」

「学問というのは、こういう人々の営為が積み重なった『伝達可能な共有の知』」

「女が自分を語ろうとしたときに、語る言葉がなかったときに、女の言葉を悪戦苦闘しながらつくってきた先輩の女たちが、私たちの前にいました。その女たちの言葉が私の血となり、肉となっています。英語で言うと、I owe you. つまり、私はあなたたちのおかげでここにいる。私はあなたたちのおかげで、この私になった。私は彼女たちに恩義がある、ということです。だから恩返しをしなくてはなりません。これが私の40年でした」

「弱者が生き延びようとしたときに、弱者は敵と戦うということをしなくてもよい。敵と戦うということはもっと大きな打撃に自分がさらされるだけだからです。強者になろうとする者は、戦いを選ぶかもしれないが、弱者の選択肢はたった一つ、『逃げよ、生き延びよ』」

「時間と年齢は誰にでも平等に訪れます。かつて強者であった人も自分が弱者になる可能性に、想像力を持たなければならない時代が、超高齢化社会だと思います。私たちは、弱者になるまい、ならない、というような努力をするぐらいならば、むしろ誰もが安心して弱者になれる社会をつくる、そのための努力をしたほうがマシなのです」

……だから何、といま一気にまとめてしまうと、こぼれおちたことのほうに大切なものがありそうで惜しい感じがするのだが。日本においてはファッション学はまだ「ベンチャー」として位置づけることができ、それゆえの可能性に満ちていること。「原点」や「問題」は、「弱者」としての自分から出発していいこと。というか、むしろそれを曇りなく見ることができる目を磨くべきこと。「わかってくれる人だけにわかればいい」のではなく、伝達可能な共有知として抽象化する責任があること。数少ない先人の恩義を忘れてはいけないこと。大きな土俵で闘うことを考えず、生き延びることを考えていいこと。想像力を駆使して社会全体とのつながりを保ち続けるべきこと。などなど。

◇私が「バトンを受け取った」異国の先人のひとりに、ヴァレリー・スティールがいる(まだばりばり現役中だが)。The Berg Companion to Fashion は厚さ4センチを超える「読めるファッション辞典」。各項目がコラムのように読み物として書かれていて、それぞれに参考文献がついている。この言葉の集積の迫力たるや。

以下、満月にさそわれてのささやかな感情のひっかかりの吐露、というかたんなるつぶやき。

◇英語にembarrassmentという言葉があって、「当惑」とか「気まずい思い」「バツの悪さ」なんて訳語がついているのだけど。感情と感情の間に、まさしく bar(柵)が入るような気分の時、このembarrassmentという動詞がぴったりとくる。(語源としては別の解釈もあるようだが、個人的実感としては、気持ちと気持ちの間にbar 、なのである)

どういうときに感じるかというと、まあ、いろいろな場合があるのだけれど、たとえば、最後に「返信要りません」という一言が添えてあるメールを頻繁にいただくが、これってどうなのだろう。相手の優しさは痛み入るほどわかるのだ。こちらの「お忙しい」時間を割いてまで返信に気を遣ってほしくない、という思いやり。そのやさしさ、しかと受け止め、こまやかなお気遣いに、感謝するのである。

一方、「返信要りません」とは、「あなたとの交流はとくにこれ以上したくありません」というさりげない意思表示とも感じられることがある。

マナ―本の類には、「忙しい相手には、<返信要りません>と書き添えると相手の気持ちの負担がなくなります」と書いてある。なるほど、「返信不要」はマナーにかなった一言でもあるわけか…。

それでも、まあ、相手や状況や内容にもよるけれど、相手の気持ちのなにがしかが感じられるメールのあとに、「返信不要」と目にすると、その気持ちに対する反応をシャットアウトされたようで、embarrassmentを感じることがあるのもたしか。

こちらも自由意思をもつ人間。不要である、と感じれば返信しないし、なにか一言返したい気持ちが起きたら返信したいのに。

ええい、言ってしまおう。「返信不要」かどうかは、こっちが決めるから。

・・・・・・・とか言いながら、あわただしい時間だったりすると、こっちから「レスいらないからね!」と書きっぱなしにしたりしてね。ホント、勝手なことであるっ(笑)。

◇気持ちと気持ちの間に、ささやかなbarが入る当惑その2。本を読んでくださって、「尊敬しています」とか、「いろいろとご指導願いたい」と言って会いに来てくださる方がときどきいる。まあ、多くはあたりさわりのない社交辞令だと思って、とりつくろってもしょうがないので、こちらも自然体で接しているが、embarrassmentを感じるケースもままある。

だいたいにおいて、こういうケースで私に期待されるのは、「冷静で客観的な分析をきちんと下してくれる先生とか上司」みたいな役柄である。相手によっては、そのようにふるまうことも仕事のうち、とわりきってご期待に添えるように演技することもあるけれど。

