ソフィア・ウォリスのフォトシリーズ、Modern Dandy 。私が、「マグナカルタ」の連載で新解釈しようとしているダンディズムと相通じるところがあって、プチ興奮。

なぜ世の中はダンディズムを蔑み、ときに恐れることもあるのか。

精緻な服装術を通して、まったく新しい「ペルソナ」を創ろうとするのがダンディズム。

そのペルソナは、社会の既成の枠組み、というか、性差の役割のステレオタイプを壊すほどラディカルでなくてはならない。

ブランメル、ワイルド、アンディ・ウォーホル…。既成の秩序を覆した男たちでもあります。

この一連の写真においてはティルダ・スウィントン、グレース・ジョーンズのような両性具有系の女性も「モダン・ダンディ」の仲間入り。(ここまでくると、私の領域ではない)

3ピーススーツでばしっと決めて、なにもかも誰かが決めたルールの中に上手に納まっているという姿勢は、伝統回顧を趣味とする保守主義であって、21世紀においてはダンディとは呼ばないのです。保守主義や懐古趣味は、それはそれで素敵なので、讃えたいと思います。スーツでばっちり姿も、それがなんらかの抵抗の意の表明になっているかぎり、ダンディと呼んでいい(というのもおこがましいですが^_^;)。ただ、それと、これとは、話が別。私が積極的に意義を見出したいと思うのは、あくまで、孤独で、クールで、エレガントで、ラディカルな抵抗の態度としてのダンディズム。

ダンディズムとジェントルマンシップを、混同してはいけない。

賛否両論あるのは当然。むしろ異論が多いほうが健全。でも、こういう新解釈の動きをシンクロニシティとして感じるのは、心強いし、胸が躍るものですね。

3 返信
  1. Taul.O
    Taul.O says:

    ここで新しく解釈されている尺度で言えば、ベネディクト・カンバーバッチは、その容貌や雰囲気、話し方や会話に於いて返す言葉の選択や話す内容等々、立派なダンディズムの持ち主に感じます。
    かと言って彼が京都人ぽいとは思いませんが、老若男女を問わず(特にある年齢以上の)京都人で彼を好ましい若者とだ思う人の割合は、他都市より多いのではないかと思います。
    きっと入江惇彦氏も、他の京都人男性より少し多い様々な意味で彼に好感を抱かれるのでは?

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