最終講義(22日)の感動もさめやらぬまま追い立てられるように外へ出るとすでにかなりの積雪。この日予定されていたプレゼミOBたちとの飲み会も延期となり、早々に帰宅する……はずでした。

 

ところが渋谷駅がとんでもないことに。田園都市線の改札から密集した人々があふれ出ていて、その「人の塊」が動いていない。少しがんばってその後についてみたけれど、すぐにあとに人が続き、集団に八方から押されて息ができない。これは乗るまで苦しいガマンを長時間し続けなくてはならないし、乗ってからがさらに大変だろう……途中で気分が悪くなるかもしれないし、万一、雪のトラブルで電車が停車したらそれこそ地獄だ……と想像し、閉所恐怖症ぎみの私は退散し、タクシーで帰ることにしました。

ところがタクシーもまた長蛇の列のうえ、そもそもタクシー乗り場に30分待ってもタクシーが一台も来ない。人の列だけが長くなっていく。もちろん、流しのタクシーはすべて誰かがすでに乗っている。ホテルのタクシー乗り場に移動しても、同じ状況。タクシーを探す間にも雪は降りしきり、凍死しそうになってくる。

 

まずは食事しながら人が減るのを待とう……と思いゆっくり時間をかけて食事をしたあと戻ってみると、さらに帰宅困難者が増加し、どこもひどい状態に。

 

この時点でさすがに帰宅をあきらめ、都内に泊まっていくことを決め、幸い、ザ・プリンスさくらタワーにぎりぎり部屋がとれました。ほかのホテルはすでにどこも満室だった。この日はレストランはキャンセルが多かったそうですが、ホテルは特需だったようですね。


ホテルに向かう前に、品川プリンスの最上階、Table9でたまたま知人たちが集まって飲んでいたところに合流させていただけるという幸運。最上階からの眺めはいつもの東京とは違う非日常感があり、楽しくおしゃべりしながら3杯ほど美味しいお酒をいただきました。お隣のさくらタワーへ向かう途中も、夜の積雪風景は幻想的なまでに美しく、人通りが少ないこともあり、興奮しながらあちこち写真を撮りつつ移動していたら寒さも感じないほど!

(こちらは、新高輪プリンスのロビーラウンジから見える庭園の風景。ガラスに小市さんデザインによるロビーラウンジの照明が写り込んでいます)

 

さくらタワーはこのまま住みたいと思えるような、洗練された居心地のよいホテル。広々としたバスはジェットバスで、冷え切っていた身体も完全にあたたまり、上質なベッドリネンで癒されました。


(満開の桜のようにも見える、雪のふりつもった樹の美しさときたら。満員電車を選択していたら味わえなかった感動)

慣習に逆らった方向へ、人込みとは逆の方向へと向かったら、予想外の楽しみが次々に訪れて最高の夜になったという、なんというか、天の啓示を感じるような、これから向かう未知の冒険を激励してくれるような「最終講義の夜」でした。



(部屋から見える貴賓館。夜と朝)

 

朝は快晴。青い空に真っ白い雪。最高に澄んでいた朝でした。(前夜の雪の中でのしばしの行列がたたり、少し悪寒はしたけれど)


ザ・プリンスさくらタワー。地下にはサウナや大きなプールバスのあるスパもあり、広い日本庭園を通して新高輪プリンス、グランドプリンス高輪とつながっています。クラブラウンジも厳選されたフード&ドリンクが品よく提供され、外国人ビジネス客が9割ほどを占めていました。大雪のあおりで予定外の宿泊となりましたが、かえってリフレッシュできました。また泊まりたいホテル。

 

?本日、心のピントが合ったDaigo Umehara のことば。「安全そうな道を行くと、結局それが行き止まりになる」。

 

もうひとつの科目「モードの神話学」も最終講義を迎えました。その日(22日)は大雪になり、この講義の直後の講義から大雪に対処する「休講」措置がとられました。ぎりぎり最終講義ができたのは幸いだったし、雪のおかげで一生思い出に残る日になりました。「あの日は大雪が降った日で」と語ることができるというのはなんと幸運なことだろう。


この科目は、ファッション史、および社会に多大な影響力をおよぼした「スタイルアイコン」とされる人物のスタイル、ことば、仕事を通して、そのアイコンが社会に向き合った心の態度(=モード)に迫るというのがテーマでした。史実やできごとをピックアップするだけだったらインターネットで簡単にできる。そうではなく、その史実はなぜ起きたのか、その出来事をもたらした人はどのような思いで行動したのか、本質を考えてもらうための講義でした。表層と深奥をつなぐ想像の習慣ができることで、今後、各自が出会うことになる人生のさまざまな困難に応用可能になるタフな心を育成できるはずというのが私の信念でした。心のモードが確立し、それが表層にふさわしく反映されるならば、毎日同じシャツとジーンズだけで憧れをかきたてる存在になりうるのだ。ジョブズのように。アルマーニのように。

