◇ガリアーノの人種差別スキャンダルが勃発し、反ユダヤ人発言をしたとして侮辱罪に問われてから6か月。昨日、パリで有罪判決が下りた。罰金6000ユーロ。約65万円。予想したより軽い。でも、「これだけで済んだ」わけではない。彼はその天才を発揮させるべき職を失った。

これを乗り越えて復活してほしい、と応援しているファンはまだ世界中に大勢いる。

◇上記のは「ニュース」だが、以下、やや「過去のニュース」記事のメモ。ひょっとしてあとからなにか関連事項がでてくるかもしれないので、メモしておきたい。

「グローバリゼーションはストリートスタイルをダメにしたか?」というNYタイムズのディベートルーム。8月22日付のGQシニアエディター、ウィル・ウェルチのコメントが興味をひいた。以下、大雑把な概要の訳。(Too Self-Aware, by Will Welch)

現在のストリートスタイルの皮肉は、それがオンラインに存在するということ。人々は、ランウェイのコレクションや、キャンペーン広告の代わりに、インスピレーションを求めてウェブ上でストリートスタイルをチェックする。

ストリートスタイルは、本来、グローバリゼーションの影響を受けないスタイルとして生まれているはずのものだった。しかるに、アピールはグローバルになっている。東京にもNYにもラルフローレンやユニクロがあるから、とかそういう問題ではない。

ストリートスタイルをダメにした要因があるとすれば、それはその人気。当初は、フォトグラファーも、個性的な日常着を表現豊かに着こなした人々の写真を撮っていた。でも、あまりにも人気が出てくるようになると、今度は、人々のほうがカメラのために装い始めるようになり、競ってカメラに収まろうとするようになった。ハデになればなるほど、カメラに収まりやすくなる。そうすると、ストリートスタイルがランウェイのようになる、という悪しき状況が生まれてしまった。

ストリートスタイルは、「え?ボクがですか?」という何気ない感じがよかったのに、今はそれがなくなり、「ボクを見て見て!」というのが増えている。もうファッション界はこれに飽きて、次のおもしろいことを探しはじめている。

記事の概要以上。

ひとことでいえば「もうストリートスタイルは終わり」っていうことでもあるのだが。たしかに、いま「ストリートスタイル」はあっちでもこっちでも飽和状態で、しかも出てくる人がみんなモデル気分で写っているので、なんとなく食傷気味である…。ストリートが自意識過剰のランウェイ化しちゃったら、本物のランウェイにかなうはずもない。そのような「モード」(=時代の気分)をきっちり把握した記事だと感じる。

ストリートスタイル、リアリティテレビ、SNS…。当初は「なにげない日常をのぞく」のがよい、というところから始まったのかもしれないが、今や完全に演技的な世界。「見られる自分」を意識してプロデュースしている。

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