成人式ですね。大学生の晴れ着姿が続々、SNSにアップされてまいります。みんな素敵!まぶしい!

新成人になられたみなさまに、心よりお祝いを申し上げます。

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20歳だったころ何をしていただろうかと思い出すに……今のように日常的に写真を撮るなんてこともなかった時代、アルバムはないし、もうまったくといっていいほど記憶はないのですが、幸か不幸か、旅レポーターのアルバイトは続けていました。

メキシコを筆頭に、グアム、沖縄、奄美大島など、実にいろんなところに出かけては、書いていたのです。

その頃の仕事が掲載された雑誌(レジャーアサヒ 1984年10月号)があったので、恐怖を承知で当時の記事の一部を引っ張り出してみました。33年前ですよ。笑。

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このときの取材のテーマは、「大井川から御前崎 ~森羅万象浴の旅にトライ!」というものでした。金谷で茶畑を取材し、奥大井で森林浴と温泉浴、御前崎で海水浴、そして締めは中部電力原子力発電所で原子力の仕組みを学ぶという知識浴の旅。

なんと20歳の私は原子力発電所の見学にも訪れていたのだった。写真を見てもまったく記憶がよみがえらない。

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右側が私です。髪型がダサすぎるし、服が場違いすぎるしで、憤死しそうです。leisure-asahi-84-10-1右から2人目が私のはずですが、本当に行ったのかどうか、まったく記憶がよみがえらない。

現在の自分から見ると20歳のころのこのヒトはまったく別人にしか見えません。でも書いている文章を読むと、リズムがそのまんまだったりするんですよね。進歩してないというか。

 

思えばこのころから現在まで途切れず、何かを書いてくれという依頼だけは細々と続いているのでした。テーマは依頼主によって映画だったり、レストランだったり、テクノロジーだったり、演劇だったり、マナーだったり、食だったり、ほんと、さまざま。ツボにはまったのが、ファッション史だったのでしょうか。今から思うに、試行錯誤であれ、なにか行動し続けてみないと、自分が何に向いているのか、世の中のどの需要とマッチするのか、わからないものです。(ちなみに、このころは「ファッション関連のことについて書く」という未来はかけらも想像できなかった……それはこのダサすぎる格好をご覧になれば一目瞭然でしょう。笑)

 

私自身がまだまだ大成には程遠く、偉そうなことを言うことなど憚られるのですが、20歳のあなたが、「何をしていいのか、どの方面に向いているのかわからない」と感じても、あまりひとりでうじうじ悩むことはせず、まずは一歩、なにか具体的に行動してみてはいかがでしょうか。

行動して、他の人々と関わっていく中で、次第に他とは違う自分の輪郭もはっきりしてくるものです。そして新たな仕事や、予想もしなかったチャンスをもたらしてくれるのは、常に「人」、血の通った「人」なんですよね。

だからこそ、

・感謝を伝える
・常に、自分のほうが多く与える(サービスする)
・前例がなくても、こうしてあげたい、と思うことはやってみる
・決して人を貶めず、うわさ話も聞き流すだけにとどめる
・排他せず、党派に偏り過ぎず、すべての人にオープンで、裏表なく接する
・他人に依存しすぎず、距離を置くべき人とは品よく距離をとり、上手に頼り、頼られる
・八方美人はもっとも不信を買う。「あちらでもこちらでも仲良しアピール」は、長期的に見ると孤独への道まっしぐら(「あちら」と「こちら」が不仲な場合、両者から警戒される)
・口は堅く、虚栄を慎む

ということを心がけ、実践するようにしておくと、その積み重ねが「信用」につながり、長きにわたって安定して機会に恵まれやすくなるのではないかと思います。あなたが、こういう人と一緒に仕事をしたい、旅をしたい、というまさにそんな人になればよいのですよね。もちろん、武器となる能力を磨き続けることを大前提としたうえでの話ですが。

(組織のなかの処世術は、また違うのかもしれません。独立して、あるいは個人の名前で何か仕事をやっていきたいという方には有効です。)

みなさんの人生が、希望にあふれ、輝かしいものでありますように。With Love and Respect.

 

 

 

 

 

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