 

そんな私の信念につきあってくれた学生への感謝と、心からの愛情と激励をこめて、ファッション史からの具体例をピックアップしたうえで、こういう話をしました。

<前提条件の確認>

・ファッションの構成要素

・強い「個」を形づくるために、日々心掛けるべきこと

 

<「ダンディズム」から、社会に向き合う態度のヒントを学ぶ>

・教訓1 かっこよくあることに対する恥じらいを

・教訓2 スーツ長寿の理由は「セクシー」にあることを認識せよ

・教訓3 抵抗を経て勝ち取る「普通」をめざせ

・教訓4 手に入れた時が最高、ではない

・教訓5 シリアスに受けとめすぎない

・教訓6 マイナスをプラスに変える、スーパーポジティブな心のモードを

 

<ファッション学の教養から、パワフルに生きるための心のモードを学ぶ ~自分の人生の「主人公」として航路の舵とりをするために~>

・(1)この世に不変・絶対の美はない

・(2)欠点・規格外は最強の武器になる

・(3)いま、ここを最高の場所にする

・(4)偶然を必然にする

ホンモノの出会いとは

・(5)ギフトの交換で人生は動く

・(6)「前例なし」はチャンスである

・(7)批判・中傷に対する心構え

・(8)悩むな、行動せよ

・(9)ヒーローの旅を意識せよ

どん底の乗り越え方

・(10)人生は、ペルシャ絨毯

<プレミアムなレッドオーシャンか、ラグジュアリーなブルーオーシャンか>

 

最後の大きな拍手の響きは一生忘れません。確実にバトンが伝わったことがわかるコメントもたくさんいただきました。読んでいたらほんとに泣けてくるものばかりでしたが、たぶん、他人から見ると鼻白むものなんだろうなと憶測します。ひとつだけ、ずばぬけて優秀だったプレゼミ生からのコメントをここにアップさせていただくことを、最後に免じてご寛恕ください。

きっと多くの学生が口を揃えて言うことでしょうが、先生の魅力は豊かな教養によって内側から溢れるものなのだと思います。自分もそんな内側から魅力を迸らせられるような人間になって、日本の空の動脈を担っていきたいと思います。大学生活の中でもひときわ貴重な時間でした」

彼はひいき目なしに見ても、確実に世界の未来を担う人材です。ほかにも「早く先生と一緒に仕事ができるような一人前の男になります」(笑)とか頼もしさを感じさせてくれる言葉の数々をあふれるようにプレゼントしていただきました。みなさんほんとうにありがとう!

最後の日のキャンパスの景色が雪景色。感無量。10年前の選択を悔いる気持ちもかすかに残るが、もう前だけ向いていこう。

 

10年間、講義中のアクセサリーはこの子でした。アビステの笛。万一、震災が起きて建物が崩れたりしたとき、少しでも学生を守ることができる確率が高まればという防災グッズを兼ねていました。一度も吹く機会がなかったことは、幸いでした。長い間、お役目ありがとう。

 

 

 

 

 

 

大学で通年で担当してきた科目のひとつ、「ファッション文化史」の最後のしめくくり講義(19日)は、香水の歴史をたどりながらファッション史を総復習するというものでした。

古代のミイラ(ミルラがつめられていた)、東方の三賢人の贈り物(3つのうち2つが香料)という話から、中世、近世、近代を経て、現代のフレグランス総事情まで。時代を象徴する香水や香料を15種類くらい試香してもらいながらの100分なので、自分で言うのもなんですが、右脳と左脳、そして感覚全体が喜ぶドラマティックな授業なのですよ。

(今回は、市販されていない香料の原材料も試香しました。アンバーやムスクなどの自然香料のほか、合成香料アルデハイドまで。香水のエキスパートである地引由美さんにどこで買えるのかと相談したら、なんと貴重な香料を小分けしてお送りくださったのです。由美さんのご厚意に心より感謝します。)

学生の時に思っていた「こういう授業を受けたかったのだ」という理想というか恨みというか(笑)をほぼ全部残らず実現できて、毎週、教える方がワクワクしてしまい、いやもう、こんなに楽しくてよいのだろうかというくらいでした。映画史や音楽史、美術史も一緒に詰め込んだ、中身の濃い「ファッション文化史」、こういうのを20歳の頃の自分が学びたかったんです。だから自分でプログラムを作ってしまいました。

 

 

最後は学生さんたちが大きな拍手で終えてくれ、あたたかなコメントをたくさん書いてくださいました。自画自賛みたいでなんだかテレもありますが、まあ、10年間たゆまず工夫を続け情熱を注いできた自分の奮闘をせめて慰労してやろうということで、一部、こんな感想をいただいたという内容を転記しますが、ご寛恕ください。

