切り抜いておいた記事メモの続き。4月26日朝日夕刊、「哲学者 鷲田清一さんに聞く モードもう魅力ない?」

最近はあまりモードについて語らなくなったという鷲田さんへのインタビュー記事。

「右肩下がりの時代にはもう、“ネクストニュー”という感覚に心はなびきません。心地よい暮らしのために、服は食べ物や本、友達、環境への意識などと総合的に自主編集していくための一つに変わってきた」

「かつてモードを支えていたのは、作り手を含めて、群れず、流されず、社会との違和感を大事に示していこうとする人たちでした。江戸時代でいう“かぶく”人たちです。いま、かっこよさの基準は目立たなくていい、服で社会の違和感を示さなくていいという感じでしょ。以前はモードが社会をぐわっぐわっとうねるように動かした。そういう意味で今は確かに空気がゆるい」

「服ってこんなにお行儀が良くっていいのかと。服飾の歴史の流れから見れば自然なのかもしれないけれど、やはり悪趣味な物、B級も必要なのでは。もっと刺激してよ、突っかかってきてよ、とね」

いまはたしかに、服でなにかを主張しようとすることじたいが、ださいことになっている、という雰囲気は強く感じる。普段と舞台(オフとオンとか、ホームウエアとお出かけ着とか)で着る服がずるずるとメリハリなく同じでも別にいいじゃん、わざわざ気張るほうが年よりくさいし、というムード。よそゆき、ということばじたいが死語になりつつある。

経済状況もあるのかもしれない。無理せずとも居心地がよくて、日々ふつうにやり過ごしていけばそれでいいじゃん、主張があったら別のことでやればいいじゃん、と言われれば、はいその通りです、とは思う。だけど、なんだかこの緊張やドキドキや背伸びを必要としない薄くゆるい雰囲気、正直言って、ずっと続いてほしいとは感じない。

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