マシュー・サイド著『失敗の科学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

「失敗」と正面から向き合っていかにそこから学び、成長の糧としていくか。

さまざまな「失敗」の具体例から、それを「失敗」=「恥」として目を背けたり葬り去ったりするのではなく、どのように「二度とそのような事態を起こさない」ための研究課題とみなし、「成功」へと導びいていくのかという事例が豊富に紹介される。冤罪や医療事故の実際の描写などにはショックを受けた例もあるものの、最終的には、「失敗」をどのようにとらえるか、それをいかに「成長」のための不可欠なステップととらえるかというマインドを設定する背中を押してもらえた。

デビッド・ベッカム、マイケル・ジョーダンも、おびただしい量の「失敗」から学び取りながらスーパープレイヤーになっている。ヘンリー・フォードも2回起業に失敗し、3回めに大成功させている。

失敗は不名誉なことではない。失敗から学ぶ「成長型」であるかぎり、進化はいくらでももたらされる。ウメハラ氏も同じことを書いていた。失敗(負け)から学びとる姿勢があり、学んだことを次に活かすことで成長することを実感できるかぎり、それは「勝ち続けること」ことにつながるのだと。

ドリス・ヴァン・ノッテンも、「醜」や「きらいなもの」からインスピレーションを受けた作品も大胆に作ってみて、賛否両論を浴び、それをも「学び」として楽しんで次に行く。

成長のステップと捉える限り、「失敗」や「批判」は歓迎されるべきもの。日本の風土だとそれが「非難」の対象となり「恥」とみなされ、結果、萎縮してしまって可もなく不可もないようなこじんまりした「固定型」の組織や人ばかりになってしまう。一度非難されて傷ついた人は、今度は誰かを傷つける側に回りうっぷんをはらす。足の引っ張り合い、相互監視、空気のよどみ、ほんと、つまんないことだし、社会のすべてを停滞させる。

 

可もなく不可もないぬるいところに安住するのは最大のリスクだと思う。今、否応なく始まってしまったプロジェクトでは、耐え忍ばねばならないサイアクの事態も想定してみた。そもそもヒーローズ・ジャーニーのロードマップにおいては、ヒーローは必ず一度、深淵に落ちることになっている。自分でもどういう反応をするのかわからない。でもまあ、少なくとも、退屈はしないだろう。そこから這い上がるときが本物になるための試練になる。未知の旅程そのものが発見の連続であるはず。「ああいうことをやってみたかったけど勇気がなく、周囲の評価が怖くて踏み出せなかった」と死ぬ前に後悔することこそが、成長不能にとどまる致命的な失敗だ。

 

 

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