「時代背景や経済状況がこんなにもファッションに影響を与えているとは思いませんでした。そうなんだ!という発見が多くとても楽しい授業でした」「ファッション、ブランド、その時代背景、すべてをわかりやすくまとめて話してくださるので、毎回の授業がとても面白かったです。世界史も勉強できてよかったです」「4年間ずっと先生の授業にもぐろうと思っていましたが、最後になるのは残念です。先生が言ったことを支えにして、自分でがんばっていきます。とくに先生の知識欲に見習います!」「中野先生の授業、国日(=国際日本学部)でいちばん楽しかったです」「この授業はいつも新発見が多くて、とても興味深かったです。金曜日に大学に来るのが楽しみでした」「大学のすべての授業を通していちばん楽しく身になる授業でした」などなど。たくさんの激励になる言葉をありがとうございました。一クラスに200人~、年によっては300人という、学生がもっとも集まった講義の一つでした。多くの学生に来ていただけるのは嬉しかったですが、エネルギーの向けどころはそこではない(そんなことしても「業績」にはならない)、という現実的な忠告もいただきました。でも、将来をになう目の前の学生に、どんな分野であれ学ぶことに対するモチベーションを高くもってもらい、というよりもむしろ、学ぶことそのものが楽しいことなのだと実感してもらうことは、私にとっては何よりもやりがいのあることでした。

 

こんな楽しい授業がもうできないのかと思うと一抹の寂しさも残りますし、この10年に工夫し続けたこんなに面白いコンテンツをもう活かせないのかと思うともったいない気もいたしますが、同じことにしがみつくなという天からの指示ということでしょう。最高に充実していたこの10年に深く感謝しています。(あと一科目、最終講義が残っていますが。)

 

 

 

日曜夕は、西部先生の訃報に呆然としていました。西部先生の授業は、駒場で受けたことがありました。幅広い教養と「キャラクター」を感じさせる、80年代インテリのお手本の一人でした。自分の人生の終わりくらいは自分で決める、といかにも言いそうな先生でした(あとから知ったのですが、実際にそのようにおっしゃっていたようですね)。涙。教養の力というものを全身で示してくれた先生に一瞬でも出会えたことに感謝します。ご冥福をお祈り申し上げます。

西部先生のことから当時の駒場のことをぼんやりと思い出した。80年代の知識人はみな強烈なキャラクターの持ち主で、文化を牽引するエネルギーにあふれていた。いま、そんな「憧れ」たくなるような個性的かつ大物感ただようインテリが少なくなった。対文科省の事務文書をそつなくこなし、TOEIC対策の授業や資格試験の授業を効率的におこなえるようなスマートな人が主流として増えている。嘆くわけではない。そんな時代なのだろう、と思うだけ。

 

 

読売新聞1月18日付夕刊「モード」欄。ゴールデングローブ賞授賞式の黒一色についての記事です。

私のコメントも掲載されています。紙幅の都合で、「皆が黒い服を着ることは、強い意志表明の象徴として分かりやすい。ひとつのマーカー(指標)として、前後で時代が変わるという印象を与えた」という文章のみが掲載されていますが、ほかに「ピューリタンの黒」「喪の黒」という話もしました。

庄司正さんの「対等の黒」ということばも、なるほど!ですね。


一つ前の投稿で、ビジネスウエアとしての黒のスカートスーツの話を書いたのですが。ビジネスシーンでもレッドカーペットでも、黒い服の集団というのは独特の圧がありますね。

北日本新聞の取材で「ヒーローズ・ジャーニー」のコンセプトを中心に高校生への激励メッセージを語りました。六本木ヒルズにて。


その後、コンデナスト本社にてGQ 誌の仕事、ファッションディレクターの大住憲生さん、ファッションドリーマーのDさんと鼎談。

Dさんはインスタグラムフォロワーが212万人、一般男性部門ではフォロワー数日本一だそうです。

ミレニアルズの憧れの男性像やファッション観を聴くことができてなかなか面白かった。

詳しくは、2月24日発売のGQにて。

申し合わせたわけでもないのに、3人ともピンクをアクセントにして着ていました。

212万人が見ているって大変なことですよね。だからこそ企業が目をつける。Dさんもすでにタレント事務所に入っていらっしゃいます。インフルエンサーマーケティングの世界は、知らない間に急成長をとげていて驚き。

 

 

Sherlock Season 4 Episode 1. “The Six Thatchers” DVDで。

ちょうど一年前の公開だったのですね。TVドラマというより、長さにおいても質においても「映画」に近くなっている。

シーズン4ではメアリーが娘を生み、幸せなワトソンファミリーの人生が再開……のはずが、メアリーの過去の落とし前をつけなければならない事件がやってきて、誰にとっても悲しみで胸が引き裂かれそうな悲劇で終わる。

そこにいたるまでの展開がまったく予想ができず、驚きの連続。

 

