この時期はおよそ700人分の学生のレポートに目を通します。ほぼ丸四日かかります。学生だからと低く見ることはなく、誠実に書かれているものはできるだけ同じ程度の誠実さを心がけて読みます。だからおそろしく消耗しますが、同時に、新鮮な見方、新しい気づきにも出会えたりします。

今はネットで検索語を入れればあっという間に大量の情報が出てくる時代。だから、「客観的事実」(これはこれでなにが客観なのかという問題はありますが)をつまみぐいしてさらっとまとめたものなんてまったく意味がないのです。読む人にとってはすでに知ってることばかりでつまらないし、書くほうだって、なんのクリエイティブな楽しみもないのではないか。だから、プレゼンテーションにしても、レポートにしても、どれだけ自分の感情が動くのかということを指針に、本音を伝える、あるいはそれについて問いを立てて独自の考えを展開していくことにエネルギーを注がねばならないのです。平たく言うと、書くひとじたいが、オリジナルな発見や表現にワクワクしていることが基本です。それは読み手に伝わります。ましてや科目が「ファッション文化史」であれば、思い込みや常識の枠を外して、自由な問いを立て、ユニークな発想を展開し、それを表現する術を養い、「個」としての自信を培う機会にしてほしいと思っています。それが「自分自身を形づくる」ことの根本になります。

(もちろん、こういうことは、日頃からうるさいくらいに言っていますが…。こうして書いてみるとハードル高そうだね)

そのうえで、これを誰が読むのか?!ということを意識して書くことが肝要です。プレゼンテーションもそうですが、一方的に情報を投げるのではなく、受取る側とのコミュニケーションだと思ったほうがいい。

それを理解すれば、レポートでやってはいけないこと、というのもおのずからわかると思うのです。

・テーマど真ん中にも関わらず、担当教員の著書を「参考文献」に入れずに(読まずに)そのテーマについてウィキペディアに書いてあるような話を滔々と書いてしまうこと。たとえば、テーマが「ダンディズム」で、それについて10枚くらいあたりさわりのないことを書きつらねて私の著書が参照文献リストに入ってないとか。笑。いえ、教員の本など読む価値ナシと思ってリストから外したのなら別にいいし、オリジナルな見解があればそれはそれでいいんですけどね。そうでない場合は、読む人の立場にいったん自分を置いてみてから考えましょう。

・たとえば「あなたは白洲次郎という人の名を聞いたことがありますか?」っていう書き出し。悪いけどそのレポートを読むのは担当教員の私しかいなくて、その講義をしたのは私だということを忘れてはいませんか? その後、ホームページやウィキペディアに書いてある程度の情報や授業で紹介した話だけを、そこから何の発展もないまま得意げに書かれても困るばかり。誰に向けて書いているのか、もう一度頭を冷やして自分の立場をはっきりさせて、本当に自分が感じ取ったことや考えたことを大切にして、それを起点に調べ、書いていきましょう。日頃から、自分の心の動きと丁寧に向き合うという習慣も大切ですね。自分の感覚を粗末にしていると、ウェブのいい加減な情報にすぐやられてしまいます。そんなことでは永遠にほんものの「自信」など手に入りません。

忙しい学生は、ほかにもたくさんの試験やレポートを抱えているので、ひとつの科目ばっかりに本気出してるわけにはいかないことも理解できます。だから、気が付いたことはしっかりと指摘するけれど、それほどシビアな点数はつけません。今後のご参考までに!

 

翻って、私自身が書いたり話したりするときに注意しなくてはならないこととして心に刻んでおかねばと思います。書いたりプレゼンテーションしたりすることは、情報過多の現在においては、むしろコミュニケーションであるということ。どれだけ自分の本心や微細な感覚に丁寧に向き合い、相手に喜んでもらえるよう(時間を無駄にしたと思われないよう)サービスできるかということ。日常の生活態度がもろに出ます。書くスタイル、話すスタイルにしても、10年前とは明らかに違う次元が求められています。

 

 

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