私はどっちかといえば、その対極にあるような人間で、感情のふり幅が大きいし、いちいち、感覚や感情に振り回されるようなところがある。それをコントロールできるようになるために学問してるんだから(笑)。

というわけで、こちらが自然体で接すれば接するほど、冷静でクールな……という幻想を抱いていらっしゃる相手をがっかりさせることがあるわけだ。ときに、その相手に対して、こちらが(相手にとっては想定外の)好意を見せてしまったりすると、相手がembarrassmentを感じているのが手に取るようにわかる。「尊敬」というのは、「敬して遠ざけておきたい」という意味であって「お近づきになりたい」わけではないのだな、と痛く知る瞬間。

逆の立場も経験しているだけに、幻想を抱きたい人の気持ちもよくわかる。それだけにいっそう、このようなケースでのembarrassmentが、微妙にこたえる……。

まっ。ささいといえばささいなことばかりね。笑い飛ばしてください。

◇ブランドのイメージを高めるために、有名人に自社ブランドの服を着てもらう。セレブリティ・エンドースメントと呼ぶのだが、その逆パターンが、最近立て続けにニュースになっていた。

新しいところでは、ラコステ。7月22日にノルウェーで77人を無差別に殺害したBreivikが、ラコステ愛用者だった。ワニのマークがくっきりとわかる赤いセーターを着て警察の車に乗った写真が、世界に配信されてしまった。

ラコステ側はブランドイメージが傷つくことを恐れ、ノルウェーの警察に、Breivikにラコステを着用させないように懇願。だけど、Breivikは囚人服を着ることを拒否し、自分の服を着続けることを主張しているのだという。で、現場検証のために再訪した犯罪現場でも、やはりラコステを着て、写真に撮られている。

ラコステにとっては、悪夢でしかない。とんだ災難でしたね…。

記事のソースは英「インデペンデント」9日付。Lacoste begs police: please stop mass killer wearing our clothes.  by Tony Paterson.

http://www.independent.co.uk/news/world/europe/lacoste-begs-police-please-stop-mass-killer-wearing-our-clothes-2351641.html

◇もうひとつは、アメリカのアバークロンビー&フィッチ。8月18日前後に各紙で話題になっていた古いニュースなのだが。オールアメリカンなイメージのあるアバクロだが、人気テレビ番組「ジャージー・ショア」に出演している俳優、マイケル・ソレンティーノに、「ウチの服を着るのをやめてくれたらお金を出す」と申し出たとのこと。というのも、ソレンティーノとアバクロのイメージが結びつくことが「著しくブランドイメージを傷つける」ことになるから。

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ソースは、8月11日付「テレグラフ」。Why pay a celebrity not to wear your clothes? By Stephen Bayley. 

セレブリティ・逆エンドースメント。着られたらイメージダウン。着ないでくれたらお金を出しますって…(笑)。服はいったん世に出たらもうあとはブランドが関与するところではないはずなのだが。

セレブリティ・エンドースメントの支配がいかに現在強力なのかということを、あらためて知らされたお話でもあった。

メンズファッションの盛り上がりとともに、新語も増えているという記事。ウォールストリート・ジャーナル 8日付。Grab Your ‘Murse’, Pack a ‘Mankini’ And Don’t Forget the ‘Mewelry’. by Christina Passariello and Ray A. Smith.

http://online.wsj.com/article/SB10001424053111904900904576554380686494012.html

以下、大雑把に概要。

近頃よく使われるようになった新語。たとえば manties (man + panties)、mandals (male sandals)、murses (purses)、mantyhose (pantyhose)、mankini (swimsuit variant).などなど。

こういう新語はギョウカイ用語として出るのはありがちなことだが、今回は辞書の権威たるOEDまでこれらを載せるかどうか検討しているという勢い。

新語が続々でてくるようになった背景には、メンズファッションの盛り上がりがある。NPDグループの調査によれば、今年の前半、アメリカにおける男性のアパレルの売り上げは、4,6%上昇している。女性のほうは0.8%だというのに。

Mewelry とはman+jewelryで、トッズが提案したレザーのリストバンドなどがヒットし、それにマッチするピンキーリングなども登場。

こういうのがでてきたのは、1990年のメトロセクシュアルブーム以降。男が外見を気にすることがふつうになった。manorexia (man + anorexia 男の拒食症)、guyliner (男のアイライナー)、manscaping (男の脱毛)という言葉まで。

ここ10年でもっともふつうになったのが、manbag. 荷物が増えた男のためのバッグはもはやあたりまえに。

だからこそ、そんなからかいの調子ではなく、messenger, gym, tote, carryall, backpack, portfolio, duffelなどと機能別に分類して呼ぶべき、という意見もあり。

記事以上。

今は、アイテム名にいちいち man をおどけたニュアンスでつけなければいけない過渡期なのかもしれない。男にとってもあたりまえのアイテム、として浸透すればmanはとれていくような気もするが。Let’s see….

