厳しい時代だから、自分のことだけで精いっぱいになりがち。だけど、そういうときにこそ、他者を思いやれる行為ができるかどうかに、人としての資質が試される気がする。

明け方、畏友Gさんから届いたメールに、忘れてはいけない大切なことを教えられました。グローバルに活躍する、超多忙な人なのだけれど、出張や仕事の合間をぬって、定期的に東北の被災地域を訪れて黙々とボランティアをおこない続けている。いつも思慮深いメールをくださるのですが、私信とはいえ、今回は私たちが忘れてはいけないパブリックな問題を扱っていてとりわけ深く考えさせられたし、一人でも多くの読者の方と共有したい大事なことが書かれていると感じたので、Gさんの了解を得て、多くの方と分かち合いたいと思ったところを、次に紹介します。

[E:club]土曜の深夜に東京を出て、宮城の被災地跡や仮設を巡っての帰りです。私と数人の知人は、3.11の三日後から、四ヵ月間物資投下のヘリを飛ばして、その後、日常医療物資と食料の差し入れと、被災地域の片付けをやっていて、私も出張やスケジュールの際どい仕事の無い限り、月に一度は東北に行ってます。今回は、いつもの医療品と、知人の飲食店経営者がクリームシチューを300kg寄付してくれて、それらを配って、石巻の外れの壊滅地域の片付けをやって来ました。そうした活動も、もう三年目に入ろうとしています。

けれど、東北に行くと、いつも帰りは重たい気持ちになってしまうんです。なぜって、ちっつとも「復興」していないから。そして、被災者にもそれへのエネルギーがあまり感じられない。もちろん、私達の行動自体は喜んでくれるのだけれど、「なんとかして以前の生活を取り戻したい」という熱烈な意思が希薄に思える、というか、なんとなく諦め感が感じられるんだなぁ。それが、行くたびに大きくなって来てるように思えるんだよね。

私は、阪神・淡路の時も支援活動をやったけれど、「復活への熱意」と「復旧のスピード」が格段に違う気がする。いや、明らかに違うと思う。地域的枢要性の差で、国のテコ入れに差があるということもあるのだろうけれど、あまりに違い過ぎる。

私は、行動をするについて、「速度」というのは一つの力だと思っている。公的なものであれ、私的なものであれ、予測や対応処置を迅速に実行に移すことこそがキモで、どんなに優れた方策を考えついても、実行する速度が遅れて機会を逸すれば目的は達成できない。その意味で、行動をするにあたっては「速度」は最も重要な要素の一つであると考えている。

そうしたことから考えると、東北の被災地については、故意に「速度」を遅くして、他地域には風化を、当事者には諦め観を持たせる「意志」が働いているように思えてならない。

阪神・淡路との大きな違いは、原発事故の有無だけれど、これも無関係だとは思えない。福島は隣県だけれど、石巻の放射線量は、今回私が手持ちのガイガーで測っても、幼児や少年はいてはいけないレベルのものだ。けれど、「復興」の広告にされている漁協などでは、線量を測定することも無く牡蠣などを出荷して、近隣の店などでも出されている。

私は、年末年始に知人の人生が素晴らしく充実したのを目の当たりにして来た。彼は、天の与えたものに恥じない努力を積み重ねて、それらを生かした。「オーケストラのスコアに、無駄な音は一音も無い。だから、一音たりとも疎かにしてはいけない」というのが彼の哲学で、20年間、彼がそれを貫いて来たのを私はずっと見て来た。それは、大いに私を励ましてくれるものであったし、力付けてくれるものだった。

人は、その大小に関わらず、己の持てるもので工夫して生きていくしかない。その中で、それを少しでも大きくすべく邁進するしかない。そして、それらで、己のやろうとしていること、やるべきだと思っていること、それらをやっていくしかない。それが私のこれまでの人生を経て来た持論で、これまでも、今も、そう思って生きているつもりです。

けれど、東北の件については、最近少なからず迷っている。私達が活動することが、援助することが、結果的に当事者の「諦め」を助長してはいまいか? 「風化」や「諦め」をさせようとしている意志の思う壺になっているのではないか?と。

Heaven helps those who help themselves.(「天は自ら助くる者を助く」)
天災という、予測しないものにぶち当たっている人達の苦痛を、少しでも和らげられれば、助けられればと思って行動し続けてきた私にとって、今、一番重くのしかかっているセンテンスです。古くは、関東大震災も、戦後の焼け野原も、当事者の「復興」への強い「意欲」こそが、それを遂げさせたので、それに代わるものなど無い。その「意欲」を削ぐことに繋がっても、凍える人には暖を、飢える人には食事を供してよいものかどうか、正直、今の私にはわからない。ただ、今現在は、そうした答えが出るのは今ではない、と半ば自分を割り切って行動しています。[E:club]

以上が畏友Gさんの言葉です。さまざまなことを考えました。まず、天は自ら助くる者を助く」。実はつい先日、初詣で「強欲なお祈りをしてきた」という友人に、「願いをかなえてもらう祈り方があるのよ」とアドバイスしたところだったのです。

あくまで私のささやかな経験上からの助言でしたが、願いをきいてもらうためには、「お金持ちにしてください」ではなく、「お金持ちになるために努力するので力をお貸しください」と祈る。「恋人ができますように」ではなく、「恋人ができるように積極的に行動するのでチャンスをください」と願う。忙しい神様に優先的に助けてもらうためには、まず自ら助ける。そのうえで神様がチャンスをくれるのよ…。どちらかというと怠惰な傾向の強い友人に、努力するよう背中を押すつもりで、そのように話したところだったのです(エラソーでごめんなさい)。

「天は自ら助くる者を助く」は真実だと思っています。でも、あまりにも強く打ちひしがれている人、もう「諦め」モードに入るしかないよう状況にまで追い込まれて「意欲」すらそがれている人に対して、これはかなり虚しくひびく言葉かもしれない……とこのメールを読んで複雑な思いを味わっています。

ほかにも「速度」のこと、「持てるもので工夫するしかない器用仕事」のこと、熱意のこと、さまざまなことに連想が及びましたが、長くなるのでまた追々に。

ちなみに、文中に出てくるGさんの20年来の「知人」とは、フランツ・ヴェルザー=メスト、今年のウィーンフィルのニューイヤーコンサートの指揮者です。年末年始はその仕事ぶりを見るためだけにウィーンに行き、帰国して息つくまもなく東北に行っていたのでした。Gさんによれば、彼は小柄だけれど、演奏者たちに見えやすいように、シャツのカフスを大きくして長く出すといった、細部にいたるまでのきめ細かい配慮をしていらっしゃるとのこと。一流の仕事をする人ほど、細部と他者への配慮がこまやかであるということ、ここにおいても実感。

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