前にも一度アップしたかもしれないけれど、何度も読み返している、私にとっての心のクスリみたいな本なので再掲。

言葉尻だけを捉えてのあげつらい、悪意を前提とした偏った解釈や罵倒、嫉妬を避けるための巧妙な自虐、あるいはその反対の、明朗すぎて気持ち悪い自己アピール、味方のフリして打算だらけの噂話、ガチガチの正論攻撃など、なにか気持ちが荒むような言葉を浴びて心がやられそうなときがあったりすると、この二人の、適度にいいかげんな、リベラルな言葉でバランスをとりたくなってくる。以下は第一章からの引用、ほとんど自分に言い聞かせて、癒されるためのものです(笑)。

鷲田「近代社会って生まれて死ぬまで同じ自分でないといけないという強迫観念があって、直線的に自分の人生を語ろうとするじゃないですか。昔の偉い人は何回も名前が変わった。失敗しても名前を変えるくらいの気持ちでいたらええよ、と。人生を語るときは直線でなく、あみだくじで語れ、といいたいね。あのとき内田さんと会ったからこんな人生に曲げられてしまった、でいいんです(笑)。出会った人を数えたほうがいいんですよ」

内田「若い人たちが書いたものを読むと、整合的なことが書いてはあるんだけど、言葉がとげとげしいんですよね。(中略) 格差論の中には『無能で強欲なジジイたちを退場させろ』なんて言葉を使う人もいる。言葉の肌理が紙やすりみたいにざらざらしているんです。そんな言葉遣いしてたら、どんなに正しいことを書いても誰もついていけない。とげとげしい人たちが集まって、果たしてそこに共同体が作れるのか」

鷲田「人が成熟するというのは、編み目がびっしりと詰まって繊維が複雑に絡み合ったじゅうたんのように、情報やコンテンツが詰まっていく、ということです。それなのに今の世の中、ジャーナリズムも単次元的な語り口でしょう。すぐに善悪を分けたがる」

鷲田「僕は多様性という言葉を使う人にいつも質問するんです。『わかった。文化は多様でなくてはならない、人はそれぞれ違う。では、どうして私は多様であってはいけないの』と。なぜ個人が多様性を持つと、多重人格というレッテルが貼られるのでしょう」

内田「ほんとですね。それが今回のテーマである『成熟』の一つの答えでもあると思うんです。子供と大人の違いは個人の中に多様性があるかどうかということですから。(中略) 年をとる効用ってそれだと思うんです。生きてきた年数分だけの自分がひとりの人間の中に多重人格のように存在する。そのまとまりのなさが大人の『手柄』じゃないかな。善良なところも邪悪な部分も、緩やかなかたちで統合されている。そういうでたらめの味が若い人にはなかなかわからないみたい」

読者の知性を信じるからこそ生まれている、このゆるゆるで寛容なやさしさにほっとする。年をとる効用が、人格が増えること・・・って(笑)。「15歳の自分」を打ち消す必要もなく、「40歳の自分」なんかの合間に時々出てきてもいいじゃないか、といういいかげんな懐深さに、救われます。

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