下はアルマーニ2011年春夏で発表された、mankini. 男のための新しいスイムスーツである。これを大胆過激にしたバージョン(下を覆う部分がハイレグタイプで、かなーりえげつない水着)が禁止されたビーチもあるが、このアルマーニ版なら、見慣れてしまえばむしろ品がいいように見えなくもないが…。

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◇「ライフ 命をつなぐ物語」。BBC制作のドキュメンタリー。製作日数3000日(!)分をたった90分そこそこにまとめてしまう贅沢さ。

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「生きる=食べる、逃げる、追う、子孫を守る、愛する、子を守るために死ぬ」という、とてもシンプルな基本をめぐり、動物たちが繰り広げる豊穣な知恵と驚きと純粋な愛に満ちあふれた世界。ワンシーンワンシーンにまったく無駄がなく、ただひたすら心が洗われるような深い感動に満ちあふれたドキュメンタリー映画。

人間なんて、地球の上に生かされている500万種類の命のひとつにすぎないのに、なんという傲慢で狭量で愚かなことをやってるんだ私たちは。と心底恥ずかしくなる。「500万種類の生き物には、500万通りの生き方がある」。そのほんの片鱗に、がつーんとやられた。人間なんて地球上の生物の500万分の一にすぎない、という謙虚な自覚をまずもたなくてはいけないのだ。

制作にあたった関係者すべての方、「出演」した動物たちに、最大限の敬意を捧げたい。

◇「サライ」10月号発売です。連載「紳士のもの選び」において、三陽山長の靴について書いています。機会がありましたらご照覧ください。

本誌今月号の特集は「米の力」。お米は日常のステイプルなのに、初めて知ることが多かった。おにぎりの起源が、奈良・平安期の文書に出てくる「屯食(とんじき)」だとか。勉強になります…。

◇ガリアーノの人種差別スキャンダルが勃発し、反ユダヤ人発言をしたとして侮辱罪に問われてから6か月。昨日、パリで有罪判決が下りた。罰金6000ユーロ。約65万円。予想したより軽い。でも、「これだけで済んだ」わけではない。彼はその天才を発揮させるべき職を失った。

これを乗り越えて復活してほしい、と応援しているファンはまだ世界中に大勢いる。

◇上記のは「ニュース」だが、以下、やや「過去のニュース」記事のメモ。ひょっとしてあとからなにか関連事項がでてくるかもしれないので、メモしておきたい。

「グローバリゼーションはストリートスタイルをダメにしたか?」というNYタイムズのディベートルーム。8月22日付のGQシニアエディター、ウィル・ウェルチのコメントが興味をひいた。以下、大雑把な概要の訳。(Too Self-Aware, by Will Welch)

現在のストリートスタイルの皮肉は、それがオンラインに存在するということ。人々は、ランウェイのコレクションや、キャンペーン広告の代わりに、インスピレーションを求めてウェブ上でストリートスタイルをチェックする。

ストリートスタイルは、本来、グローバリゼーションの影響を受けないスタイルとして生まれているはずのものだった。しかるに、アピールはグローバルになっている。東京にもNYにもラルフローレンやユニクロがあるから、とかそういう問題ではない。

ストリートスタイルをダメにした要因があるとすれば、それはその人気。当初は、フォトグラファーも、個性的な日常着を表現豊かに着こなした人々の写真を撮っていた。でも、あまりにも人気が出てくるようになると、今度は、人々のほうがカメラのために装い始めるようになり、競ってカメラに収まろうとするようになった。ハデになればなるほど、カメラに収まりやすくなる。そうすると、ストリートスタイルがランウェイのようになる、という悪しき状況が生まれてしまった。

ストリートスタイルは、「え?ボクがですか?」という何気ない感じがよかったのに、今はそれがなくなり、「ボクを見て見て!」というのが増えている。もうファッション界はこれに飽きて、次のおもしろいことを探しはじめている。

記事の概要以上。

ひとことでいえば「もうストリートスタイルは終わり」っていうことでもあるのだが。たしかに、いま「ストリートスタイル」はあっちでもこっちでも飽和状態で、しかも出てくる人がみんなモデル気分で写っているので、なんとなく食傷気味である…。ストリートが自意識過剰のランウェイ化しちゃったら、本物のランウェイにかなうはずもない。そのような「モード」(=時代の気分)をきっちり把握した記事だと感じる。

ストリートスタイル、リアリティテレビ、SNS…。当初は「なにげない日常をのぞく」のがよい、というところから始まったのかもしれないが、今や完全に演技的な世界。「見られる自分」を意識してプロデュースしている。