オバマ前大統領と2008年の大統領選を戦ったジョン・マケイン上院議員が亡くなりました。
SNSに上げられたオバマ氏の、ことばを尽くした追悼メッセージがすばらしく、高潔さと知性を備えたリーダーとはこのような時にこれだけの言葉によって人々の感情を束ねるべきという模範のようでした。
アレサ・フランクリンの時もそうでしたが、オバマ大統領の追悼メッセージには常に、故人の人生とその家族への敬意と愛情があらわれていて、深い感動を覚えます。(ボキャ貧のトランプ大統領の軽すぎる定型文一言と比較するといっそう)
(オバマ前大統領がSNSにアップした追悼のメッセージ)
マケイン上院議員とオバマ前大統領の間には、ともに高い理想のために闘っているというリスペクトが基本前提としてありました。政策上の違いについては分かれて戦っているけれど、最終ゴールはよりよい国家。そのために献身的に奉仕して、理想のために言葉を尽くして闘う。相手も同じ立場であることに関してはリスペクトを失わない。そんな高潔さと正義と倫理観をもっていることが政治家にとってはあたりまえだったのに。今ではそんな基本的な前提が完全に崩壊してしまったんだな。アメリカでも、日本でも。
During the 2008 campaign, a woman said she couldn't trust Obama because “he’s an Arab.” John McCain shook his head. “No ma’am. He’s a decent family man and citizen that I just happen to have disagreements with on fundamental issues, and that’s what this campaign’s about.” pic.twitter.com/xeuMg3xQ3D
— POLITICO (@politico) August 26, 2018
政治家として、人として、高潔な姿を見せてくれたジョン・マケイン氏に敬意を捧げるとともに、ご冥福を祈ります。
大きな仕事をなしとげた方の訃報が続きますね。
さくらももこさん、「老若男女、誰でも知っている」というキャラクターを作り上げるということは、簡単にできることではありません。誰もがほっこりとあたたかい気持ちになれた、愛にあふれた世界を作り上げた、すばらしい漫画家。
まだ53歳って、私より若かったのに……。ご冥福をお祈り申し上げます。
人は亡くなったときに、おこなってきたことによって総括されてしまう。好むと好まざるとにかかわらず。肩書きも財産ももっていけないのだ。社会に対して、あるいは周囲の人々に対して、おこなったこと、かけた言葉で総括され、記憶に残る(あるいは残らない)。そのことを常に頭の片隅において選択の基準のひとつにしていかねばとあらためて思う。
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