フィクションも押し黙る史実がぎっしり。およそ50人ほどの登場人物がパリのホテルリッツを舞台に濃厚なドラマを繰り広げる。映画を観るような面白さ。グランドホテル形式というのだろうが、むしろ特殊な戦争映画のようでもあった。占領時代のパリについてまったく新しい味方を提供してくれる。

テイラー・J・マッツェオ『歴史の証人 ホテル・リッツ』(東京創元社)。
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一人一人のエピソードがずっしりと心に残る。シャネルやヘミングウェイ、キャパ、アルレッティ、ゲーリング、バーグマンほか、すでに知られた人の、別の側面を描く筆致もいいし(シャネルとディンクラーゲの話、ヘミングウエイ夫妻の話はとりわけ新鮮だった)、これまで知らなかった人のことを知る楽しみもある。アメリカ人の富豪、ローラ・メイの話はなかでも鮮やか。どんなにお金持ちでも交友関係が広くても、ただお金持ちという理由だけだったらパリでは永遠にさげすまれる。最後の最後にローラ・メイがうって出た、もっとも予想外だった行いは、リッツを出てひっそりとしたホテルに移り、財産のほとんどをチャリティに注ぐことだった。その行為で彼女の評価、ポジションは大逆転するのだ。

裏切り、裏切られた人の末路も恐ろしく悲しい。解放後、異様な正義感にかられて復讐をなしとげようとする人も恐怖だ。多くのパリジャンが餓えに苦しむなか、贅をつくした食事を供すことができていたホテル・リッツという異様な空間で、日常では見えにくい人間の本性が露わになっていく。「パリは燃えているか」の一言の背後に繰り広げられていた駆け引きには深く心を打たれる。時間を忘れるほどコワくて面白い本。紙の質感や活字のフォントもよい。

ホテルが伝説になるには、どのような人が出入りし、どのような舞台を提供していたのかという要素も極めて大きいことがあらためてわかる。インテリアやホスピタリティは、ヒューマンドラマを呼ぶための装置でもある。そのドラマの記録をできるだけ詳細に残しておき、時が来たら(プライバシー云々の問題がなくなったら)ふさわしい形で活用することも、ホテルのブランディングにとって大切なことなのだと知る。ホテル・リッツにロビーがない理由も納得。どのような客を、ドラマを呼びたいのか。そこが明確になっている建築やインテリアは、異例であれ、強い。

 

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