毎年、変わらぬ美しい穏やかな元日の朝。

今年はとりわけ、朝の太陽が神々しいくらい光り輝いていた。雲のかけらもない、ぴかぴかの朝だった。


恒例の初もうで→林間散策を満喫したあと帰宅すると。

 

家の前に消防車2台と救急車がとまり、近所の人たちが総出で見守っている。

なにかやらかしたか?!と動転したが、問題があったのはお隣の老夫婦の家で、救急対応が必要な事態が生じたようだった。(「隣家のものですが」と救急隊員に聞いても、「プライバシーなので」と詳細を教えてくれない。)

幸い、息子さんご夫婦が隣町に住んでおり、しばらくしたら駆けつけてくれ、とくに大ごとではないからということで、いったんみな家に帰されることになったのだが。

そうか今はどんなに親しい付き合いをしていても、近所の人間は「他人」であり、親戚でないかぎり「プライバシー」に踏み込むことはできないのですね。30年来のおつきあいのご近所のみなさまとは品良い距離感の間柄で、困ったときにはみなさんとてもよくしてくださるのだが、いざというとき、「踏み込み可」の親戚が近隣にいない私などは、はたしてどうなるのかとぼんやりと考える。

考えても答えが出ないので、答えがでないまま脳内を切り替えてしまうのですが。

隣家の件以外に、今日はけっこうな数の救急車とすれちがった。こんな晴れがましい日であろうとなかろうと、日々、なんらかの不幸が世界中のどこかで発生していることを常に肝に銘じておかねばならないことを、あらためて思い知らされた。

(日本の勝負ごとではとくに)勝利してもはしゃぎ過ぎないことがたしなみとされるのは、まさにこのあたりの配慮ゆえなのですね。


こちらは2日早朝のスーパームーン。やはり雲一つない空に神々しく輝いております。

みなさまの足元、そして行先が、陰に陽に、明るく照らされますように!

 

 

 

 

 

<追記>

一日半経過して、実は隣家の奥様が心不全で亡くなっていたということを知らされました。83歳でいらっしゃいました。年末には元気で大掃除をしている姿をお見掛けし、「よいお年を」などと笑顔でことばを交わしていたのに、なんとあまりにも突然に…。およそ30年ずっとそれこそ親戚のおばのようにお隣で見守ってくださって、海外に行くときには郵便物も預かってくださっていた。折に触れ、「中野さんがお隣でほんとうによかった」と言ってくださっていた。信頼しあえたご近所さんだった。永遠に隣にいてくださるように錯覚していた。もっともっと、感謝の気持ちを、くどくてもいいから伝えておけばよかった。Kさん、ほんとうにありがとうございました。お会いできて、そして30年も家族の推移を常に優しく見守ってくださったことを、心から感謝しています。

人はほんとうに突然にこの世からいなくなる。あたりまえの存在だからこそ、大切な人には、「これが最後になっても悔いはない」というつもりで接し、ことばをかけておかなくてはならないのだ。

そしてやはり奇跡的に生かされているうちに、命のある時間は、真剣に使わなくてはならないとあらためて強く思う。

 

 

 

 

 

 

 

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