羽生結弦選手の別格級の天使(あるいはプリンス)のスケートに世界中が興奮し、沸いておりますが(もちろん私もですが)、「滑ることが楽しくて幸せでしょうがない」というところにやはり彼の強さの本質を感じますよね。スケートのために、食事、睡眠はじめすべての生活をコントロールする。日々、自分に課す厳しさはより良いスケーターになるためのものなので、むしろ喜々として引き受ける。

 

 

羽生選手の強さ、ウメハラの魅力、アルマーニが集める敬意、基本は同じなんですよね。天の声に従った自分の才能の発揮を最大限(というか限界を定めず)にやりきっていくところ。幸福の基準を、日々の成長の実感そのものに置いているというところ。パフォーマンスで人を感動させ、喜びを与えようとするミッションを引き受けているところ。

 才能を追求していく人だけが味わえる孤高の魂の旅から生まれた言葉がちりばめられていて、こちらも大好きな本。長期間の孤独のあとにごくごく少数の限られた同じ魂と出会うことができる幸せも説いている。アルマーニも仕事のためなら孤独もいとわない人。徹底的に美学を追求するために周囲に厳しくあたることもある。でもすべては仕事のクオリティを保つため。

 

以下は「勝負論」のなかでもとりわけ普遍性を感じるフレーズ。

・「さんざん常識やセオリーにいちゃもんをつけ、時間をかけて定石を学んだ人は、抜け出した後のバリエーションが圧倒的に違う。縦横無尽に遊び、好き勝手に活躍できる。結果として、誰も知らなかった価値、誰も目にしたことのないスーパープレーを生み出せるのだ」

・「(トンネルを抜ける瞬間の感覚) 真っ暗闇が終わるときは、それらがすべて、有機的にがっちりと自分の中でつながる感覚になる。同時に、そのゲームとは直接関係ないはずの感覚や経験、教訓も、一緒に再編成されていく。(中略)そこまでには、随分な時間がかかる。でもたどり着いたら一瞬で景色が開ける。そして、そこに行きつけた時の感覚は、ただただ、喜びしかない」

・「観客が感動するような、興奮するようなプレーは、『遊び』からしか生まれない。(中略)観客はプレーヤーの人間的な成長も物語の一面として見ているし、成長のためには『遊び』が必要不可欠なだぶつきである。『遊び』がないことを、もっとリスクとして認識したほうがいい」

・「教えられたり、教えたりという関係のなかで本当に大切なのは、あるジャンルのテクニックではないと思う。もっと人間的なことなのだ」

・「成長し続けることができれば、実はどんなレースにも対応できるようになる」

・「安心感や充足感は、ずっと成長し続けていることだけによって得られる。今成長し続けていれば、きっとこの先だって大丈夫だ。そしてそう思えることそのものが幸せのかたちだと思う。それこそが報われている状態なのだ」

 

どさくさに紛れて下に貼ったのは、

昨年、梅原大吾氏が慶應でおこなった講義。オフィシャルBeasTVにアップされている。春分の日にNHK文化センターで聴いたものとテーマも内容も異なるが、こちらも誠実を感じさせるトーク力で聴衆を釘付けにしているのが伝わってくる。

・周囲の期待に応えない(あなたの思うやり方ではないけれど、あっと言わせるやり方で応える)

・勝負前の気持ち。ノッているときには「おまえら、見てろよ今からすごいことやってやるぜ!」「沸かせてやるぜ」。そうではないときには「勝てるといいな」。

この感覚。「見てろよ今からすごいもの見せてやる」。これが目先の勝ち負けではなく、長期的に見た日々の成長の実感に幸福を感じながら生きている人の底力。

羽生選手の「どうだ観たか」といわんばかりのイーグルポーズにも同じものを感じました。天使と野獣(笑)、どこが同じなんだ一緒にするなと言われそうですが、私には同じ魂の持ち主に見えます。

 

(以下は、羽生選手の演技にうっとりしている方はスルーしてくださいね(^^;) 同じ魂の美しさを見てしまう私がおそらく変人なので)

 

 

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