恩師の行方昭夫先生訳のモーム。おもしろすぎてあっという間に読み終えた。モームが自分の魂を救うために書いたという問題作、二作。ともに笑って読み終えられるものではなく、リアルな問題意識をつきつけて、不安定な状況を残したまま終わる。

 

以下はネタバレがあるかもしれないので、読後にどうぞ。

・「報いられたもの」For Services Rendered

戦後15年ほどたったイギリスの上流社会。三姉妹それぞれの選択が、真実を残酷についていて、考えさせられる。

長女イーヴァは婚約者が戦死したので独身のまま39歳。戦争から負傷して帰ってきた弟の面倒などを見ている。一家に出入りするコリーという元海軍将校に惹かれるが、コリーは海軍に長くいてビジネスのやり方がわからず、破産する。イーヴァーはコリーを救うべく決死の思いで自分のお金を使ってと婚約を促すが、紳士であるコリーは愛情の対象としてイーヴァを受け容れられず、「紳士的に」辞退し、むしろ誇り高く自殺を選ぶ。ついに精神に異常をきたすイーヴァ。

これなあ……。イーヴァがコリーに婚約を迫るやりとりが残酷なのね。この時代、女性から男性に告白するのがどれほどのリスクであったか。「これ以上は、女の口からは言えないわ」というぎりぎりのセリフまで言う。それを超えても愛するコリーを救いたいと決死の覚悟で臨んだのに……。お断りが紳士的であればあるほど、「感謝」されればされるほど、傷つくよね、女性のほうは。(I love you に対するサイテーの返事は、Thank youである。)しかも自分を受け容れるくらいなら死を選ぶって。どれだけ自分の価値がないのかと思い知らされればそれは精神錯乱も起こすよね。

次女のエセルは上品な35歳。戦争中に、小作人ハワードと階級違いの結婚をする。戦後、階級差からくるあらゆる違いが露呈し、世間体はとりつくろっているが、内実はお互いに不幸。夫の方も酒におぼれたり義妹を誘惑したりしている。

三女のロイスは26歳の快活な美女。一家の友人に、裕福な50代のシダー夫妻がおり、その夫がロイスにのぼせあがり、真珠のプレゼントを贈ったり、妻と離婚するから結婚しようと迫ったりする。義理の兄やら既婚の年配の男やらにばかり誘惑されるロイス。姉二人を見ていて、偽善的な結婚にも希望が持てず、独身のまま老いていくことにも恐怖を覚えたロイスのとった決断は。それは、愛情のかけらも覚えない、既婚の中年男との駆け落ちだった! 「もし愛していたら、駆け落ちなんかするものですか!」というエセルのセリフが意味深。男が女に夢中で、女のほうはかけらも愛していない場合、女は小指一本で男を操れると豪語するロイス。この決断に至る前に、義理の兄に下品な形で欲情を刺激されているのもポイント。必ずしも、女は「発情」(という表現をあえてするならば)させられた相手に行動が向かうわけではない、というあたりにモームの観察眼が光る。

 

・「働き手」The Breadwinner  (この英語のタイトルいいですね。ブレッドウィナー、パンを稼いでくる人。ブレードランナーみたいで)

イプセンの「人形の家」の逆パターン。目覚めた夫が、妻と「退屈な」子供たちを捨てて、家を出て、好きなことだけをして自分のために生きると宣言する。

いやこれも痛快。こういう宣言して家を出たい人、古今東西にたくさんいるのではないでしょうか。なんで自分をばかにする子供たちを、大きくなってまで養う義務がある? なんで、自分のことをかけらも愛していない妻の面倒を見る必要がある? なんで価値を見出せない単調な仕事のために窮屈な日々を過ごす必要がある?

人生は短い。「そんな義務はない」と思えば家を出ていくのみ。あたふたして引き留めようとする周囲の反応が面白い。

鮮やかに人間の心理を切り取り、まな板の上に載せて見せてくれる。ひとひねりあるところに浮かび上がる思わぬ真実。昨今のうすっぺらいメンタルなんたらの心理学もどきでは、とてもこの深みまでは届かないだろう。

 

 

 

 

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