スピーディーな展開、時折はさまれるユーモア、キャラクターや人間関係の面白さは健在のまま、人間ドラマも味わい深いエピソードだった。シリーズ1,2で見られたようなエッジの効いた粋な疾走感が少なくなり、なんだかシリアスになってきているのはどうしたものかと戸惑ったのだが。

意外だったのは、ジョン・ワトソンがバスで「見そめられた」女の子の相手をしてしまうこと。メールの交換だけとはいえ、プチフラーティングを始めてしまうのだ。たいしたことはまったくないとはいえ、メアリーへのささやかな裏切りでもある軽はずみな行為を、メアリーに告解できないまま、ジョンの心にはささやかな罪悪感が残るわけですね。

ジョンのシャーロックへの怒りは、シャーロックが「君たち家族を守る」という誓いを破ったということだけでなく、自分自身の罪悪感の、ねじれた反映だったかもしれない。

それにしてもなぜこのような一見、要らないようなエピソードを入れたのか。完璧な夫にして父にして友人である善良なジョン・ワトソンも、実は常に地味なサポーター役に徹しなければならないことへの葛藤を抱えており、自分を認めてくれた女性からの誘惑につい乗ってしまうことでプライドを満たしたかった……ということを示唆するためか。

「地味な仕事に甘んじている人」の心の葛藤には注意せよ。それがこのエピソードのサブテーマではなかったか。

 

山口周さんがツボだったので引き続き「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか?」(光文社新書)。

明快でボキャブラリーが豊富、文章構成も緻密で快く読める。以下はまた個人的になるほど!と知ったことの備忘録メモですが。

・社会をよりよいものにしていくためには、ごく日常的な営みに対しても「作品を作っている」という構えで接することが必須。「社会彫刻」というコンセプトを提唱し、すべての人はアーティストとしての自覚と美意識を持って社会に関わるべきだ、と主張したのはアーティストのヨーゼフ・ボイス

・論理、理性の行きつく先は、「ほかの人と同じ答えが出せる」という終着駅、つまりレッドオーシャンでしかない。論理思考というのは「正解を出す技術」。このような教育があまねく行きわたったことによって発生しているのは、多くの人が正解に至る世界における「正解のコモディティ化」。

・経営は「アート」と「サイエンス」と「クラフト」の混ざり合ったもの

・デザインと経営には本質的な共通点がある。エッセンスをすくいとって、あとは切り捨てること。そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、そのエッセンスを経営の文脈で表現すればビジョンや戦略となる。

・経営という営みの本質が、選択と捨象。

・ビジョンには人を共感させるような「真・善・美」が含まれていなくてはならない。

・求められるのは、「何がクールなのか?」ということを外側に探していくような知的態度ではなく、むしろ「これがクールなのだ」ということを提案していくような創造的態度での経営

・ソマティック・マーカー仮説。情報に接触することで呼び起こされる感情や身体的反応が、脳の前頭前野腹内側部に影響を与えることで、目の前の情報について「良い」あるいは「悪い」の判断を助け、意思決定の効率を高める。意志決定においてむしろ感情は積極的に取り入れられるべき。

・変化の激しい状況でも継続的に成果を出し続けるリーダーが共通に示すパーソナリティは、自己認識。自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や志向性など、自分の内側にあるものに気づく力のこと。

・オウム真理教に見られる「美意識の欠如」「極端なシステム志向」。戦略系コンサル業界にも見られる。生産性だけが問われ、人望や美意識は問われない。(お役所や最近の一部の大学もそうだ。こういうのを相手にしていると殺伐としてくる)

・DeNAの創業メンバーにおいても。問われるのは見識や人望ではなく「早く結果を出すこと」。システムの是非は問わず、システムの中で高い得点をとることにしか興味がない、という思考様式。

・非倫理的な営みに携わっていた人たちにとって、「誠実さ」とは自分が所属する組織の規範・ルールに従うことであり、社会的な規範あるいは自分の中の規範に従うことではなかった。ナチスドイツにおけるアドルフ・アイヒマン。「自分は命令に従っただけだ」と無罪を主張。

・悪とは、システムを無批判に受け入れること。

・より高品質の意思決定を行うために主観的な内部のモノサシを持つ。

・マツダが狙っているのは「顧客に好まれるデザイン」ではなく「顧客を魅了するデザイン」つまり「上から目線」。顧客のニーズや好みを探り、それにおもねっていくという卑屈な思考は放棄されている。ゴールは「感動の提供」。

・「歴史に残るデザインなのか」「魂動デザイン哲学を実現できているか」(マツダ)。

・哲学から得られる学びとは。コンテンツからの学び、プロセスからの学び、そしてモードからの学び。モードというのは、その哲学者自身の世界や社会への向き合い方や姿勢。哲学者がなぜそのように考えたのか、どのような知的態度でもって世界や社会と向き合っていたのか、という点については、コンテンツが古くなっていたとしても学び取る点は多々ある。(これ、まさに私が大学でこの10年間教えてきたこと。過去の流行を創ったデザイナーの、社会に対するモード=向き合い方・姿勢を学ぶ、これが中野ファッション学の肝なのだった。同胞を見つけて感涙の気分)

