今の仕事をするに至った経緯を他のサイトで書きかけていたのですが、諸般の事情でとりやめになりましたので、以下、こちらのブログに転載しておきます。

ケンブリッジ大学客員研究員時代のこと。

1994年の秋から、大学院の博士課程(British Studies)を休学して、客員研究員としてイギリスのケンブリッジ大学を訪れていました。ケンブリッジ大学といってもその名前の建物があるわけではなく、街の中に30といくつかの「コレッジ」が点在しています。それらの総合体がケンブリッジ大学というわけです。

私がお世話になったコレッジは2か所です。「ヒューズ・ホール」と「ホマトン・コレッジ」。ヒューズ・ホールは理系の学問に強く、ホマトンは主に教育系の学問に強いところでした。今回はホマトンでの思い出を書きます。

hommerton(Hommerton College, Cambridge)

 

日本の大学のように決まった時間に講義があるわけではなく(学部生は、大教室でいくつかの講義を受けますが)、「チューター」と呼ばれる人が、一対一、あるいは小人数を対象に、とことん個人と向かい合って指導していきます。私は一応、立場としては学生ではなく、下位の教員と「ほぼ対等」の客員研究員(visiting scholar)として来訪していたので、個人の研究はあくまで個人として責任をもっておこない、そこで生じた疑問やら見解やらを、チューターや、他の研究員たちとディスカッションして発展させていく、という表向きはゆるやかに見える研究生活を送っていました。

自由には責任が伴います。ハードに割り当てられる課題に追われるというプレッシャーはありませんが、最終的に「業績」が出なければ誰にも相手にされなくなります。Publish or Perish(書かなかければ滅びるだけ)という暗黙の掟が学問世界にはあります。限られた時間をいかに自分自身の責任で管理して効率的に成果を上げていくか、それはそれは大きな重荷を、焦りとともに感じていました。

しかも当時、私はまだ3歳だった長男を連れていっていたので、まずは自分のための時間を確保することだけで精いっぱいというところがありました。イギリスの冬は朝9時にようやく明るくなる感じなのですが、その時間に、長男をナーサーリー・スクールに連れていきます。子供にとっては言葉も全く通じない環境ですから、最初の20分くらい、その場になじむまで、一緒にいます。ようやくスクールを後にし、カレッジに向かうと10時近く。

落ち着く間もなく10:30ごろから「コーヒー・モーニング」が始まります。ホマトン・コレッジのチューターや大学院生、各国からの客員研究員たちが一室に集まり、スコーンとコーヒーをいただきながら(紅茶よりもコーヒーを好むイギリスの研究者が多かったのは、意外な発見でした)、研究にまつわるよもやま話を議論しあう場です。ここでいわゆる「世間話」をしていても別にとがめられることはないのですが、何しに来てるんだという目で静かに軽んじられていきます(笑)。昨日の研究成果の一部を披露したり、他の研究員や大学院生の話を聞いたり、チューターの意見を聞いたりしているうちに、あっという間にお昼になります。

コレッジを出て、シティセンターで軽めのランチを食べたら、午後はユニヴァーシティ・ライブラリーにこもります。図書館といっても東西南北多方向にウィングをもつ壮大な建物で、本を倉庫から出してもらう手続きも一仕事。まずは検索ワードにひっかかった本を片っ端から出してもらい、目を通して、必要とあればコピーするのですが、コピー枚数は著作権の関係で限られます。しかたがないので必死にその場で読んで、引っ掛かりを感じたところを、本の概要とともに、片っ端からメモしていく(まだスマホもない時代)。情報は少ないのも困りますが、多すぎても途方にくれるものです。当時、研究課題としてゆるやかに掲げていたのは「イギリス社会におけるジェントルマンの支配」。「ジェントルマン」というワードにひっかかった本だけで、ワンフロアほぼ占めるくらいの本があると知った時の絶望ときたら……。

university-library

(Cambridge University Library)

そんな作業を2時間連続して集中できればいいほうで、あっという間にナーサリーのお迎え時間が迫ります。もう暗くなっている15時半にはライブラリーを出て、ナーサリーまで車を走らせ、長男をピックアップして、「セインツベリ」という大型スーパーで食料品や日用品の買い物をして帰り、食事と家事を済ませたら倒れ込むように子供と一緒に眠る…。翌朝、4時に起きて昨日のメモを整理したり、その日のディスカッションのテーマを見つけたりしていました。

そのころは、まさか、夢中で集めていた膨大な「ジェントルマン」メモが、メンズファッションの領域で役に立つなどとは夢にも思っていませんでした。今の日本のファッション誌は、スーツ姿が素敵というだけで、実態スルーで安易にジェントルマン呼ばわりしますが、本来、これは厳然たる階級が存在する国における、社会的な身分を表す概念(=大土地所有者)だったのです。

(いつか、タイミングがあえば、つづきを書きます)

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