面白かった! 真剣勝負な「性から政へ」のお話。硬派なナンパ話です。要約なんてできない豊かさにあふれていて、一筋縄ではいかないのですが、新しく教えられたことなどを以下にメモしておきます。ほとんど自分のための備忘録であったりするので(紙に書いたメモはなくなりますが、ウェブ上にアップしておけばいつでも検索可能に)、前後の文脈がなくて恐縮です。そんな自分勝手な記録ですが、読者の方にも少しでもシェアできるアイディアがあれば幸いです。

★ヴァーチュー(virtue) = 内から湧き上がる力。内発性。<自発性>は損得勘定が中核だが、<内発性>は損得を超えた不条理なもの。

どんな社会も、損得勘定の<自発性>とは別に、損得勘定を超えたヴァーチューがないと、社会的貢献動機を十分に調達できない。そして、損得勘定を超えたヴァーチューを示す人は、周囲を次々にミメーシス(感染)させていく。

ミメーシスは変性意識状態を前提にしたもの。

内から沸き上がる力だけが、相手に変性意識状態をもたらし、「ここ=実数」に「ここではないどこか=虚数」を重ね焼きにした複素数空間を生きさせる。 

★女性は花。花だから、自分から誘いに行ったら、みっともない。ただし、花のような感じで「ふわーっ」とひきつけている。

★<受苦的疎外> 世界は本当なら別のものでありえたのに、目の前にあるこのものでしかない、というふうに現れる。

★「性に乗り出せないことの困難」から「性に乗り出したことによる困難」へのシフトは、「現実の実りから疎外されている」という感覚から「現実の実りのなさへと疎外されている」という感覚へのシフトにつながる。

これをデュルケームの自殺類型にあてはめると「貧困ゆえの自殺から、豊かさの実りなさゆえの自殺へ」。「現実は取るに足りない」との感覚。

★「男子における<恨み>がナンパクラスタ的ミソジニーにおける女の<物格化>として現れる事態」と「女子における<恨み>が風俗や売春における男の<物格化>として現れる事態」が機能的に等価。

★黒ギャル⇒白ギャル。援交から離脱したリーダー層の「男たちの性的視線を拒絶する」ガングロ化にシンクロして、「性的に過剰であることはイタイ」という意識が日本全国に広がる。これは社交的なリーダー層がストリートから退却して24時間出入り自由な地元の友達の部屋にたむろする「お部屋族化」ともシンクロ。

リアルに過剰にこだわるのはイタイ、という男子。性的に過剰であることはイタイ、という女子。90年代後半には過剰さという痛さの忌避が一般化。

★肉食系合コン。単に<踏み出し>に積極的なだけで<深入り>の意欲とノウハウを持たないので、マンネリ化と取っ替え引っ替えを繰り返す。

騎士道における7つのヴァーチュー。美徳、と訳していてはダメでしたね。ミメーシスという概念も、大学の文学の授業で延々と時間をかけてやったわりにはよくわかってなかった。この本でようやくすんなり腑に落ちた。

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