記述におけるジレンマ、に関連して。実はいま、大学でもっている授業5つのうちの一コマに、これを教材&参考資料の一部として使っています(いつもそのときにいちばん旬に見える教材を使います)。テレビドラマで話題になった、発売されたばかりの「俺のダンディズム」DVD版と書籍版。

Oreno
「ダンディズム」の歴史的な話とか人物に関しては、私の「ダンディズム」本をネタにしているだろう?!っていうところもありましたし、いろいろツッコミどころも満載でしたが、それにぐっと目をつぶれば。

まずは、マテリアリズムに徹しているだけあって、それぞれのアイテムにおける「国際市場における日本製品の位置づけ」という観点からなかなかいい資料となるのです。時計市場におけるセイコーの役割とステイタス。万年筆市場におけるセーラーとプラチナの位置づけ、傘の歴史と和傘・洋傘の違い、技術の粋はどこで見るか、などなど。このようなマテリアル領域におけるマニアックな情報もまた、「Global Japanese」であるための知識としておさえておいたほうがいい(「国際日本学部」は英語で表記すると<School of Global Japanese Studies>です)。この点できちんと調べ上げた制作者に心より敬意を表します。

そして、これはサブテーマとして話していることなんですが。ホンモノのダンディは「ダンディズム」について決して語らない。ホンモノのジェントルマンは「ジェントルマン」について決して語らない。天才が「天才」について語りえないように。生まれついての姫が「姫とはなにか」みたいな話が決してできないし、する必要もないように。

ダンディズムの祖ブランメルも、ダンディとはなんて言葉で定義づけることはなかった。後代の人、とりわけガイコクジンであるフランス人がその立ち居振る舞いにいちいち「もはや本国ではいなくなってしまった貴族的優雅」という意味を見出し、というか意義を与え、語り継いでいった。

ダンディズムやジェントルマンシップについて饒舌に語っているのは部外者だけ。女とか、ガイコクジンとか(ま、私とかがそうなんですけど)、あるいはボーダーにいる人とか、完全なインサイダーというわけではない人が分析するとか。そこのところをわかって語るのは聞いていても興味深いですが、いいトシして自分が実践者とばかり、なんの批判精神もなくとくとくと語る男は、ちょっと恥ずかしく見える。もちろん、そこにひとひねり、その人なりの芸やユーモアが加われば、知的な面白さが生まれますが。

そういう領域が、この世にはある…。それを知っているのと知らないのとではやはり人としての深みに大きな違いが生まれると思うのですが、できれば学生のうちに卒業しといたほうがいい。いい大人になって真剣に、なんの批判精神もなく追いかけている姿を人前でさらして、恥かいてからでは遅い(本人は恥をかいてることに気がついていないのがもっと悪い)。その恥ずかしさもまた、このドラマではちゃんと「笑い」に昇華して表現しているから娯楽としても面白いわけですが。

というわけで、一目おかれる(っていうか恥をかかない)スノビズムの表現の仕方、知らない奥深い世界を前にしたときのわきまえ方も含め、よい教材として活用させていただいている次第です。

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