◇興味をひかれた記事のメモ。18日付朝日新聞朝刊、「イケメン色々 バディ映画」。イケメン若手俳優二人が主役となるバディ(相棒)映画が邦画界で目立つ、という話。

妻夫木聡×松山ケンイチ、松山ケンイチ×瑛太、松田龍平×瑛太、松田龍平×大泉洋。

以下引用。

[E:maple]イケメン大量戦略。精神科医の斎藤環さんはそれを「男ソファもの」と言い換える。「イケメンバディ映画に求められているものは、『男ソファ』の安定感。優しくてイケメンな複数の男性に、ソファに静かに身をゆだねて癒されたい、という現代女性の無意識を満たしています」。イケメンの真のニーズとは、恋愛や性愛の対象ではないのだろうか。「セクシュアルなものをとり除いた癒しとしての安定感ではありませんか」[E:maple]

男ソファ、という表現が、言いえて妙かもしれないだけに、大声で言うのもはばかられるような感じ。

◇もうひとつ、同紙同日夕刊の「時事小言」。藤原帰一氏による「組織不在の21世紀革命」。

アメリカのウォールストリートを占拠する運動が、当初、主要メディアから黙殺されていたという話から始まる。事態が大きくなるにつれて、まずはアメリカ国外のメディアが注目し、最後にアメリカのメディアも大きくとりあげ、世界に反響が広がっていき、10月15日には、ロンドン、メルボルン、東京でも集会が開かれ、ローマでは暴動。ツイッターやユーチューブで集会の模様が同時中継される、という経緯。「世界同時多発革命を目撃するような」気持ちでそれを拾い読みしていた、と。

チュニジア、エジプトで起こった政権崩壊でも似た展開だった。

日本でも、尖閣諸島問題をめぐる街頭デモ、原子力発電の全廃を求める街頭デモ、政治的立場ではおよそ逆のこの二つのデモが、主流メディアの報道からは無視された。これはいったい何だ?

中心となる政治勢力が存在しない。エジプト革命でもウォールストリート占拠運動でも、現在の経済社会と政治社会への告発であって、目的を実現するために誰に権力を委ねるのか、その具体的な政治的選択は見えてこない。

以下、ラストの締めの引用。

[E:maple]組織の不在と政策の空白は裏表の関係にあると私は思う。(中略)インターネットを経由して結ばれた社会連帯の中心は空白なのである。

国境を横断して、膨大な数に上る人々が、現代資本主義経済に異議を申し立てる。まさに世界革命のような事態が起こっているというのに、それがつくりだす政治の形は、まるで見えてこない。そこで明らかなのは、議会制民主主義をとる諸国においても、既成の政治が吸収していない膨大な不安と不満が鬱積していることだ。その危うさ、恐ろしさだけは政治家の皆さんに見ていただきたい[E:maple]

不平不満はあちこちで大声で表明されているが、であれば、こういう社会、こういう理想を実現したいのだ、というその先の具体案が同時に語られてもよさそうなものだが、それは(膨大なデモの数に比べれば)あまり語られていないように見える。現状でさえなければなんでも(誰かがなんとかして)、のような抗議の仕方には、確かに危ういものを感じる。こういう「大きな、逆らい難い空気の流れ」ができあがってしまうようなときこそ、あえて慎重になってみることも必要なのかもしれない。

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