セーターの柄の神話について面白いと思ったこと。モノの本によれば、フィッシャーマンセーターの柄にはすべて「意味」があり、「地形」が編み込まれている。ケーブルは漁師の綱で、ダイヤモンド柄はアラン島の平地であり豊漁を祈るシンボル。ジグザグはアップアンドダウンを繰り返す結婚生活の象徴…というような。でも、瑞子さんがアラン島で見学したときには、編み手どうしが「私はこんなのも編める!」「私のほうがすごい!」と、テクニックの競い合いをしているような空気を感じたそうです。ひょっとしたら、編み手が集まっておしゃべりしながらいろいろ編んでいるうちに、先に柄のバリエーションが生まれ、それらしき意味は後からこじつけられたのかもしれませんね。意外と「起源」が生まれる現場ってそんなものなのかもしれません。

 

フィッシャーマンセーターにまつわる神話に、「水死体になって帰ってきても、セーターの柄を見ればどこの家の人なのかわかる」、つまりセーターの柄が家紋になっている、というものがあります。その話も実はある戯曲にまつわるフィクションであることが知られていますが、瑞子さんとの話のなかで、案外、間違いでもないのかもしれない、という一応の結論に達しました。つまり、セーターを見れば、「こんな編み方をするのはあの人に違いない!」と編み手を同定できる、それがすなわち着る人を同定できるということにつながったのでは?と。

先週のイベントですが。カネボウ「コフレドール」のプロモーションで、新色を使ったメイクのあと、プロカメラマンに撮影をしていただきました。

…しつれいしました。季節が春になったということで、ご寛恕ください。(^^;)

 

さて。先週の謝恩会のあと、近くだったので立ち寄ったルパランで、美しいカクテル2種をいただきました。

まずは、ナポレオン。フレッシュなイチゴをジュースにし、シャンパンと合わせたカクテルです。すっきり目が覚め、浄化されるような味わい。お酒なのに。笑

そしてグレタ・ガルボ。見た目もクールでエレガント。味わいもなるほどきりりとジンが効いた「ガルボ」の印象。名前がカクテルに残るっていいですね。銅像を残すよりいいかも。笑

“Every one of us lives this life just once, if we are honest, to live once is enough.”   (By Greta Garbo)
「人生は一回しか生きられない。正直に生きていれば、一回で十分」

正直な声を発する、正直なことを書く、というのはおそろしく勇気のいることですね。だからこそ、そのことばは届くべき心に届くし、成し遂げたときに大きな満足感を伴う。悔いもくすぶりもないから、「一回で十分」。

 

 

昨日より、日本経済新聞  土曜夕刊での新連載が始まりました。

スタートの日が3月11日になったのは偶然ではありますが、決して驕らず、使っていただけることに感謝して努力を続けるようにという天からの声とも感じ、身が引き締まる思いがします。

日本経済新聞において7年ほど毎週続いた連載「モードの方程式」を卒業してから、ほぼ10年経ちました。もう10年。熱いカムバックコールにお応えし、連載を再開することになりました次第です。(厳密にいえば、最初の「地球は面白い」を加えて3度めの連載となります。)

さすがに今お引き受けしている仕事量では毎週とはいかず、月一度の連載となります。

「モードは語る」。

世界のファッション現象を、キーワードをたどりながら追っていきます。初回のテーマは、「ジェネレーションM」。ムスリム、ミレニアム、モダン、モデスト。

生かされている意味を考えるべきこの日に、かつてのご縁が再び繋がる仕事が始まることを、厳粛に受けとめています。驕らず、必要とされる場で、ささやかであれ求められる貢献ができるよう、精進します。

この春にぜひ観たい美術展のご紹介です。

「ファッションとアート 麗しき東西交流展 The Elegant Other: Cross-cultural Encounters in Fashion and Art」。4月15日(土)-6月25日(日)、横浜美術館にて。

