6月4日号週刊新潮の佳子さまファッション記事につき、取材を受けたコメントの一部が、予想していたことではありますが、一部のみ切り離されて掲載されました。(どのようなコメントが掲載されるのか、事前にまったく確認はしておりませんでした。)

それに対して、さっそく、こちらがびっくりする非難のメッセージが送られてきました。悪意に満ちたもので、当方の外見に対する中傷があった後、関連する内容に対するこのようなメッセージでした。匿名でした。

「よくも知りもしない、知る機会すら与えられないレベルの人が佳子内親王をチャラいだのギャルだのコメントできたものですね。」

私の外見に対する中傷に関しては、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということでもあろうかと思いますが(あるいは袈裟が憎けりゃやることなすこと全部憎いのか。いずれにせよ、それこそ「よく知りもしない」人からの全面的な悪意に満ちたメッセージでした)。このコメントに対しては晴天の霹靂。どこをどう読んだらそのように受け取れるのでしょうか。『キャンパスファッションが「ちゃらい」とか「ギャルっぽい」「露出多すぎ」という批判もありますがいかがでしょうか?』というような質問があったので、私は全面的に佳子さまサイドに立って、「いまどきの、ごくふつうのキャンパスファッションです」と弁護したつもりでした。

佳子さまの、キャンパスファッションに対する私の基本的立場は、先日のブログ(5月24日、Rcerback Tanktop)に書いた通りです。週刊新潮の取材においても、なにもそんなことまで記事にするほどのことではないのではないか、と結論としてお話しましたが、その部分はスルーされてしまいました。(当然ですよね。特集記事そのものを否定するわけですから(^-^;)

切り取られた私のコメントに対する怒りをぶつけていらした方は、佳子さまへの思い入れがお強いあまり、冷静に読むことがあたわなかったのかもしれません。このような記事に対する怒りそのものをどこかへぶつけたかったのかもしれません。

その思いもよくわかりますが、ともあれ、私の立場は、先日のブログに書きました通りです。そもそも、佳子さまのキャンパスファッションなどあたたかい目で見守ってさしあげるべきで、いちいち目くじら立てて記事にするなんてナンセンスである、という立場です。

そもそも、コメントが一部だけ切り取られて使われる週刊誌の取材には、身を守ろうとすれば、協力すべきではなかったのかもしれません。依頼されれば断れずに丁寧に対応してしまう私が甘かったのですね。反省しています(何か言いたくて自分から手を挙げてコメントしているわけではありません)。現代は、物事の背後の文脈を考えないという意味でのリテラシーが消失している人が増えているということ、あらためて背筋が凍りつく恐怖とともに感じました。

というわけで、くどいですけれど、私の立場は一貫して変わりません。文脈から切り離されたコメントで、一部の方に誤解を与えてしまったかもしれないことを、心より哀しく残念に思っています。

 

 

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