「25ans」10月号(ああ、もう10月なのね…)の齋藤薫先生エッセイ、「女の美とこの世の掟」。女の向上心は何処へ向かうべきか?について。

一番ではなく、「別格の女」を目指すべし、という趣旨で、それじたいはまっとうで目新しい教えでもないのですが、やはりあの齋藤節でぐいぐい力強く説得していくあたり、チカラ、入るなあ。

「少なくとも”別格の女”と言ったら、美しさだけじゃない。才能だけじゃない。人格も品格も含め、人としての質みたいなものまでが、すべて人より優れていることを意味するわけで、だからあなたもこの際、”別格の女”になるべきだ」

「”別格の女”は”一番の女”じゃなく、それ以上の女」

「”別格の女”は、”旬の女”ではない。その時だけオーラを放つのではなく、いくつになっても光を失わない」

「じゃあそのために何をしたらいいの?『格』の特長は、言わば比較できるものがないことだ。だから人と競うのじゃなく、すべてにおいて自分の中での最善を尽くすこと。(中略) 美しさは永遠じゃないし、”一番”も”幸せ”も永遠のものじゃない。でも『格』だけは永久不滅」

もはや美容の問題は「人としてどう生きるか?」という道を問うことと同じことになっている。全方位からの外面的な美しさをきわめつくした25ans 読者のような女性たちには、これはとても「効く」心の美容液になるはずね。

さてさて、別格とは程遠いワタクシではありますが、このエッセイに触発されてぼんやりふりかえったこと。私は順番をつけられたり、限られたパイのなかで争ったりするのが大嫌い、というかどうしてもできなくて、いつも目指してきたのは、「枠外」だった。枠の中で順位を競っている限り、嫉妬やら足の引っ張り合いやら裏の根回しやらなんやらがあって、私はそういうごたごたした<政治>に巻き込まれたが最後、まっさきにつぶされてしまう性質だ。「ヒトがよすぎる」っていうヤツ。だから、規格の外に出てしまうことにした。比較の対象など誰もいない風通しのいい場所。そういう場所だったらのびのび、よけいな心労ヌキにやりたいことに没頭できる。一番もびりもない場所。たぶん、人一倍、嫉妬やら敵意やらの感情に敏感であることの裏返しなんだろうと思う。それを感じるや否や、逃げる。そうやって「枠」から逃げて逃げて、ひたすら逃げてきた結果というか、一過程として、たぶん今がある(今もまた、ひとつの通過点にすぎないのだろうけれど)。

だから私の場合は、「人と競うのじゃなく、自分の中での最善を尽くす」ことはしてきたけれど、結果として向ったのは「別格」ではなく、「別枠」かなあ。どんなグループとも、仲良くはするけれど深く巻き込まれないようにしてきたのも同じ発想からくるもので、つるむくらいいならむしろ一人でいる方がいい。

これはこれでたいへんで、オーラなんて無縁だし、永久不滅でもないけれど、まあ、根回しや中傷のとびかう世界にいるよりも、少なくとも、気持ちだけはラクでいられるかな。

2 返信
  1. Ruyi
    Ruyi says:

    中野先生、こんにちわ。
    久しぶりにコメントさせていただきます。このエントリーはグッときました。ごたごたした<政治>に巻き込まれるよりも、風通しがいい場所で一番のびのびと成長できる,と私も思います。先生の言葉で確認できてうれしいです。中野先生を見習って、私もまたブログを始めようと思います。これからもよろしくお願いします!

    返信
  2. kaori
    kaori says:

    >Ruyiさん、
    お久しぶり、お元気でしたか?
    コメントありがとう。
    なんでもいいから、書くことは続けてね。
    楽しみにしています。

    返信

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