取材の移動の往復で読んだ本。枝川公一『バーのある人生』(中公新書)。dancyuの連載をまとめたというだけあって、たくさんのバーに取材にあたったうえで書かれている、現場の匂いが伝わってくる楽しい読み物。

最近、「こういうすごい人がいるのだ……!」と衝撃を受けた人の職業が立て続けにバーテンダーであった、ということもあり、バーの奥深い魅力にこの年になってようやく気づき始めたということもあり、しかし同時に、バーについては「語られないけどそうなっている」という決まりがあまりにも多いことにも気づき、とにかく自分のあまりの世間知らずぶりは恥ずかしすぎて生きていられない……と思っていたところに、天啓のように目に飛び込んできた一冊であった。

人生におけるバーの位置づけや日本のバーの歴史からはじまり、バーテンダーの仕事、カクテルの謎、バーにおける振る舞い方の基本事項などが、まあ、初心者には納得のいくように記されていた。ぼんやりとしていた暗闇であったのが、目が慣れてうっすらと中の様子がわかってきた(ような気がする)……という読後感。やはり、現場で場数をふまないと、わからないことの方が多いだろうなあ。

なんのためにバーへ行くか?という話で印象に残っている引用。「私は忘れないために飲んでいるのだと思う。きょうこの日を忘れないために、このバーで飲んでいる。飲むことによって記憶にとどめる。お酒とともに記憶が身体を回っている。きょうこの日を噛みしめるために、この場所がある」

そうそうそう、と思う。極上のバーは、「酔っていやなことを忘れる」ために飲みに行く場所などではなく、「この日、この瞬間を記憶に確かに刻んでおく」ために出かける、聖別された時空(というのが過剰表現なら、日常と切り離された演劇的な舞台)、みたいなところなのである。

バーテンダーが舞台監督である、という定義にも、なるほど、と。むちゃくちゃに博識で、観察眼が鋭いのは、毎日、ちがう舞台を演出しなくてはならないから、ということだろうか。ベテランバーテンダーの、厳しい修行を積んできた人ならではの落ち着いた佇まいも、やはりほかの職種ではなかなか見かけることがない独特の職業的魅力のようにも思える。

バーなど別にいかなくてもふつうに生きていけるが、バーに行くことで記憶に刻んでおきたい時間やできごとが、厚みと鈍い輝きを増して身体に貯蔵されていく……そんなイメージかな。

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