ニーチェの誕生日。という話の流れで友人とニーチェについていくつかのメールを交わしているうちに、「永遠回帰」の話になり。

友人も私もニーチェに関しては「ど」素人のファンという程度なので、以下は放言、というか、ただのつぶやき。議論というほどのもんではないので、専門家の方は寛大なお心でスルーしてください。

永遠回帰。私は「自分の人生が最悪であっても何度も同じことが繰り返される。それを受容することで、超人になる」というふうに解釈していた。悲惨であろうと受容する。とはいえ、それは悲観ではなく、完全なる受容こそが究極の肯定となる、というように。

友人の解釈はそこから一歩踏み込んでいて、ちょっとユニークな感じがした。「ニーチェにとっては、ルー・ザロメとの昼下がりの散歩こそが人生でもっとも美しかった瞬間。それを再び得ることができたなら、あらゆる苦悩の繰り返しをしてもかまわない、ということ。それが永遠回帰」と。 で、「自分自身の人生に、あの瞬間!」を持っている人こそスーパーポジティブの「超人」である、というような解釈。

受け取る人に応じてどのような解釈もできるからこそ、古典なのでしょうね。

にしても、「運命の受容」。これは年齢とともに、大きな難題としてのしかかってくる気がしている。自分が同じ愚行を繰り返している……というのは、うすうすと実感している。それを変えようと思ってあれこれ試してみても、結局、歯車のように元に戻ってきて、また同じ愚行をやっている。戻ってきたときに前とは違う状態でありたい、という希望を捨てきれないからこそ足掻いてみるけれど。完全に運命を受容する境地に至ることができれば、「超人」? 仏教の悟りの境地にも似てるのかな。

ついでながら、私が時折、必要に迫られて(笑)反芻するニーチェの言葉は、「脱皮できない蛇は滅びる」 「人生を危険にさらせ」。なにかにはじめてチャレンジするときには、ぽんと背中を押してくれます(笑)。……で、また後悔する、という同じ愚行の繰り返しなんだけどねっ!

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