なぜそういうことになったのか、学校教育とも壮絶にからみあう紆余曲折の物語を、時がきたら書く機会もあろうかと思うが、息子の一人がプロゲーマーを目指すことが濃厚になった。

確定ではないけれど、これもまた人生の想定外として粛々と受け止め、できるサポートをしていくしかない。プロゲーマーになるにせよならないにせよ、その世界に生きる人たちの考えを知っておく備えは必要なので、以下、読んでみた。ゲームの世界を超えて通じる話が満載で、非常に面白かった。以下は備忘録としてのランダムなメモです。

梅原大吾『勝ち続ける意志力』(小学館新書)。プロ格闘ゲーマー第一号、神として尊敬されているウメハラこと梅原大吾氏の、勝ち続けるための考え方や日々のゲームに対する取り組み方。ウメハラさんの学校時代の言動や悩み、考え方なんかが、プロゲーマーを目指す息子とほとんど同じで、驚いた。また、ウメハラさんが途中、いったんゲームをあきらめてプロゲーマーとして本格始動するまでのライフストーリーが、ジョセフ・キャンベルの「ヒーローズ・ジャーニー」のロードマップをそのままたどっているんだな。「旅」を経たこの人の行動やことばそのものが、「ヒーロー」的。

そんなことをさしおいても、仕事をするあらゆる人にとって有益な示唆を与えてくれる。

「センスや運、一夜漬けで勝利を手にした人間は勝負弱い」

「楽に勝てる方法はたくさんある。しかしそんな方法を使っては僕が戦う意味がない。だから、誰にでもできる戦法は選ばないし、それによる不利を苦とも思わない。遠回りすることでしか手に入れることのできない強さがあると信じているからだ」

「僕は10の人間に勝つために頑張っている。時間がかかっても、バカにされても、11、12、13の強さを目指す」

「目的と目標を混同してはいけない。目的はゲームを通して自分が成長し、人生を充実させること。大会というのは、日々の練習を楽しんでいる人間、自分の成長を追求している人間が、遊びというか、お披露目程度の感覚で出るもの。目的であってはいけない」

「日々の練習に60の喜びを見出していると、負けても毎日が楽しいから大丈夫だと、自然体で勝負に挑むことができる。その結果、リスキーな局面でも大胆な行動に出ることができる」

「目標に過ぎない大会に固執せず、目的である自分の成長に目を向ける。それが『勝ち続ける』ことにつながる」

日々、愛するゲームを通して成長を楽しみ、努力を継続するためのサイクルやメンタルを確立している王者はやはり別格。というか、喜々としてこういう日々の過ごし方ができるジャンルこそ、その人が長く勝ち続けられるジャンルなんだなということがあらためてわかる。

 ちきりん×梅原大吾『悩みどころと逃げどころ』(小学館新書)。学歴エリート街道を降りてブロガーになったちきりん氏と、学歴社会の偏見に苦しんで闘いながら独自の居場所をみつけたウメハラさんの対談。上の本では明かされなかったウメハラ氏の人気の秘密も、ちきりんの質問を通して浮かび上がる。

高額賞金を全額寄付してしまったウメハラ。「まれに見る高額賞金の大会で、みんな浮足だってる。目の色が変わっちゃってる。それを見て『金じゃないだろ?』『金をやるからお前ら頑張ってゲームしろよって、大人に言われるの、嫌だと思わないのか?』ってことをプレーヤーに示すために、勝って賞金を獲得した上で、それを寄付しようと思いついた」(←かっこよすぎる)

「多額の金が流入してきて、プレーヤーの意識が変わってしまい『金のために勝てればいい』みたいになってゲームがつまらなくなったら、結局はファンが離れてしまう。せっかく食べていけるようになったのに、それではブチ壊し」

「『敵わない』と思わせることが必要なんです。どこまで行かなくちゃいけないか、ゴールの遠さを強烈に示さないと、みんな小さなところで満足してしまう」

「プロゲーマーが次々と新しい遊び方の提案をすることで、ゲームはどんどん楽しくなるし、それを示せてこそのプロなんです。そして、そのプレーでファンをワクワクさせないと意味がない」

「大人の役割とか、先生の役割って、本来は『こうやって遊ぶと、人生楽しいよー」って教えることだと思うんです。しかもクチで説明するんじゃなくて、自分の人生を見せながら、子どもに人生の楽しさを示していく」

「早く進むために最適化された組織は、遠くまで進むというレースでは力が発揮できない」

「学校的な評価と、マーケットの評価は違う。実績や勝率は大事だが、『おおっ!』って思わせる何かがないと、プロとは言えない」

「つまんない、ずるい、情けない、が三大屈辱語」

「安直な勝ち方を選んでいないか、試行錯誤して新たな技を試し続けているか、その技を体得するために誰よりも努力してきたか―――言い換えれば、ズルをしない、楽をしない、リスクをとってチャレンジを続け、誠実に戦ってきたか、みたいなことなんだけど、市場ってちゃんとそういうプロセスを評価するんですよね」

「『勝っても負けてもウメハラスゴイ!』っていうのは、そういうプロセスが戦い方ににじみ出ているプレー」

「戦い方において自分に恥じることがなければ、負けても堂々としていればいい。たとえ負けても、その戦いによって、自分がどれだけの者として生まれてきたのか、自分の立ち位置や、自分のやってきたことの価値がわかる」

「成長オタク」

プロプレイヤーに必要なのは、実績もさることながら、人を感動させられるアートな部分。「おおっ!」と思わせる何かって、統計やハウツーの追求では決して出てこない。

ときど(谷口一)『東大卒プロゲーマー』(PHP新書)。日本人として二人目となる、TOPANGA所属のプロゲーマー。

この人もやはり、学校的価値観とかみあわず、プロゲーマーになった。情熱をもって研究成果をあげてきたのに、その内実は問われず、一回きりの大学院入試のペーパー試験で落とされた。そのように評価されるシステムに失望した。「情熱につける価値はない」と思い知らされた。(←この経緯、一緒に怒り、泣いた) こういう例をいくつか見聞きするたび、日本の大学がなぜ国際的に競争力が弱いのか、うすうすわかってくる。

ときどもまた、一度、「死体になる」ほどの絶望というか挫折を経験して、プロゲーマーとして浮上した。

「大学院入試では、自分は制度に縛られていると感じ、この制度のなかでは自分は本領発揮できないと絶望した。でもゲームの世界なら、自分で制度を作り出せるチャンスすらある」

「ゲーム以外のことには一切無頓着という人が、いざ対戦が始まると超人的なプレイを見せて、対戦相手をねじふせる。生まれも育ちも関係ない。学歴も社会的地位も関係ない。それぞれの情熱が生み出した美麗な技を決め、世界中の観客から喝采を浴びる。そういう特別な人たちがいる世界」

「セオリーとは、いいかえれば『当たり前』。当たり前の努力をしているうちは、当たり前のプレイしかできず、当たり前の結果しか残せない」

「プロとアマの違い。それは業界の発展をどれだけ考えられるか」

「80点を85点にするために、自分のスタイルをいったん捨てる」

「情熱がもたらすもっとも価値あるものとは、応援者である」

「本当に強いプレイヤーは、みな『いい人』。格ゲーとは、取り組む姿勢が正しい人間が勝つ世界なのだ」

「情熱は論理を凌駕する」

一生安泰の公務員を捨て、来年はどうなるかわからない黎明期のゲームの世界に飛び込んだときどの言葉は発火しているようで、どの世界でも共通するインスピレーションにあふれている。

 

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