・システムを改変できるのはシステムの内部にいて影響力と発言力を持つエリートだが、そのエリートが、システムのゆがみそのものから大きな便益を得ているため、システムのゆがみを矯正するインセンティブがない。システムに参加しているプレイヤーが各人の利益を最大化しようとして振る舞うことで、全体としての利益は縮小してしまう。これが、現在の世界が抱えている問題がなかなか解決しない理由。

 

問題意識を持つ人にとっては大きなヒント満載の良書。でも思うに、「真・善・美」意識がもっとも必要と思われる(つまりぜひともこの本を読んでほしい)、ふるくさいシステムの中枢にいる人は、そもそもこのような本を読まないのだろうな。

山口周『外資系コンサルの知的生産術 プロだけが知る99の心得』(光文社新書)。

いままでの自分の方法が正しいのかそうでないのか、振り返りつつ今後より良い成果を上げるために外資系トップコンサルの書いた知的生産術を学ぶ。

無意識にやっていたことが的確なことだったり、あるいは意識的に行ってきたことが実は改めるべきダメダメなことであったり、発見多々で付箋の嵐。全部覚えておきたいことばかりだが、とりわけ「これは!」な点を、著者のアドバイスにしたがって「忘れるために」(!なるほど!)転記しておきます。

・知的生産における成功・失敗は、あくまでも「顧客の期待値と実際の成果物とのギャップ」によって決まる。だから顧客の期待値をコントロールすることが必要。

・プロフェッショナルというのは80%の力でクライアントを継続的に満足させられる人のこと。適切なミニマムラインの設定をおこなうのが、管理職の大事な仕事。(私のフリーランス駆け出し時代には、常に120%を心がけていた。じゃないと次の仕事が来ないから。でも仕事が多方面に増えた今もなおこれをやっていると、どこかに「穴」をあける。80%でもなおハイレベルを継続的に保てるということが大事になってくるのだろう)

・イノベーションのほとんどは、「思いついた人」ではなく「あきらめなかった人」が実現している。

・私たちが知的成果として世に訴えられる情報は三種類。「事実」「洞察」「行動」。ビジネスにおける知的生産は「行動の提案」まで踏み込むことで初めて価値を生み出す。「評論家」は恥ずかしい。偉そうに「洞察」を語り、中途半端なところで放り出しているだけ。(これがいちばんガーンときましたね。アカデミズムにおいては、「洞察」でとどめ、それを読む人に判断をゆだねるということが上品とされていた。長年にわたってたたきこまれてきたこの「上品」さ、これはunlearnしなければならないのだ、と強く自覚)

・プラトン以降、哲学者が向き合ってきた問題は「世界はどのように成り立っているのか?」と「その中で、私たちはどのように生を全うすべきなのか?」の二つ。

・ポジションを取れ。決断力というのはポジションを取れるかどうかということ。知的生産のクオリティというのは、異なるポジションを取る人と摩擦を起こすことで初めて高まる。(これもショックでした。教えられてきた「上品さ」とはポジションを取らないことでもあったので。それってビジネスの世界では単に「何を甘えたことを言っているのだ?」とスルーされてしかるべき態度だった)

・「考える」と「悩む」は違う。「手が動かなくなる」と、それはすなわち「考えている」のではなく「悩んでいる」状態であって、知的生産のプロセッシングは進まない。知的生産のプロセッシングはほとんど手を介して行われる。

・「よい答え」というのは、ニュアンスとしては、力づくに探し出すものではなく、ごく自然に目の前に立ち現われるもの。出てこない場合は「問いの立て方」「情報のインプットの仕方」に問題がある。

・「長く考える」のではなく「短く何度も考える」ほうが突破口を見つけやすい。

・視点・視野・視座のとり方を他人と変える。視座は、社長の視座より高い「革命家の視座」まで上げてみる。

・アンラーンを繰り返す。「昔取った杵柄」を廃棄し、常に虚心坦懐に世界を眺めながら、自分が学んできたことと常識を洗い流すことが必要。

・「どうしてそうなのか?」「もし~だったらどうなのか?」という質問を多用して、思考レベルを深めていく。

・情報の非対称性は経済価値を生む。

・アウトプットは、What, Why, How の三点セットで。

・抽象的行動用語を使わない。抽象的行動用語とは、検討する、推進する、強化する、実践する、注力する、連携する。(うわー確かに。お役所向けの報告書にはこういう謎の動詞が乱舞している) 知的生産の品質は行動の品質に直結し、行動の品質は成果に直結する。

