人とのご縁であれ、仕事であれ、目の前のことに対して、なにか無心で行動しているときに、ふわっと偶然のドライブがかかって、まったく予期しなかったところへ導かれ、それがこの上なく完璧な場所。ということがしばしば起こる。ぼんやりとそんな力のことを考えていたら、腑に落ちた文がコレでした。

「UOMO」5月号、「仕事の学校」から。川村元気×沢木耕太郎。

沢木「あらゆる創作物は偶然によってドライブがかからないとよりよいものにならないことがあるんだよね」

ただ、なにもせずにタナボタを待っていても、よりよいものにしてくれる「偶然のドライブ」はかからないのよね。ひたすら集中と苦闘の長い時間があって、まったくゴールすら意識しなくなった無心のときに、神のご褒美のようにそんなドライブがかかった、と感じる瞬間がある。いい仕事になった、と感じられるのはほぼこんな瞬間。出会うべき仲間と出会った、と感じられるのもこんな瞬間。自分の意志で目指した場所へ到達するんじゃなくて、意図したよりもはるかにすばらしい<圏外>へ受動的に導かれる感覚、これが至福の感覚だなあ。

自分が想定する目標なんて、タカがしれているし。もうひとつ、同誌から沢木さん語録。

沢木「1人で登れない山もあり得るわけで、そういうときにソロで生きられる力のある人が緩やかなパーティーを組むのが、何かを達成するときにはいちばん強い。だから大切なのは『どこにいてもソロで生きられる力をつけろ』ってこと。新たなパーティーに誘ってくれる人がいるときに、参加できる力を身につけておくことが生き方の理想型だと思う」

チャーチルの「地獄を経験しているなら、そのまま突き進め」の真意は、このあたりにあるんですよね。地獄のトンネルのその出口で、偶然のドライブがかかる。地獄のトンネルを抜けることができれば、ソロで生きられるタフネスを身につけていることになる。その暁に、より魅力的で強力なパーティーと組むことができるステージが待っている。

そんなパーティーと出会う秘訣(という言い方はなんだかキモチワルイけれど)は、ふりかえってみると、やはり目の前の人に対し、丁寧に誠実に接することに尽きる。「いい出会いはないかな」ときょろきょろしたりする人、「ここは私の居場所じゃない」と心ここにあらずのような人には、だれも寄ってはこないのだ。いまこの瞬間、目の前にいる人に対し、あたたかく誠実に接していると、その人が、友達とか縁者を次々に連れてきてくれる。そんな、友達の友達の友達のなかに、お宝のような出会いがある。

2 返信
  1. is
    is says:

    中野様
    今回のブログでのお言葉に、ハっとさせられました。近頃、心ない言葉や小さなセクハラ発言を浴びて「ここは私の居場所じゃないわ!」とささくれた気持ちで働いておりましたが・・ますます負のスパイラルに陥り、這い上がれない状況に(泣)
    でも何を言われたとしても、目の前の事、人への誠実さを忘れていた自分に原因がありました。そして、キョロキョロと「出会い」だけを端的に追っていたことにも反省です。
    お言葉が身に沁みました。生き方を軌道修正します。ありがとうございます。これからもブログ楽しみにしています。

    返信
  2. kaori
    kaori says:

    >isさん
    ご愛読、そしてコメントをありがとうございます。
    私がようやくこの境地にたどりついたのも、やはりisさんのような経験も経て、苦闘のなかで「学習」したからこそ(苦笑)。
    まだまだ、試練がふりかかってくるたびに考え方も変わろうかと思いますが、そのさなかでの発見や気づきを記していくしかないかなあと思っています。
    「今、この瞬間の目の前」のことや人に最大限に心を集中する。しかも軽やかにポジティブに。これが目下の、幸せになる(!)ためのヒケツかなあ。
    少しでも、お役に立てることがあれば幸いです。

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