13日(火)におこなわれた、宮内淑子さん主催の第134回次世代産業ナビゲーターズフォーラムのメモ。この日の講師は、藤原帰一さん。東京大学法学部・大学院法学政治学研究科教授。

テーマは「リスク管理のパラドクス テロ対策から原発事故まで」。具体例をまじえてのぎっしり充実の60分(+30分の質疑応答)。なにせ話の内容が理路整然としているうえに盛りだくさん。20ページ以上にわたりノートをとっているのだけれども、量が多すぎてどこからどうまとめていいのかわからない。かといって放置しとくともっともったいないことに。私のような(専門的知識を欠く)素人の心が動いた事柄だけでも、とりあえず記録しておきます。

リスク管理(事故が起きる前の管理)と危機管理(事故が起きてからの管理)には、とかくパラドクスがつきものだということを、原発事故と9.11の事例から学ばせていただいたことが、大きな収穫の一つ。

なかでも、原発事故が起きた時の菅元総理の話が興味深かった。マスコミはリーダーシップの不在を問うていたが、実は、菅さんはリーダーシップを発揮しており、それを発揮すればするほど経産省とぶつかり、事態の収拾を遅らせてしまっていた…誰が権限を握っているのかわからないまま、どんどん事態が悪化していった…というのが真実、という指摘にショックを受けた。亀井静香さんの「日本の総理大臣は、閣議の司会をやっていればいいんだよ」という発言が的を射ている、と聞いて、が~んとくる。

危機管理に立った場合、日本の制度はきわめて不適応。日本においては「課長のハンコの数だけ政府があり」、権限が分散してしまっているので、非常時にすみやかな対応ができない。決定の一元化をはかることが、極めて困難になるのだ。

では、アメリカのように、非常時には首相官邸だけに権限を集中すれば話が早いのかというと、必ずしもそうではない。

アメリカでは、大統領府の権限が圧倒的に強く、非常時においては権限はすべて大統領府にゆだねられる。9.11のとき、情報のシャットアウトがきわめて迅速におこなわれ、イラク戦争開戦の決定は、ごく少数の人間によっておこなわれた。それが実は誤った決定であったことを、あとから私たちは知ることになる。大統領府に決定の権限が集中すると、チェック&バランスの機能が働かなくなり、愚かな決定が行われる危険が高まるというパラドックスがある。

そうしたパラドクスも理解したうえで、危機発生の前に、超法規的権限をもつ非常時体制をつくっておくべき、というのが藤原先生の主張のひとつ。

また、リスク管理の優先順位をはかるときに、確率とコストによって、トータルの損害額が多い方から対策がとられがちであったりするのだが、数字は人を思考停止させるものでもあり、確率の低いリスクも決して放置してはならない、とも。

レクチャー中の藤原先生は、上の話を含むさまざまな理論を整然と理知的に語られていて、どちらかといえばクールな印象だったのだが、質疑応答の時間になって、がらりと一変し、感情をほとばしらせる熱い口調になることがあり、そのギャップがとても人間的で、共感を覚えた。

そもそもなんで藤原先生がこんな問題を扱っているのか?といえば、義理の弟さんに対する強いコンパッションがあるから。福島で高校教師をなさっている義弟の方は、「パレスチナ人の気持ちがわかる」と言うそうだ。共感をもってもらえず、見捨てられている…という深い絶望。藤原さんは悔やんだ。「重大なリスクが先送りされる危険を知っていたのに、なんでこの事態を避けることができなかったのか」と。その悔しさがあるからこそ、このような研究をしているのだ、と。

社会問題になったAERAの表紙。ガスマスクをかぶった男の写真があって、「放射能がくる」とコピーがついていた、あれ。藤原さんの怒りは、ガスマスクによって読者を脅かした点に向けられるわけではない。「放射能がくる」という他人事意識まるだしの表現に向けられるのだ。放射能は、福島にはすでにたくさん出ている。「くる」という表現は、首都圏の人たちの、距離を置いた「他人事」視線からしか生まれない。その当事者意識の欠如に対し、藤原さんは怒るのである。

震災後、「日本はすばらしい国だ」と各国がホメたことをメディアは自慢してたりするが、それに対しても、藤原先生は怒る。「深刻な事態から目をそむけるために栄光に溺れる、そこまで堕落したのか」と。火事でまさに燃え上がっている家を「すばらしい家だった」と称えるようなことをして、いったいどうするのか。今は先に手をうつことを考えねばならないのに、そんな褒め言葉に酔ってる場合か、と。

「なんとかなっちゃった経済」のままずるずるきている今の日本、問題を洗い出し、とにかくすぐに具体的に問題に手をつけていかなくてはならないのだ!

…というような話をはじめ、話題は多岐に及んだのだが、強く印象として残ったのは、高度に専門的な問題を扱う学者にとっても、やはり個人的な感情としっかり向き合うことが正しい出発点になるということ。藤原先生の悔しさ、怒り、義憤、共感、愛情…。そのような基本的でまっとうな感情がベースになって、人を動かす学問が積み上げられていくということ。理路整然としたお話に説得力と共感を与えていたのは、結局、そういった感情の品格だった。

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