・ベクトルではなく、到達点を伝える。

・説得より納得、納得より共感。知的生産の最終的な目的は、行動を起こさせ、よりよい社会や世界の建設に人々を駆動させることにある。リーダーはすべからく共感を追い求めていく態度を。

・ロゴス(論理)、エトス(倫理)、パトス(情理)のバランスをとる。

・集団浅慮=グループシンク。似たような意見や嗜好を持つ人が集まると知的生産のクオリティは低下する。

・文化相対主義は感性の鈍麻。表面的な差異を文化相対主義の名のもとに全肯定してサラリと受け流してしまうということではなく、差異を見出し、その差異を生み出す構造的な要因まで踏み込んで理解したうえで、その違いをリスペクトしつつ全肯定する。差異を無感覚に全肯定する態度は、それを全否定するのと本質的には同じこと。(これも……深く考えず「寛容」「リベラル」の名のもとに受け流すのは、怠慢で鈍麻だったと悟る。反省)

 

99のアドバイスのうち、きっと明日のあなたを変える助言があるはずよ。

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なんと一年以上も間をあけてしまったメンズプレシャスの「伝説のジェントルマン」。

「英国紳士5つの型」、前編・中編に続き、後編がようやく完結しました。こちらです。ほんとごめんなさい。マラソンの最終選手が周回遅れでようやく倒れ込むようにゴールした感じですな。

その間、辛抱強く寛大に待ってくださった読者のみなさま、編集部のみなさまに、心より感謝申し上げます。

この1,2,3月はこれまでのまとめをおこないつつ新たなステージへの移行期になります。やり残しのないよう、悔いを残さないよう、さらにそれが読者の皆様に何らかのお役に立てるよう、大切に時間を使っていきたいと思います。

The Crown seasen 2 episode 10 (final).  “Mystery man”.

シーズン2のファイナルはなんとプロフューモ事件を扱っています。読者の皆様はとっくにご存じのことと思いますが、プロフューモ事件とは1962年に起きた、英政界をゆるがした一大スキャンダルです。映画化もされてます(「スキャンダル」1989年)。

当時のマクミラン政権の陸相だったジョン・プロヒューモが、ソ連側のスパイとも関係のあったコールガールに国家機密を漏らしたと疑われた事件。結果としてマクミラン首相は辞任し、政権が崩壊。

ロンドンのコールガール、クリスティン・キーラーは、整骨師スティーヴン・ウォードの斡旋で、駐英ソ連大使館付きの武官、イワノフ大佐と性的な関係をもっていた。その後、キーラーはマクミラン内閣のスターでもあったプロヒューモ陸相とも性的関係をもつ。

噂が広がり、労働党議員が「国家の安全のために」真相究明を要求。プロフューモは「その女性は知っているが、不適切な関係はない」と潔白を主張。
(”There was no impropriety whatsoever in my acquaintanceship with Miss Keeler.”)

さらにその後、キーラーのイワノフ大佐との関係が露見、軍事機密漏洩事件にまで発展。世界的なスキャンダルになる。

ここにいたってプロフューモは、マクミラン首相あての手紙の中で、議会での発言には嘘があったことを認めたが、軍事機密の情報漏洩については潔白を主張し、謝罪して辞任。

議会は混乱し、マクミランの責任問題にまで発展し、マクミランは内閣不信任案は切り抜けたものの、11月には健康上の理由で辞意を表明、1964年の総選挙では同党は労働党に敗北した。

キーラーは偽証罪で投獄され、仲介者のスティーヴン・ウォードは自殺。

一連の結果を見ると、ソ連情報部のしかけたハニートラップ作戦の成功だったのではとも見らているスキャンダル。

(興味深いのは、その後、プロフューモは名誉を回復していること。これについてはまたどこかで。)

 

このスキャンダルに「謎の男」としてフィリップ殿下もまた関わっていたことを示唆するのが、このエピソードなのである。「写真に映る謎の男の、後ろ姿の肩のあたりが似ている」というだけで確証もない話なのに、ここまで描いてよいものかと、見ているこちらがひやひやする。

合間に第三子、第四子も誕生。あれやこれやの夫婦間の疑惑や亀裂を乗り越える、フィリップ殿下がエリザベスに語りかけたセリフが究極だ。 ”You are my job”.  かくして二人はこの危機を乗り越えていく……。これでシーズンが終わる。

いやもう、ここまでリスクをとって描き切るから面白いのですね、このドラマは。マクミランがエリザベスに辞意を表明しにいったときの彼女のセリフがいい。「Too old, too sick, too weak. 誰も職務を全うしない!」 チャーチル、イーデン、マクミラン、ね。しぶすぎて笑う。どんなときでもエリザベスは職務を淡々とまっとうするしか道がないというのにね。

 

 

 

こんな本も訳していますよ。14年も前のことだけどね。古くなってない社会史の名著です。(どさくさにまぎれて宣伝でした)