「文化の盗用(Cultural Appropriation )」論争。これについては本ブログでもたびたび話題にしておりますが、この展覧会を見て、あらためて考えてみたいものです。あれは、長い間、人種差別が問題になり続けてきたアメリカだからこそ神経質にならざるをえない、複雑な多様性をもつ文化に生じる問題。マジョリティ(上)のマイノリティ(下)に対する差別が続いてきた歴史をもつ文化において生じる問題。

植民地支配を受けなかった日本人にとっては、やはり、日本と西洋は、「上」や「下」の意識なく、互いに相手の「麗しき」ところを取り入れあうことによって双方の文化をダイナミックに発展させてきた……と見るのが、妥当のように思えます。

(もちろん、日本文化においても、「マイノリティ」である人が少しでも「差別を受けた」と感じることがあるならば、表層は違っても根は同じという「文化の盗用」問題が起きる可能性があるわけですが。)

 

論争はいったんさておき。横浜美術館で開催されるこの展覧会は、19世紀後半から20世紀前半のファッションと美術に焦点を当て、横浜を拠点の一つとする東西の文化交流が人々の生活や美意識に及ぼした影響を紹介します。

京都服飾文化研究財団所蔵のドレスや服飾品、約100点を中心に、国内外の美術館や個人が所蔵する服飾品、工芸品、絵画、写真など、約200点が展示されます。そのリストのなかには、明治期の洋装の最高峰、昭憲皇太后の大礼服もあります。これはワクワク、今から楽しみですね。

2_昭憲皇太后着用大礼服

(「昭憲皇太后着用大礼服(マントー・ド・クール)」 1910年頃(明治末期) 共立女子大学博物館蔵)


(飯田髙島屋
「室内着」 1905(明39)年頃 京都服飾文化研究財団蔵 操上和美撮影)

そうそう、着物は当初、「室内着(roomwear)」として西洋で広まったんですよね。「誤用」もいいところ。その誤用こそが、西洋ファッションからコルセットを追い払い、西洋におけるモダン・ファッションを促したのですから、「盗用」「誤用」は文化のダイナミズムにとって大きな刺激になるのですね。

(月岡(大蘇)芳年 「風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗」 1888(明治21)年 京都服飾文化研究財団蔵)

浮世絵が描く洋装のご婦人。なんともロマンティックで素敵ではないですか? この絵、好きだわ♡

 

(ジュール=ジョゼフ・ルフェーヴル (「ジャポネーズ(扇のことば)」 1882年 クライスラー美術館蔵 Gift of Walter P. Chrysler, Jr.)

白人が日本の着物を大胆なアレンジで着るこの絵なんて、今だったら「盗用」として炎上するところですよね。

 

「文化の盗用」にぴりぴりするこの時代だからこそいっそう、東西文化交流の成果を豊かな形で世に問うこの展覧会が、雄弁に語りかけてくれるでしょう。

この展覧会にあわせて、講演会などさまざまな催しもおこなわれます。詳細は、横浜美術館ホームページにてご確認ください。。

このチケットを、横浜美術館のご厚意により、5組10名の方にプレゼントします。ご希望の方は、コメント欄でお知らせください。3月17日(金)に締め切り、抽選のうえ、5名の方にチケットを郵送します。

(コメント欄は承認制なので、ご応募に関するコメント・情報は公開しません。ご応募はニックネームで結構です。メールアドレスのみお知らせください。当選者にはこちらからメールアドレスにご連絡します。お送りいただいた個人情報は、本件の連絡のみに用いた後、消去します。)

☆一連の「文化の盗用」問題の発端になった、ボストン美術館キモノウェンズデーに関する私の記事はこちらです。

☆上の記事の英語バージョンはこちらです。English version of my opinion about cultural appropriation.

☆カーリー・クロスがヴォーグで「芸者」風の撮影に協力したことで謝罪においこまれた事件に関して書いた記事はこちらに。