19日付の森岡さんの「愛による今ココの永遠」のことをつらつらと考えていたら、ジョン・ダンの「エクスタシー」という詩を思い出したので、もう一度ひっくり返してみた。長い詩で、エロティックなイメージもちりばめてあるんだけど、下に引用した部分が極め付きの「愛による永遠」のイメージに近いかなあ。あくまで個人的な印象ですが。

As, ‘twixt two equal armies, Fate
    Suspends uncertain victory,
Our
souls—which to advance their state,
    Were gone out—hung ‘twixt her and
me.

(勝利の女神が二つの陣営の間でどちらを勝たせるのか迷っているように、私たちの魂も体から出てきたまま、二人の間でぶらぶらとさまよっている)

And whilst our souls negotiate there,
    We like sepulchral
statues lay ;
All day, the same our postures were,
    And we said
nothing, all the day.

(私たちの魂がぐずぐずしている間、体は墓標のように横たわっている そして一日中同じ姿勢のまま、一言も語らずにじっとしている)

If any, so by love refined,
    That he soul’s
language understood,
And by good love were grown all mind,
    Within
convenient distance stood,

(もしも誰か 愛によって洗練され、魂の言葉を理解することができ、善き愛によってはぐくまれた者が私たちの近くに来たとしたら)

He—though he knew not which soul spake,
 
  Because both meant, both spake the same—
Might thence a new concoction
take,
    And part far purer than he came.

(その人は、溶け合った魂のどちらかが話をしているのかは区別はできないかもしれないが、その話から新たな精気を受け取り、来た時よりもいっそうピュアになっていくだろう)

ダンの詩のこの部分は男女の愛の行為直後のエクスタシー(の快くだらだらした継続)を表現しているわけだけど、たとえば一緒に過ごしていて「永遠」を感じられるような仲間や家族や友人たちとの場においても、この感覚は通用するのではないかと思う。

なにか魂がそれぞれの肉体からでてきてふわふわしていて、溶け合った魂が会話する現場に、育ち善き人が来ると、その人は誰が言ったか区別がつかないような魂の会話から幸福を感じとって、ピュアになって帰っていける……というような、そんなイメージね。

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