過去のエッセイやインタビューやコラム、しかも10年も前の仕事ですが、以下のファイルを新しく本HPに追加しました。(正確に言うと、次男に作業を頼んだら、本欄にまとめてアップするという手抜きになりました。とほほ) 追って時間のある時にタイトルも入れてカテゴリー別に整理していきます。取り急ぎ、ランダムな羅列にして失礼ご寛恕ください。文字をクリックするとpdfに飛びます。pdfタイトルは英数字にする必要があったので彼の解釈を反映したナゾの英字もありますが、ご推測いただければ幸いです。

10年前は未熟で恥ずかしい限り(今もたいして変わらないか……)ですがその時のベストのつもりではあったのですよね。もっとたくさん書いていた痕跡はあるのですが、掲載誌はどこに行ったか分からない。やはり掲載直後にアップしておくというのがいちばんよいようです。っていまさら。

 

 

 

 

EW 2

20061001 Kingdom NO448 (1)

20061001 Kingdom NO448 (2)

20061101 Kingdom NO449 (1)

20061101 Kingdom NO449 (2)

20061201 Kingdom NO450 (1)

20061201 Kingdom NO450 (2)

20070101 Kingdom NO451 (1)

20070101 Kingdom NO451 (2)

20070101 Kingdom NO453 (1)

20070101 Kingdom NO453 (2)

20070201 Kingdom NO452 (1)

20070201 Kingdom NO452 (2)

20070517 Weekly shincho NO18

Yomiuri newspaper 20071018

20080325 croissant NO729 (2)

20080325 croissant NO729 (4)

20080325 croissant NO729 no1

20080325 croissant NO729 no3

WWD BEAUTY 2008.8.1

20081110 croissant NO744

Northern Japan newspaper 20090316

BAZAAAR 2009.4

Female seven 2009.4.16

Weekly shincho 20090507

UOMO 2009.7

Grazia 2009.7

croissant 20090725

UOMO 200908

Northern Japan newspaper 20090804

Precious 201008

Tragedy comedy 200908

Precious 2009.9

‘S Precious 2009

UOMO 2009.11

Sankei 20100107

nikkei newspaper 20100117

croissant774 20100210

croissant777 20100325

Zuirei clothing beauty 201005

Zuirei clothing beauty 201006

CREA 201006

Zuirei clothing beauty 201007

Zuirei clothing beauty 201009

croissant788 20100910

Northern Japan newspaper 20100911

Northern Japan newspaper 20100923

Zuirei clothing beauty 201009(2)

Zuirei clothing beauty 201010

‘s BAZAAR 201010

GQJAPAN 201010

GQ JAPAN 201011

Zuirei clothing beauty 201011

Zuirei clothing beauty 201012

Zuirei clothing beauty 201101

Zuirei clothing beauty 201102

Zuirei clothing beauty 201103

Mrs 201104

wave 201104

EQUUS 201106

SPURLUXE

 

 

9日よりフィレンツエにて第93回ピッティ・イマジネ・ウオモが始まります。

「Pittiって何?服なんか興味ないし」というビジネスパーソンに向けて、Forbes Japanのサイトにてピッティ・ウオモについての解説記事をかいております。

百花繚乱の世界のメンズスタイルが知的に分類され、俯瞰できる場でもあるのです。カルチュアをキュレーションしビジネスにつなぐ。あなたの活動にとって何かのヒントになれば。

広報ラポ・チャンキ氏のことば「エレガントな男性は革命を好まない。アップグレードを好む」が印象に残っています。革命好きな起業家の方とは真逆の考え方かな。でも日々のアップグレード(変化)もまた積み重なれば革命を起こしますよね。

 

 

 

The Crown season 2 episode 9 “Paterfamilias”.  これは構成といい語り方といい、事実の重みといい、すべての人間に関わる文学的なテーマといい、このシーズンのなかでも最高峰なのではないか(とそれぞれのエピソードを見るたびに思うのだが)。

チャールズ皇太子がなぜイートン校に行くことをとりやめてスコットランドのゴードンスタウンという厳しい全寮制の学校へ行く羽目になったのか? その謎が明かされる。

父フィリップ殿下の子ども時代と、チャールズ皇太子の子ども時代が、交互に描かれ、次第にその謎が明らかになる……というスリリングな構成。

フィリップは子供時代、革命で祖国を追われたばかりでなく、飛行機事故で家族をすべて亡くしているのだ。よるべないフィリップに「つながり」を感じさせてくれたのが、スコットランドのゴードンスタウン校だった。この学校は、身体的なチャレンジ(スポーツともいう)と精神的なチャレンジ(いじめ、ですね)を厳しく経験させることによって、タフな「キャラクター」を育てていくことをモットーとしている。There is more in him than he knows. 厳しいチャレンジによって、自分が備えていると思いこむ以上の資質を引き出そうというわけだ。

