◇仕事の打ち合わせ2つ。本題から脱線してしまった雑談のなかに、印象的な話があった。まずは、GQ誌の打ち合わせ。NAVI時代からENGINEを経て、時折、お仕事をご一緒していた「ザ・編集長」、鈴木正文さんがGQ編集長に。その第一号(3月25日発売)で記事を書くことになり、ちょっと本題から逸れて「今、かっこいい男とは?」についての話になる。

思いつくままフィクションの人物やら実在の人やらを例に挙げるなかで、最近お会いした、仏教に関わるデザイナーや作家などの名前も挙げてみたところ、「仏教は肯定の思想だけど、キリスト教は否定の思想だ」と鈴木さんが指摘。流れで、「キリスト教的な思想」についてのお話に。

鈴木編集長によれば、キリスト教は「生を贈与されて、借りがある」という、思想である、と。キリスト教的な考え方によれば、生きているだけで、もうけもの。生きるということは、終わりなき返済の過程。いわば、彼岸のための生。それが倫理の出発点になっている、と。なるほど。

◇もうひとつは、パリ在住のテイラー鈴木健次郎さんの本の一部を執筆するための打ち合わせ。美しい物を作りたいという、ただそれだけの目的に導かれて服作りをすることの意味、美しい感覚を共有できる人とともにいたいという衝動、などなどについて、本題からちょっと離れてあれこれと雑談をしているうちに、自分の仕事にとっての目的や基準は何だろう、と考え始めてしまった。

インプット&アウトプットのはてしない繰り返しの中で、いつも追い求めているのは、想定の枠を超えた驚きだったり、想像の範囲を超える深淵だったり崇高だったり。すでにある常識とか、正しさとか、「退屈」なものをひっくり返して、揺さぶりをかけてくれるような、パワフルな感覚。テイラーが追求する美、というのとはまた違うのかな。そんな衝撃的な感覚に、出会うことは多いけれど、自分で生み出すことはかなり難しくて、相当な勇気も要る。

◇そんなこんなの、キリスト教的世界観とか、仕事の先にある理想、みたいなものを考えていた時に、この前からつらつらと尾をひいている「ダークナイト」の印象が、ふとつながる。

映画マスターでもある「ル・パラン」マスター、本多啓彰さんの絶妙のタイミング(私にとっての、だが)でのコメントも大きい。本多さんは指摘する。「足を引きずりすべての罪を背負って逃げるブルース・ウェイン(バットマン)の背中を観ると、キリスト教的な自己犠牲を感じてしまいます」と。「全世界で大ヒットしたにもかかわらず、日本でのみヒットしなかったのは、このような価値観が伝わらなかったから」とも。

ラストの壮絶なほどの自己犠牲による孤独は、キリストの孤独の象徴でもあったのか。

とすれば、バットマンの、まるで何かに借りを負っているかのような自己を滅した闘いぶりにも納得がいく。

本多さんは、ラストでのゴードン警部のセリフの微細な点も指摘してくれた。英語のタイトルが’The Dark Knight’ であるのに、「彼はヒーローではない。我々を見つめる守護神、沈黙の監視者」とナレーションするゴードン警部の最後のことばが、’A Dark Knight’ (唯一の暗黒の騎士)である、と。The Knightでなくて、A Knight。ここに圧倒的な孤独が強調されている、ということか。

Dark_knight_rises

「ダークナイト」続編(完結編)の、’The Dark Knight Rises’ のポスター。この荒涼として絶対的な孤独の光景。ハリウッドのヒーローものの想定枠にはけっしておさまらない人間の深淵を見せてくれるクリストファー・ノーランにも、強く共感を覚える(おこがましいけれど)。

必ずしもフィールグッドではないかもしれないけれど、隠されていた、陽の目の当たりにくい感覚を喚起してくれる。こういう、敬意に値するクリエイターが活躍してくれていると、まだまだ世界は大丈夫、と(個人的に)思えてくる…。

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