“I owe my solitude to other people.” (By Alan Watts)

オスカーセレモニーに個性的すぎる装いで登壇したあまり、会場のタキシード族から冷たい態度で見送られたジェニー・ビーヴァンを思っていたら、以前、保存しておいたメモを思い出した。人は口先では「個性を表現しろ」なんて言うけど、実際、ほんとうに表現したら冷たい仕打ちにあうこともある。それでも個性的でありうることができるかどうか。以下、備忘録までです。

朝日新聞 2・21 読書欄 『断片的なものの社会学』(岸政彦)の書評 by 市川真人さん より

「『私はこの石が好き』は非暴力的な自由だが、『この石を持つ者は幸せだ』と一般化すると持つ者と持たぬ者の差別を生む。だから様々な個性と価値観が尊重されるべきだ―――そう語る著者は同時に、『だが個性的であることの孤独に、本当に耐えられるのか』とも問う」

 

同 2.21 鷲田清一先生「折々のことば」

「できるだけ屈折している人がいい……光がいったときには、普通の人の屈折率よりも違うふうに光が入って、演劇が立ち上がるんだ」(蜷川幸雄)

「世の習いにうまく合わせられない人、生き方がこじれている人のほうが、演出に対し複雑に反射するので、演技は厚くなる。どこか時代の影がさすこともあり、演技に独特の綾が生まれると、演出家は言う、俳優について語っているのだが、人生というドラマにおいてもきっと同じことが言えるはず」

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関係ないけど、セレモニー翌朝のUSA TODAYの一面。Zingerということばをはじめて知った。当意即妙な返答をする人とか、元気のいい人とか、風変りな人とか、そんな意味らしい。Winners and Zingers っていうタイトルがいい。個性的なzingerが受け入れられるのと嫌われるのの境目はどこなのか。

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