一方の「未来の国王」チャールズは、贅沢に甘やかされて育っている。絵や音楽が好きというソフトな王子。母エリザベス女王は宮殿からも近いイートン校へ通わせようとする(各種制服をあつらえているときのファッションショーが楽しく、眼福)が、父フィリップは、未来の国王にはもっと男らしい強さが必要だと主張し、ゴードンスタウン校へ送り届ける。フィリップにとっては、自分の母校とのつながり(ほとんどファミリーのようなつながり)をより強化したかったことと、すべての方針がエリザベス優先の状況において、子供の教育に関する方針だけは自分に従ってもらう、という夫婦間における優位を保ちたかったこともあっただろう。

 

しかし、自分の資質とはかけらも合わないゴードンスタウンでの生活は、チャールズ皇太子にとって「監獄に入れられているようだった」と後に回想するほど、悲惨な日々にしかならなかった。

ああチャールズがイートン校へ行っていたら、もっと楽しく明るい子供時代を送ることができ、そうすればもう少し素直な心が育ち、伴侶選びも間違うことなく、ダイアナ妃の悲劇を生むこともなかったのではないか……とついつい想像してしまう。

父の子ども時代、父母の関係のバランスが、こうして子の学校生活にも影響を及ぼしていく。どの家庭にも起きうる悲劇。号泣。

 

ドラマを見たゴードンスタウンのOBからは、「事実と反するところがある」という反撃のコメントも寄せられているようです。デイリーメールの記事、こちら。 このような「事実」を基にしたドラマの場合、フィクショナルなドラマ内での感情は味わい尽くすべきですが、偏った描写だけから元の事実に関する判断を下してはいけませんね。

 

 

 

 

 

 

 

やはり脚本家の勝利だ。The Crown season 2はますます面白くなり、エピソード8の “Dear Mrs. Kennedy”では、アメリカ大統領JFK夫妻がバッキンガム宮殿に訪れる。世界中はジャッキーブーム。宮殿の人々もジャッキーの来訪にそわそわする。しかしプロトコル知らずなアメリカ大統領夫妻、という設定。無礼なふるまいに対しても「少なくとも記憶に残る」とユーモアで返すフィリップ殿下がいかにも「らしく」ていい。

 

ジャッキーに好感をもつエリザベス。しかし実はかげでジャッキーがエリザベスのことを「面白みのない国家元首で、イギリスが衰退していくのもわかる。バッキンガム宮殿も古くさい」という批判をしていたことがわかる。

 

アフリカではちょうどガーナがイギリスおよび西洋諸国の支配から逃れ、ロシアと組もうとしていた頃。

周囲の反対を押し切って、ガーナを訪れ、ガーナ大統領に利用されながらも、最後は「反撃」に出て、大統領とダンスを踊るエリザベス。世界中に好感を持って報道された、「王室」外交の勝利。

ここまでエリザベスを大胆にしたのは、実はジャッキーの間接的「挑発」というか刺激だった……という脚本家の意図。おもしろすぎる。

 

その後、ジャッキーはエリザベスに謝罪に訪れ、夫のJFKとはうまくいっていないことや、本来、自分はシャイな性格で、向いていない務めを果たしているというようなことを話す。妹のマーガレットのほうが天性の女王だと思っている、というエリザベスは深いところで共感する。

そうだよね、多くの場合、「向いてない」と自覚している人ほど、その役割を生真面目に全うするから、実は振り返ってみると最適の役割だったことがわかる。ドラマ中、マーガレットはエリザベスに「姉さんは王冠をかぶると透明になる」というようなことを言う。しかしむしろ、大きな役割になると個性なんて出さないほうがよいのだ。エリザベスの強さはまさにその「面白みのなさ」「個性を出さない、生真面目さ」をまっとうしたことにあったのではと、ドラマを見ながら考える。

 

その後、JFKの暗殺。テレビでその様子を見るエリザベス。異例だが弔の鐘を鳴らさせる。

しぶい。泣ける。味わい深い。人間はこうやってお互いに知らず知らず影響を及ぼしあい、その結果は、まったく予想外の分野に波及するのだ。

マーガレットが結婚したのも、別れた恋人よりも先に結婚しなければという焦りのようなものがあったため。アンソニーが結婚を承諾したのも、自分を出来損ない扱いした母を見返したいという思いがあったため。当事者それぞれの背後にある過去の感情のもつれが、2人を結婚に焦らせる。そしてそういう関係はやはりいずれ破綻し、離婚へ。とはいえその前例があることで後のエリザベス女王の子ども3組の離婚がスムーズになるのだ。なにが災いとなり、なにが幸運の種になるのか、長いスパンでみてみないとまったくわからない。というかもうすべてが因果応報の連続で、淡々と人生が続いていくだけ。

 

脚本はピーター・モーガン、監督はスティーヴン・ダルドリー。