毎日お楽しそうで、とイヤミ半分に言われたりすることもありますけれど、まあ、火の車だったり地獄だったり砂漠だったり苦闘だったり恥ずかしすぎて消えてしまいたくなるようなこと(そういうことが人生の大半を占めています)は書かないだけです。基本的に明るめで建設的なことしか書かない。愚痴や不満や悲嘆や後悔や絶望や怨恨を外に広げてもますますそれが増幅されて返ってくる。と思っているので、多少の不快なことは「なかった」ことにしてしまう。もちろん、そういう感情の存在を悪だと思っているわけではなく(神が創った人間が抱く感情に善悪などないと思っている)、小説や映画でさんざん自分の思いに重ねて味わうことにしています。ただ、実人生では、できれば明るい面が増幅していけばいいと願っている。で、そういうことばっかり書いてるわけですね。

でも、弱音を吐くのもときにはいいことなのかな、と思ったのは14日付朝日新聞の国際欄。「女性は手にできないのか」。

アメリカの国務省の要職を、子育てのために辞したスローター・プリンストン大教授の論文。キャリアを極めたエリート女性による「告発」。

「政府の外交政策に携わるチャンスを得たら誰にも邪魔はさせないつもりでした。これが人生の目標のひとつだったから。でもワシントンではプロとして振る舞うか、子供を守るか、二者択一を迫られた」

「男性に『どうやって仕事と家庭を両立させていますか』と聞く人はいない一方で、女性は大変な努力を迫られる。決して個々の女性の能力の問題ではないんです」

ここまでキャリアを極め、人生の目標のひとつに迫りながらも、子供のためにそれを断念しなくてはならなかった痛恨はどれほどのもんだろう…。彼女の心中を思うだけで泣ける。たくさんのことがらを断腸の思いであきらめてきたし、そのなかにはとりかえしがつかないことだってある。これ以上なにをがんばろうというくらいにがんばっても、結局なにもかもが中途半端なまま。……というのは私ばかりではなく、仕事ををもつ多くの女性が経験していることですね、たぶん。

これだけの地位にあった女性が弱音?を吐いてくれたことで、多分、多くの女性が「救われた」。そういう共感もまたアリですね。

・同日付の「ヒーローズ・ファイル ~挑戦者たち~」、映画監督西川美和さんのことば。

「現場では何十人もの人間が同時に動きますから、本当に生き物のようで、一触即発というか、役者やスタッフの心だってデリケート。ちょっと心が傷つくだけで全てがうまくいかなくなる」

物書きの現場でもこういうことあります、はい…。人の心は「こわれもの」。丁寧に扱わなくてはね。

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